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第15話

 不吉な予兆は電話の着信音に始まる。  ラジオから流れる台風の情報に、データを見比べながらも耳をすませていた、まだ空は雨雲の気配など少しも見せないで青く輝く、午後二時。 「どうしたの?」 「おかっぴと純子さんの乗るはずだった成田からの便、欠航だって。今日の便はもう全部キャンセルなんだって」 「予定表出すの、随分早いね」 「去年、関西の空港が水没したニュースあったでしょ。あそこから国内線のキャンセル判断はだいぶ早くなったよ。立つ方も待つ方も直前までそわそわしなくていいからその方が断然助かるよ」  全国のみならず海外からもセンターに訪れる多くの訪問者を迎えては見送るため、旅行会社ほど空港を多く利用する海広は、慌てもせずに答える。 「石垣島の教授は大丈夫? 船は自己判断だよね?」 「よっぽど出航しないと思うけど。下手なことはしないで明後日帰ってきてって、一応ライン送っとく」 「うん、お願い」  嫌わないで、と海広に言われた日から一週間が過ぎた。実質、同じ場所で働いているのだから、あからさまな拒否などできない。というより、正直なところ、何日経っても嫌いという感情は煌の中から湧いてこなかった。加えて、あの湿った夜など一切なかったように次の朝も、その次の朝も海広の態度は変わらないので、家の庭でキスされた出来事など幻じゃなかったのかと錯覚するくらいだ。  リセットボタンが押された状況は感情の処理能力が遅い煌にとっては有り難かった。その一方で、海広の考えがわからないことにかすかな苛立ちも覚えた。抱き慣れない感情を搔き消すように話しかける。 「自然の猛威の前で人間は無力だね」 「みんなが安全に戻ってくることと、海中のサンゴが全滅しないことを祈ろう」  お互い神妙に頷いて仕事に戻った。  無駄な会話はせず、まだ感じない嵐の訪れを待つ二人の間には、静かにラジオだけが流れていた。  事務所の電気を落とし、戸締りをしたら定時で大人しく退勤した。  とはいえ家に帰っても特にすることはない。食事を終え本を読んでいると暗い外では風の音がだんだん大きくなり、雨音も加わって九時ごろから本格的に窓が震え始めた。こちらに来て台風はもう経験しているはずなのに、なぜか今日は一人でガラスが風圧に耐える音を聞くことが心細かった。簡素な造りの家で、薄い壁を挟んで同じ音を聞いているであろうもう一人の男の気配を感じようとしてしまう。風呂にはもう入ったのだろうか、テレビの天気予報を見ているのだろうか、それともいつも通りプリントアウトした分厚い文献を赤線だらけにしながら、英文と格闘しているのだろうか。  煌のことを、考えてはいないのだろうか。  文字の羅列を機械的に追いかけてるだけだったがページをはらりと捲ると、パッと灯りが消え部屋中が暗闇に包まれた。  おかしいな、と不審に思い携帯の光をかざしながらブレーカーを確認してみるが、ちゃんとスイッチは上がったままだ。 「停電…」  思いついた途端、青ざめた。  センターには電力という文明の管理下に置かれた何千種類のサンゴが眠っている。近くに他の家がないので、どの範囲まで被害が及んでいるのかはわからない。 「煌先生!」  勢いよく海広が庭から窓を叩いた。 「やばい、家だけじゃなかったら…センターまで停電してたらどうしよう」 「確認しに行こう。車乗ってて。懐中電灯探してくる」  ノートパソコンをひっつかんで車に飛び乗った。

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