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第4話

 沖縄で食堂と謳われる場所でのメニューの多さと営業時間の長さに煌はひたすら驚いている。  何ページにも渡り沖縄料理が一品料理から定食までずらっと並び、夜は居酒屋として人々の胃袋と肝臓を満たしてくれる。とりあえずここにくれば朝から晩まで大丈夫、みたいな寛大な雰囲気はなかなか好きだった。 「煌先生ってさ、ちょいちょい不思議だよね。めっちゃ日本人っぽく見えて、時々めっちゃ外国人なの」  唐突に純子がつぶやく。 「なんですかそれ」  五杯目で注文したビールジョッキの泡の部分を飲んでから、別で頼んだウイスキーショットをその中に注ぐ。 「ほらほら、そういうとこ」 「え?」 「わかるわー。ビールにウイスキー混ぜて飲む人、俺初めて見たもん」  横で岡も深く頷いている。 「だってビールだけじゃ薄くないですか?」 「だから強い酒ぶち込んでやれって、その雑な発想がもうなんかアメリカンなんだよね」 「そうかな。ビールに強いお酒混ぜるのなんてお隣の韓国でもやってますよ」 「それにしてもよ。そしてガンガン飲む。飲み方がえげつない。ついていけてるの生粋うみんちゅの海広だけだもん」  言われて気づくと西ノ森教授は純子の隣で早くも船を漕いでいる。 「外国っぽいといえばあと煌先生、かず数えるときもぐーして親指から立ててくよね。あれかっこいい」  海広も話題に参戦する。 「でもさ、あの数え方って、4の時どうするの?」 「普通に、こう」  煌は器用に小指だけを折って見せた。 「え、そんなんあり? それできない人4数えらんないじゃん! 俺無理だよ」 「じゃ海広の世界に今後4は存在しないね。残念ー」 「海広これから4禁止」 「そういうおかっぴできるんですか」 「ほら見ろ」  限りなく薬指が同時に折れている。 「アウト! 絶対それアウト!」 「わかるからいいんだよ。お前なんて何それ? 3ですらないよ」  初めから職場に仰々しい雰囲気などなかったが、この一ヶ月でだいぶセンターにも慣れてきた、というかみんなの関係性が掴めてきた。だいたい岡と純子がこのように茶化し、海広が乗っていじられ役を買う。今は潰れて頭数に入らない西ノ森教授は起きてる時も大して意見はせず中立で笑っている。そこへ小競り合いに自然と仲裁役で間を取り持つようになった煌がわざわざ入らずとも、これまでに均衡は保たれている通り、もちろん誰しも本気ではない。その場を楽しんでいるだけだ。 「というのは冗談で、本当は日本と同じで親指を折るだけです」 「あーよかった。それなら俺もできる」 「なんだ、もっといじってやろうと思ったのに。…煌先生はさ、なんていうか二極が共存してるよね。得意分野では超天才なのになんか日常生活はワンテンポ遅かったり、海広みたいにめちゃくちゃフレンドリーってわけでもないけど話すと親近感あったり」 「多分元々の性格と、生きる上で必要になった集団性じゃないですか」  それが純子のいう日本人っぽさと外国人っぽさという評価と通じるかはわからないが。  そう言えば、と海広が指を鳴らす。 「その話で思い出した。一昨日スーパー行ったんですよ、煌先生と。調味料コーナーで何に興奮してるのかと思ったら、一人暮らしに向けて作られたコーヒーフレッシュみたいな一回分の調味料あるじゃないですか。鍋の素みたいなかんじで売られてる。あれ手に乗ってこんなのあるんだすごいすごいって連呼してて。それがさ、まんま女子高生が可愛い雑貨見つけたってテンションでめちゃくちゃ笑えるなーって見えたの」 「あ、あれは、日本人のニッチな産業と感性に感動しただけで…」 「で、もっとウケたのはここから。で、カゴいっぱいその調味料放り込んでレジ通った後にね、『そういえば僕、料理できないんだった』って気づいて、全部俺に渡すんですよ。今俺のキッチン棚、その商品でパンパンですからね」 「遅かったー! 冷静になるのお金払った後だった!」 「しれっと海広に渡してる姿超想像つくわー」  ただの性格の話題が思わぬ着地点にたどり着いてしまい、居心地悪くグラスを煽った。 「まあ俺の胃袋はそのおかげで満たされるわけだから煌先生の向こう見ずな買い物は大歓迎なんですけど」 「そうじゃん、海広って自炊得意じゃん。今度海広か煌先生んちで宅飲みしようよ。その調味料大量に使って唐辛子もビンごと投入して激辛鍋するの。クソ暑い熱帯夜に」 「その企画もはや小分けっていう商品価値が本末転倒だな。それより純子お前はそろそろ味噌汁の一つも作れるようになったらどうなの」 「あーそういうこと言うと隣の古谷家と交換するからね」 「古谷家の旦那さん今年八〇歳だけど大丈夫?」 「あ、えーっと…」  何やら親密な会話についていけないでいると、海広が傾げる。 「あれ、言ってなかったっけ。おかっぴと純子さん、夫婦」 「え、本当に?」  鳩が豆鉄砲食らったような顔を、まさにしている自覚があった。 「うん。気づかなかった?」 「聞いてないし、全然気づかなかった。だって、苗字がまず違うし」 「ああ、職場結婚だからめんどくさくて旧姓名乗ってるの。公式には岡純子」  知らずに、疑問にも思わずに一ヶ月も二人と接していた自分に恥ずかしさよりももはや呆れてしまう。 「煌先生、色恋疎そうだもんなー」  認めるのは釈だが、誰かの隣にパートナーがいる可能性、という普遍的原理をストンと道端に落として人生を歩んできたのでそういう話題にはめっぽう弱い。 「いや待ってください。二人の、雰囲気が似てるなとは思っていたんですよ」  煌なりにそこまでたどり着けた事実だけでも加味して欲しい。 「そこがさ、さっきの話じゃないけど煌先生って不思議なの。一番重要なピース見つけられないんだよね」 「確かに」  煌以外の一同、同意。 「まあ私たちもそもそもそんな雰囲気でもないわけだけど、それにしても普通気付くよね、なんかあるなあって。煌先生のはもう、隣で海広が彼氏連れ込んでても全っ然気づかなさそうな、振り切った鈍さ」 「いやいや純子さん。流石にそれは、うちの壁超絶薄いから気付くんじゃないかな」 「今度モニタリングで検証しよう」 「やーめーて。それで大けがしちゃうの完全に俺じゃん」 「ちょちょ、待ってください。え? 男…?」 「うん、海広、ゲイだから。連れ込むのは男でしょ」  純子と岡がコクリと頷いて、海広はニヤニヤしながらグイッとビールを煽った。二回目の絶句。煌と同じくらい飲んでいるがほんのり赤くなっているくらいで滑舌もしっかりしている。ジョッキの取っ手を持たないでつけ口を五本の指でつまむようにしておちょこのように飲むのが独特だ。  いや、そんなことよりも。 「そんな、いいの?」 「これ? 気持ちいいからついこうやって持っちゃうんだよね、癖で。海にさ、最初足つけた時のひんやりした感じと似てるの」 「いやいや飲み方じゃなく。そんな簡単に、俺に打ち明けていいのかって」 「うん。俺オープンだし」  オープン? オープンってなんだっけ。  あ、カムアウトしてるってことか。  海広には驚かされてばかりいる。そして向こうには笑われてばかりいる。しかし今回はいつものカラッとした笑いではなく、こちらを吟味するような意味ありげな笑いが含まれていた。  パチン、と記憶が弾けたと同時に海広の口元が創一と重なって、途端に意識がぐいと遠くなった。  あれ、ここはどこだっけかな。思考を阻むように視界もゆがんでくる。  暑い夏とクーラーの風。  ああそうだ、創一はいつもどこか含み笑いだったんだっけ。  ビールを一緒に飲むこともなかった、親友だった男の顔だけが浮かぶ。

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