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第2話 カナヘビに続け

 東京の路線図を眺めていると、狭い範囲を複数の線路が平行して走っている場所がいくつもある。相楽が住んでいるのも、そういう町だ。最寄り駅は、アパートから徒歩数分。都心には、JR一本で行ける。あまりに便利で、逆方向を走っている私鉄を使うことはない。そもそも、そっち側に行く理由がない。地方から上京してきた相楽に土地勘がないのも手伝って、行動範囲は、限定されたものになりがちだった。どうやら、そのせいであの店「喫茶シャロン」の存在に気づかなかったらしい。地図をよくたどってみると、すぐ近くにある。住所こそ隣町だが、10分もせずに店の前に出られるようだ。ジョギングでたどった道は、どうやらかなり遠回りだったらしい。 相楽は、少し肩透かしをくらったような気分で、自分にも呆れた。 「なんだ。思ったより、全然近い」 これなら、通うのも苦にならない。しかも、普段使わない別路線の駅からなら、もっと近い。 「学校帰りに寄って、お茶してくっか」 正直、キッチンにいた男のことが、すごくすごく気になる。けれど、大学にも行かなければならない。 相楽は、朝ご飯代わりの野菜ジュースとバナナを腹に詰め込んで、再び家を出た。 ☆  日中は晴れ間も見えていたのに、昼頃から重たい雲が空をふさいでいる。見上げれば、今にも雨粒が落ちてきそうだ。相楽は、普段は使わない私鉄の駅に降り立っと、スマホの地図を頼りに、「喫茶シャロン」を目指した。 朝早くから働いていた男は、店にいるだろうか。いなかったとして。店の人に頼んだら、会わせてもらえるだろうか。相楽は、短い道行の間、目当ての男のことばかり考えていた。 「カラン!カラン!」 考え事をしたままの調子で、勢いよくドアを開けてしまったらしい。頭の上で大きなドアベルの音がして、相楽はびくっと首をすくめた。そこへ、「いらっしゃいませ」の声がかかった。 はっとして顔をあげると、店の奥にキリっとした笑顔の女性がいた。店内は、柔らかなアイボリーと茶色で統一されて、差し色のように黄緑やオレンジが揺れていた。 ─── 母さん、よりも若いかな? と、ぼんやり思っていると、もう一度声がかかった。 「いらっしゃい。どうぞ、お好きな席に」 「あ、はい」 相楽は、上手く返事もできずに、ウロウロと目をさまよわせて、カウンタ―席に座った。 「飲み物はこっちで、今日のおやつはこれね」 店主と思しき女性は、ドリンクメニューを差し出しながら、カウンターの上に置かれたボードを相楽の前に寄せた。それは小さな黒板で、チョークで「本日のおやつ」と書かれていた。 「ありがとうございます」 相楽は、小さく礼を言ってメニューを受取ると、しばらく睨むようにして考えた。 種類はいくつもあるけれど、あの人はどれを作っていたんだろう。 「このおやつって、朝早く男の人が、作ってますよね?」 「ええ。よくご存じですね」 「あ、の、つい先日通りがかって。あ、俺もその時間に走ってて。その、怪しい者じゃないです」 「で?」 店主は、気を悪くした風もなく、それから?と続きを促してくれた。 「その人が、作ったのはどれですか?」 「うちのおやつは、全部あの子が作るの。今日のおすすめは、ベリーのタルトかな。酸っぱいのが苦手なら、寒天がおすすめ。甘すぎなくてさっぱりしてる」 「あ、じゃ、そのタルトとホットコーヒー、ください」 「かしこまりました」 店主は、メニューを下げて皿の支度をはじめた。 手持無沙汰になった相楽は、キッチンの音を聞きながら、店内をぐるりと見回した。お誂え向きに、他に客はいない。 窓のすぐ下に飾棚がいくつかあって、それぞれに花を活けた小さなガラスの花瓶が置いてある。壁の窓と窓の間には、写真がかかっている。庭か原っぱのようで、いわゆるハーブのような植物やどこかで見た事のある雑草のような花が写っている。どれも、浮世絵のように、写真の一角に花や草が配置されていて、残りは大きく空や雲が写っている。余白、というやつだろう。 「あの」 「はい?」 「あ、すみません。この写真は、どこで撮ったものですか?」 「裏の庭よ。甥っ子、ああ、このケーキを焼いてる子ね。その子が、撮ったの」 「あの人が……」 「気になるのね?」 どういうつもりなのかしらと、軽く警戒するような素振りを見せながら、店主は相楽の目の前に皿とコーヒーカップを置いた。 「コーヒーは、一杯だけお替りができます。いる時に声をかけてください」 「はい。ありがとうございます。あの、その人のこと、なんですけど」 タルトに見向きもせずに、話し始めようとする相楽に、店主はすっと手のひらを向けた。 「まず、食べてみましょう?それから、お話を伺います」 ね?どうぞと促されて、相楽は真正面からタルトに向き合った。  その様子を、沢田有実子は観察していた。食べる姿勢は、悪くない。フォークを握って食べ始めると、気を散らすことなく集中している。少々、コーヒーを飲みすぎか。とはいえ、その様子を見て、とりあえず警戒を解くことにした。昨日、甥っ子から聞いていた、妙な男とは多分彼のことだろう。今のところ、店や自分に悪さをするようには見えない。ただ、甥っ子に会いたいと言っているのは、どうだろう。ストーカー特有の粘ついた雰囲気はないけれど、本当のところは、実際そうなってからでなければわからない。 「いかがですか?」 半分ほど減ったグラスに水を注ぎながら、声をかけてみた。すると、相楽はタルトの皿から顔をあげた。 「旨いです」 口の端にわずかにタルトの欠片をつけたまま、相楽は美味しいと目を丸くしている。 「良かった。あの子、毎朝必ず店で出すおやつを焼いてるの」 「毎日、ですか」 驚いた相楽は、フォークを置いてコーヒーを一口飲んだ。 「あの、少しお話しても、いいですか?」 両手を膝に置いて、相楽は神妙に伺いをたててきた。有実子は、どうぞと手の平を向けて促した。 「俺は、美大の学生で、相楽仁といいます。あ、あのこれ」 どうやら、馬鹿正直で真面目な学生らしい。有実子は、差し出された学生証を見て、小さく微笑んですぐに返した。 「相楽君ね。それから?」 「はい。あの、ケーキを作っている甥っ子さんに、会わせていただきたいんです。その、できたら、ケーキを作っているところを、見せていただきたくて」 「何のために?」 「作っている様子を、スケッチさせてほしいんです」 「あの子を?」 確かに見た目は悪くないけれど、と有実子が呟くと、相楽は違いますと首を左右にふった。 「顔じゃないんです」 「ん?じゃぁ、何を描くの?」 「腕とか背中とか、体の動きです。こう、大きな道具を使って、がしゃがしゃってかき混ぜてたでしょ?それから、卵わったり、果物並べたり」 そう言い募る相楽の体は、勝手に動きを真似しはじめる。そのぎくしゃくした動きに、有実子はつい笑ってしまった。 「ケーキを作ってるところが見たいの?あの子の」 「はいっ」 相楽は、思わず立ち上がって、カウンターから身を乗り出すようにしている。その目は丸く、深い茶色の真ん中に懸命さをたたえて、静かに光っている。有実子は、なんとなく大丈夫なんじゃないかと思えてきた。 「そう。なら、本人に直接聞くといいわね。いつまでここに居られる?」 「時間なら、あります!待てます!」 「そ。じゃ、あと1時間半くらいで閉店だから、その頃まで粘ってちょうだい。その代わり、あと一品くらい注文してね」 パチンと片目をつぶってみせる有実子に、相楽は深く頭を下げた。 「ありがとうございます!じゃ、あの、フルーツ寒天!お願いします!」 「ちょっと声が大きい」 勢いのつきすぎた相楽の出鼻は、有実子の一言でぺしゃんと潰れた。 ☆  何も知らない立花連は、いつものように閉店仕事を手伝おうと、店に来た。 「連、あなたにお客さんよ?」 「俺に?……って今朝の。本当に食べにきたんだな」 「はい。あの、お願いしたいことがあって」 「誰に?」 「あ、なたに、です」 めんどうくさそうに問われて、相楽は腰が引けそうになるのをぐっと我慢した。 「嫌だよ。めんどくさい」 実際言葉にされると、破壊力が増す。それでも、相楽もここで負けるわけにはいかない。 なんとか言葉をひねり出そうとして、口をニ三度開け閉めしていると、有実子が思わぬ助け船を出した。 「まぁ、そう言わないで。話くらい聞いてあげなさいよ。ずっと待ってたのよ。コーヒーもおやつも二人前食べて」 「ちゃんと、客らしい事はしたってわけか」 「どうしても、待たせていただきたかったんです。あの、これ」 そういって、相楽が背中のバッグから取り出したのは、手のひらからはみ出しそうな爬虫類が一匹。正確には、金属でできたカナヘビだ。 「俺、こういうものを金属で作るっていう美術をやってます。人をモチーフにしたことはほとんどないんですけど、でも、あの、あなたの仕事ぶりを形にしたくなって。できたら、近くで動きをスケッチさせてほしいんです」 この機会を逃してはならないと、相楽は一気にまくしたてた。手のひらの上のカナヘビが、心なしか震えている。 そのカナヘビの胴体を、立花の指がつまんだ。 「見ていい?」 「はい。どうぞ」 カナヘビを乗せた手を押し出すようにすると、カナヘビがすいと持ち上がった。 立花が目の前にかざしたカナヘビは、金茶に輝く流線形で、じっと見ていると今にも動きそうだ。長い尻尾がしなって、後ろ脚が地面を蹴る様が、想像できる。 「こんなんばっかり、作ってんの?」 「好きに作ると、そうなりがち、です。爬虫類と植物が好きで」 「ふーん。人間は?なんか、あるじゃん。考える人、みたいなのとか。ああいう事だろ?」 「はい。でも、俺は人間をモチーフにするのはあまり」 「でも、俺は描きたい、うーん、作りたい?か?」 「はい。形にしたいんです。あなたの動きを」 動きねぇ。 そう呟いて、立花は口を閉じた。それから、カナヘビを裏返したり、斜めにしたりカウンターに乗せたりしてみた。 「名前、何だっけ?」 「相楽、仁です」 「何を作るか、決まってんの?」 「それは、まだです。スケッチをしてみて、なので、方向性とかも、まだ……」 ダメだろうかと、相楽の目線が下がっていく。そんな様子には頓着せず、立花は条件を持ち出してきた。 「スケッチしてる間、一切しゃべらないってできる?俺に話しかけてもらっても困るし、独り言もやめてほしい」 「できます。やれます!」 相楽は、真剣な面持ちでお願いしますと訴えた。このタイミングを逃してはならない。 「じゃ、いいよ。でも、来るか来ないかわかんないの嫌だから、来るんなら絶対来て。明日から一週間限定ね。で、時間は5時から6時の一時間。遅刻厳禁」 「はいっ!」 「声でけーよ」 「はっ……!」 相楽は、また大声で返事をしそうになった口を、慌てて手でふさいだ。それを見た立花は、くくくと愉快そうに笑いながら、カナヘビを相楽に返した。  希望を叶え、大げさなほどに頭を下げて、相楽は店を出て行った。 「今ならあの子、空に浮きあがりそう」 その背中を見送って来た有実子が、ニヤニヤと笑っている。立花は、妙に照れくさいのをごまかしたくて、口がへの字にまがってしまう。 「さ、片づけちゃおう。明日も早いよ」 有実子は、そんな甥っ子の肩をぽんとたたいて、テーブルを拭き始めた。 ☆ 「有実ちゃん、お休み」  店じまいを終えた立花は、有実子と別れて、店の裏手にある家に戻った。 一人住まいは、気楽なものだ。立花は、寝る前にざっとシャワーを浴びて、出てきたままの形の布団に潜り込んだ。 「何だか、変なの来ちゃったなぁ」 目を閉じれば、昨日から自分の周りをウロチョロしている男が思い浮かぶ。  あいつ、本当に明日から来んのかな?もし来なかったら、有実ちゃんに言って、店の客としても出入り禁止にしてもらおう。 来るか来ないかわからない人間を待つなんて、まっぴらだ。 それに、俺なんか絵に描いて何になるって言うんだ。 まぁ、すぐに飽きて一週間も続かないかもしれない。それならそれで、いつもの毎日に戻るだけだ。……それもいい。 立花は、小さな変化を小さいままに、何なら、なかったことにしてしまおうと思いながら、すーっと眠りに落ちた。  一瞬の夢に、走り去るカナヘビを見た。  お前、俺をどこに連れていくんだ?

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