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第9話
ダイバー経験のある参加者はセンターが管理している人工で育てているサンゴの観測スポットへ船に乗り移動する。子供とダイビング未経験者は岸からあらかじめ採取した新しいサンゴの分身をコンクリートブロックに水中ボンドで接着する流れだ。陸地チームは岡と純子が担当する。
移動中、握手を求められる場面に遭遇し判明したがワークショップにはなんと海広のファンもちらほら混じっていた。そういえば。ウィキペディアに名前が載るくらいのタイトル保持者ではあるということをどうにも近くにいると失念しがちである。
「比嘉選手、今日はフリーダイビングスタイルじゃないんだね」
酸素ボンベを背負う海広を茶化す。
「ちゃんと実演しなきゃいけないし、細かく教えながらじゃさすがに息がもたないよ」
「でもあの子達、海広のダイビング姿見れるかもって期待して参加したんじゃない? がっかりするんじゃないかな」
と言いながらも、その姿を存分に拝むことができる煌は、今少しだけだけ優越に浸っている。海広が海の中を自在に泳ぎ回る姿はレンズ越しだろうと何度見ても美しくて息を飲む。
海広をこの一ヶ月観察していて驚くことがある。疲れた表情を見せたり悪態をついたり、普通ならばつい出てしまうであろう負の感情をまだ一度も見たことがないのだ。どんなに予定が詰まって忙しい一日でも、睡眠時間を削られていても常に一定もしくはそれより上のテンションで、明るく人と接することができる。普通の人間に陰と陽があったとして、陽の部分だけを抽出して集め固めたら海広になるようなそんな気さえしている。
「がっかり? ないない。そもそもフリーダイブの競技に参加する目的が、名前売って観客をこうやって移植プロジェクトに引き込むことだから、俺としてはしめしめ大成功ってかんじだし」
そしてプラスの原動力の隙間には、こうしていつも海を守りたいとの使命が挟まっている。海広の行動の節々には年齢の差などでは測れない寛容さが秘められていた。
「ずいぶんクールだね、有名人は」
「えー?」
当の本人はいたって飄々としている。『だって今時、ガム噛むだけでも動画あげたら芸能人な世の中じゃん』なんて素知らぬ様子。
「あ、カメラもらうね」
「今日はいいよ。違う人にお願いするから。リーダーは色々気を使わなきゃいけないから大変だろう」
「大丈夫。煌先生の目になるだけなら手間はかかんないよ」
だからこそ普段通り、水中において煌の五感の一つを担ってくれることにも内心で安心している。大勢の目にさらされながら堂々と振る舞う海広を目の当たりにして、唐突に遠い人物に感じていたのだ。
毎朝軽トラのエンジンをかけ、外で煌の玄関が開くの待っていてくれる海広が、彼の側面の全てな訳はない。
そんな単純な真実を、この人懐っこい笑顔は時々忘れさせてしまうから。
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