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第11話
満月を超えると、今日は陽射しが手加減してくれてるな、と感じる昼間が増えてきた。
この時期一番心配の種であるの台風は二回通過したが今のところ大きな被害はなく、純子と岡は心置きなく夏休みに入った。
アメリカと日本では定められた祝日の種類も、新学期が始まる時期も違うのに、夏の終わりだけは両方八月と決められているのはなぜだろう。夏が去る哀愁は新しいことへの期待や束の間休息できる喜びよりも、より人間に共通する強い衝動なのだろうか。
二人でも失うと、働いているこちらまでバケーションモードになってしまうがそれを目ざとく叱責する人物などセンターどころか、この島全体にいないんじゃないかと思うくらい、沖縄の時間は穏やかに流れる。
センターで西ノ森教授と海広はそれぞれの仕事をこなし、煌はメールのチェックをしていたところだった。前触れもなく豪快に事務室の扉が開き、長靴をキュッキュ鳴らして男が一人入ってきた。
「はいさい、はいさーい! ハカセおるか?」
沖縄の人は年齢不詳が多く、平均的に実年齢より若く見えたが男は推定五十代だと見積もる。髪はまだらの白髪で、大柄だが筋肉隆々ではなく、無駄なく付くべきところに付いていたので日々の鍛錬で作られた肉体だとわかった。
それよりも何よりも、五十センチ程もあるカツオの尾びれを左手で掴み、右手に刀のように長い包丁を携え悠然と立つ姿が、一瞬でスプラッタ映画を連想させるのでめちゃくちゃ恐ろしい。
「おとん」
「おお、お前も、いたんかね」
「おるわさ。俺の職場さ。それよりなに、物騒なもん持って。どした?」
「大きいカチューが釣れたから、ハカセに、おすそ分けに来たさ。ほら」
単語をこまめに切って、跳ねるように語尾を上げながらゆっくり喋る特有の方言はだいぶん聞き慣れ方だがご年配になればなるほど理解が困難になる。しかしちゃんと聞き取れるのでアクセントは弱い方かもしれない。
「ほらって、連絡せえ。いきなりみんなびっくりするさね」
海広もつられて沖縄アクセントになっている。
「やあやあ正雄さん。ほう、これはまた立派なカツオですねえ」
「煌先生こっち、うちのおとん。頭テトラポット漁師」
「何よ、テトラポットって。ハカセの釣り仲間さ。ね、ハカセ」
そう言って作業台にどんとカツオを置き、空いた手でハカセとがっしり肩を組む。なるほどこの親に、この子あり。豪快な笑い顔は人懐こさが前面に溢れ出ている、のはいいが置くならまずその物騒な凶器からにして欲しい。
「こっちがお前の新しい上司ね? こりゃちゅらかーぎーだね」
「ちゅらか?」
「綺麗とか美しいって意味。ちゅらうみもここからきてる。でも、今のはかわいいのニュアンスに近かったかな」
本当だろうな? その通訳、絶対個人的主観入ってないだろうなと訝しみつつも新出単語を『沖縄弁』の引き出しに仕舞う。
「おとんそれより包丁早くよけて。煌先生おびえとるさ」
「ああ、これ。今ちゃーっとさばくさね」
誰の了解も得ず、尻ポケットにごっそり突っ込んでいた新聞紙を台に敷き直して自由すぎるカツオの解体ショーが突然始まった。比べると体は息子より若干小柄だが、豪快さはオリジナルが遥か上をいく。
観念した息子が生魚の匂いがこもらないように、窓を全開に開ける。
海広の父は鮮やかにどんどん魚を捌くと不要な骨や内臓の部分をこれまた持参したビニール袋に放り込み、あっという間に新聞紙の上で刺身の一点盛りが完成した。
「さ、食べて食べて。海広、ハカセと先生に醤油は」
「はいはい」
「あ、ありがとうございます…」
一枚醤油に浸し頬張ると、濃厚で引き締まった身が噛むと口の中でとろけた。お腹が空いていたので二枚目三枚目と箸が進む。
「すごい…とても美味しいです」
「そうでしょ。釣ってすぐ血抜きするから、ピチピチ新鮮よ。この辺じゃシビも釣れるんよ。こーんな、でっかいの」
煌の食べっぷりを眺め満足そうに頷く。
「シビとは、マグロですね。カツオの釣り方は?」
「今日は、一本釣りね。グルクン引っ掛けて、待つの。エサも、自分たちで獲るのよ」
「タカサゴも? 網漁ですか?」
「そう。アギヤー漁って言ってね、今はあんまりやってないけど、ウチナーの伝統漁よ。網張って追い込むの」
「わ、どこかの記事で読みました。潮流に沿って、素手で追い込むんですよね。潜り手が少なくなってもう珍しくなった漁法だって。すごい、見てみたいな」
煌の瞳がキラリと光って、海広の父はニヤリと笑い、海広が空を仰ぐ。
「見るか? アギヤー漁」
「見たい!」
いつもよりゆっくり流れる時間のせいでつい本音が口をついて出た。よし、と海広の父は腕まくりをする。
「ウチナンチューの誇り、見せたるさ」
「あーあ…。ハカセ〜」
救済を求める子羊のか弱い悲鳴があがる。
「いいんじゃない? 行ってきたら。アギヤー漁はサンゴ礁沖でやるからちょうどいい。調査調査。六時までに戻れなかったらタイムカードはこっちで切っときますよ」
「よーし決まりさね」
「もうおとん、やるなら一人でやってよ」
「漁が一人でできるわけあるか」
「じゃあ誰が手伝うの」
「お前しかおらんっちゅーさ」
「だろうね、やっぱそうなるだろうね」
「海広、そんなこともできたの?」
「こいつは小さい時からおとんみたいな立派な漁師になる、っちゅーてよーく手伝ったさ」
「もう、昔の話だよ。じゃあハカセこの解剖台片付けといてください…」
「オッケーオッケー行ってらっしゃーい」
西ノ森教授に快く送り出され、海広父の車と二台並んで浜に着いた。二人ともウエットスーツを冗談ではなく十秒で着用する。
「先生。漁では網の設置が一番重要さね。いいところに張れば、あとはなんくるない」
「わかったわかった。おとんほれ、空気」
「はは、そんなもんいらんさ!」
「何言っとるさ。自分の年齢考え」
問答無用でタンクを海上に放り投げる海広、それに向かって父は渋々飛び込む。酸素ボンベって海の中で背負えるのか。
二種類の網を順番に、慎重に広げ、海にカーテンがひらひらとなびく。
通常五、六人のチームで網を張る相当な重労働のはずだが、二人には造作無く見えた。水中では会話はできないから全てが阿吽の呼吸だ。見えない親子の糸がしっかり繋がってる。網を張り終えると反対地点に向かい、魚を追い込みにかかる。タカサゴはビニールを嫌う習性があるので、先端にビニールを取り付けたハタキのような形状の棒で魚をびっくりさせながらどんどん網の方へ誘導する。
移動中、海広のカメラから五メートルほど先の父はどんどん泳いで全然待ってくれない。水中でも海広のため息が聞こえるようで、カメラを見ながら笑ってしまう。
水上から眺めていると、鯨の漁を見ているようだ。二頭の影が近くなるにつれ、水面を時々跳ねる魚の群れがどんどん一点に吸い込まれていく。初めに張った網の地点までたどり着くと、かかった魚を一気に船にあげる。
「すごい! この短時間でこんなに!」
「当然さ。こんなんまだ、少ない方よ」
「おとんどんどん前行くんだもん、ちょっとは手加減してよ」
「はっはー! あれくらいで、お前もまだまだね」
漁師人口の減少でアギヤー漁は絶滅する漁法と言われている。タカサゴの漁獲量が年々減る理由や潜水病のリスクを重々知っている煌には伝統が失われるのは悲しい、などと無責任なことは言えない。
だからこそ、人間が育んだ海との歴史を生で見れたことに感動した。そして海広はこの海と父にこうやって育てられたのだなと実感する。
アルバムの一ページを眺めるような気持ちで二人のやりとりを微笑ましく聞いていた。
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