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第8話

 八月始め。まだまだ日中は三五度を超える夏日、センター主催で大きいワークショップが行われた。  海洋学を専攻する日本各地の学生、地元の小中学生、ボランティア志願者をぎゅっと公民館に詰め込んでサンゴの研究内容、一日の説明をする。それからスポットに移動し、サンゴの移植を全員で行う。  研究員メンバーは既に経験のあるボランティア団体と午後からの参加になっていたが煌は初めてだったし、流れを知っておきたかったので朝からホールに足を運んだ。  何より、海広の講演を一度聞いてみたいとかねてから思っていたのだ。  参加者は三百人はいるだろうか、開始直前一番後ろの席に煌はこっそり座った。  海広がマイクをかつかつ叩きながら正面を向く。何百回もやり慣れているからなのか大人数でも緊張の色など少しも見せず、すぐに話し出す。 「みなさん初めまして、本日は『ステイリーフ・プロジェクト』にご参加いただきましてありがとうございます」  煌は数十人の小規模な発表であろうが緊張して寝不足になってしまうたちなので朗らに響く海広の声が特に羨ましい。 「ワークショップを預かります、比嘉海広と言います。海は広いな大きいな、で海広なので今日は海が大好きで集まってくれたであろうみなさんに好かれる気しかありません。一日よろしくお願いします」  場内に和やかな笑いが起こる。すごい、もう掴んだ。 「さて。今ここにおられるみなさんの中でエラ呼吸の方いらっしゃったらちょっと手を挙げてください、すぐに水汲んで来るんで」  机の上に置いてあった、のちに別の用途で使うであろう洗面器を持って、ホールを慌てて出ていく真似が何ともひょうきん。 「あ、よかったいませんね。じゃあ肺呼吸の方は、一度座ったままでいいので僕と一緒に深呼吸してください。ハイ吸って…吐いて」  何が始まるのかな、とワクワクさせる出だし。エラ呼吸が混じっているとしたら絶対喋っている張本人だと内心突っ込みながら指示に従う。 「次は、吸うのをもっと大きくしてください。ハイ吸って。……、吐いて。ありがとうざいました」  たっぷり間を置いて海広はマイクを持ち直す。 「先ほど僕たちがした一回目の深呼吸は陸の上の森林や木々、植物がたくさんの酸素を作ってくれているおかげでしょう。でも二回目の深呼吸の感謝は、海にしなくてはなりません」  のんびり緩んでいた海広の声音がピキッと少し硬くなった。 「何故ならば海は地球上の七〇パーセントを占める海の中で、植物プランクトンや海藻、そしてサンゴが酸素を作っていて、今僕たちは呼吸ができているからです。ですがみなさんご存知の通り、今沖縄を含め世界中でたくさんのサンゴが死に、年々美しい海が失われています。なぜでしょう?」 「ちきゅうおんだんかー」  前の方から小学生が反応する。 「大正解。サンゴが失われる大きな理由の一つが地球温暖化です。朝起きても夜寝るときもずーっとサウナで生活しているってみなさん想像してみてください。海の気温が上昇すると、サンゴにとってその状態になっているんです。どうかな、息できる?」  今度は違う子に話しかける。 「死ぬ」  率直な物言いに、また笑い声が上がる。硬い雰囲気は導入部分で打ち砕かれているので、誰もが発言しやすい空間になっている。  一人一人に話しかけるような海広の口調が聞き手の好奇心をしっかり煽る。  上手い。 「だよね。このままではサンゴ礁が全滅してしまう。全滅すると、綺麗な海は見れなくなります。でもそれを少しでも食い止めることができるのが、今日集まっていただいたみなさんです。今海では過去にみなさんのような方々が植えてくださり、すくすくと育った枝サンゴの達がたくさん待機しています。みなさんにやってもらうことは、その子達を大きい親サンゴに植え付けることです。植え付けられた子供サンゴ達はより自然な状態に戻り、今後は自ら人間の手がなくても成長することができます」  煌とて学会で何度もプレゼン経験はあるが、受聴者はいうまでもなく専門家たちばかりだし、笑いを取る必要もわかりやすく聴かせる必要もなかった。だから子供から大人にまで向けられた耳心地のいい説明に感心した。 「なぜ枝サンゴを植えるんですか?」  今度は大人から手が上がる。 「良い質問です。枝サンゴは他のサンゴより環境の変化に比較的強く、そして何より成長が早いからです。十年で一センチ程しか成長できない種もたくさんありますが、枝サンゴは僕の人差し指ほどのサイズから一年でバスケットボールくらいの大きさに成長できます。…しかし僕たちがやることは短期間の応急処置にすぎません。さてまた質問。なぜでしょう?」  少し沈黙が続く。 「気温が上昇し続けると強い枝サンゴでも耐えきれないからです。そこで登場するのが救世主、今後ろにいらっしゃる蒼井煌先生です」  海広の指差した先を一斉に皆が振り返った。唐突に名前を呼ばれ、ビクッと背筋を正す。居ること、バレてたのか。 「煌先生は僕たちが踏ん張っている間に、新しい種をどうにかいい方法でうまく育てられないかと何千種ものサンゴをセンターで毎日観察し、研究しています」 「せんせーすげえー」 「せんせーでもちっさくねー?」  なぜかパチパチと拍手が上がり、いたたまれず今度は肩を縮める。今すぐにでも退場したい。いやその前にちっさいと言った子供、どこだ。 「ちいさくてまだ大学生みたいけど、とても頼りになる先生なんですよ。だから煌先生が最高の救出方法を見つけるまで、サンゴ礁を守るために、海は皆さんの力を必要としています。それでは午後から行う具体的な植え付け手順を、これから説明しますね」  だから、全然フォローになってないんだってば。

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