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第12話
「これ、持ってきんさい」
陸に上がり、渡されたバケツ一杯の中には、先ほど釣ったタカサゴの他にいつのまに拾ったのかサザエ、赤貝、シャコガイと貝の詰め合わせも混じる。
「漁も拝見させていただいて、こんなに頂いては申し訳ないです」
「いいのよいいのよ、家で食べてね。またやーさい!」
そう言うと海広父は残りの魚をさっさと自分の車に積んで、出発してしまった。
「嵐のような人だね…」
「だろ? もう困っちゃうよ」
言葉にはちゃんと愛情も滲んでいる。いい親子だと思った。
「海広が色々面倒見いいの、なんかよくわかった」
「あんな炎上案件が父親で、しかも漁業組合会長だよ? 俺の苦労わかってくれた?」
「すごくわかった」
「じゃあ漁やった意味あったわ」
海広はホースを引っ張ってきて気持ち良さそうに頭から水道水をかぶる。
「煌先生、後ろのジッパー、開けるの手伝って」
「こう?」
腰の位置まで金具を下げてやると海広はスーツを上半身まで脱いで、反脱皮の状態になった。
全体を見れば間抜けな格好なのに、無邪気に水しぶきをあげるから胸までの切り取りアップなら何かのCMに使えそうに爽やかだ。生活が庶民的すぎて、本人もお洒落に無頓着すぎて度々忘れてしまうが、再度思い出すがそう言えば一般的にまあまあ格好いい部類なんだった。
違う船から荷物を積みおろしていた漁師たちがそれに気づいて声を掛ける。平均年齢が若いせいか、金髪だったりピアスをしていたりとチャラい印象だ。それでも仕事をしているだけマシではあるが。
「おう、海広。更衣室はあっちだぞ」
集団の笑っている理由が、はじめはわからなかった。けれどなぜか心臓の表面がざわっと毛羽立った。
「男、女どっち入るんか?」
「真ん中作らんとなあ。男んとこだと発情しちゃうだろ」
それは、悪意のない無意識の、しかし明らかなる軽蔑だった。少なくともそういう片鱗を煌は感じ取った。フランクにけなしたり指摘して笑えることをかっこいい、もしくは交友の証だと勘違いする輩を苦手と思っていた。この瞬間を持って嫌いの括りにはっきりと分類される。
面白いジョークを思いついたと言わんばかりに笑う姿にも閉口する。
「おう。お前ら気をつけとけよ」
「わーやばい怖い、食べられる!」
「は? 何言ってんの?」
煌は低い声で海広と両方を睨んだ。
心無い言葉を投げつける低能な集団と、雑な物言いを拒絶するどころかにこやかに会話に乗っかっている海広に瞬時に頭が沸騰した。
「海広が更衣室で男を見て誰彼なく発情することを恐れてるの? じゃあ君たちは生物学上メスなら見境なくどんな人物だろうが発情するってことだよね? そして暴力に訴えて襲うということだね?」
怒りの感情は一番体力を削る。普段省エネで運行しているので怒りのギアを使わなさすぎるせいか、一度振り切ると収まらない。
「え…」
「君たちが今発言したことは裏を返せばそういう意味だよ。そしてそれは、…ああ、誰も気づいてないみたいだから教えてあげるね、『差別』って言うんだよ」
「や、そんなマジになんなくてもいいじゃん。単なるギャグだろ」
「ギャグ? 自分と違うことは変で、変なことは堂々と笑っていい? それが君のギャグだとしたら、一切笑えないから今すぐ思い直した方がいいよ」
威勢の良かった男たちが煌の気迫に完全に押されている。無理もない。限りなく透明に近い、印象の薄い小さな男がいきなり湯気を頭から放ちずんずん近づいてきたのだから。しかしそんな相手の戸惑う顔くらいで怒りは消えない。今ならバケツの中のタカサゴを頬にベチベチ叩きつけてやってもいい。
海広は、有能なダイバーであり素潜りの有名な選手であり、仕事に熱心で海のことに誰よりも詳しくて。あんなに様々な突出した能力を惜しみもなく自分以外のために使って、日々を丁寧に過ごすことが、この中の一人でも海広と変わったとして、果たしてやれるだろうか? 自分には少なくとも絶対無理だ。
だから許せなかった。ゲイという装飾が一つついただけで海広を取り囲む鮮やかな色彩がざっと黒で塗りつぶされることが。
「謝って。海広に」
「す、すんません」
その中の一人が呟いた。聞くが早いが要件は終わったと踵を返す。
「ちょ、煌せん…」
「帰ろう」
助手席のドアをバタンと閉じて、腕を組みながら海広が乗り込むのを待つ。この時ばかりは老いた軽トラが一発で発車してくれないことに苛立った。そして無言の発進。
「センターには…」
「戻らなくていい。教授がタイムカード押しといてくれる」
「はい」
楽しい気分が台無しになった。一言も海広とは話すことなく家に着き、もらったバケツを持って扉を閉めた。
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