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第3話
*
いつまでもあの場所にいても仕方ないので、ひとまずその場から離れることにした。
ナツカゲが運転して、アオシと虎の子は後部座席に座った。
「ナツカゲさん、うちの家にチャイルドシートってありましたっけ?」
「去年、政治家の息子を学校まで送迎してた時のやつがあっただろ」
「あー……じゃあ物置だな。新しいの買ったほうが早いな。メンテナンスしてないし」
隣に座らせた虎の子が車中で転ばないように、アオシは虎の子のほうを向いて斜めに座り、腕と体を使って子供の肩のあたりを支えていた。袈裟懸けと腹でシートベルトを二重にかけさせているとはいえ、よその家の子を車に乗せる時は気が気じゃない。
ナツカゲも、子供に配慮していつもよりゆっくり運転してくれている。
「…………ひっ、う、ぅうぅ……おとぉしゃん……ぱぱぁ……おにぃちゃ……っ」
虎の子はさっきからずっと泣きじゃくっていた。
「……泣き虫かよ」
アオシは天を仰ぐ。
なにかしら情報を引き出したいのだが、ずっと泣き通しで話にならない。
車に乗る前、ナツカゲが尻尾であやしてすこし機嫌が持ち直したのだが、車に乗って走り出すとまた不安になってきたようで、泣き始めてしまった。
「こわいよな~、知らない大人ばっかりで。誘拐されたり、こわいことばっかりだもんなぁ。いままで助けてくれる人いなかったんだもんなぁ……」
そろりそろり、虎の子の頭を撫でる。
アオシは子供相手の仕事をしているが、どちらかというと、子供の扱いは下手だ。
ただ、必要以上に子供扱いせず、一人の生き物として対等に接するよう心がけている。子供にはそういった扱いが新鮮に映るようで、これまでの仕事でもなんとか円滑な関係性を築けていた。
そもそも、子供の扱いはナツカゲのほうが得意なのだ。
子供は本能で優しい人が分かるようで、アオシよりもずっと口数が少なくて、見た目がこわいナツカゲに懐くことが多い。
しかも、ナツカゲの場合は、狼獣人特有のふかふかの耳や尻尾がある。それを触らせたら、どんな子供もたいてい骨抜きのめろめろになった。
「俺、兄弟は兄貴だけで弟とかいなくてさぁ、お前くらいの子供のことがよく分かんないんだよ。お父さんとパパと、あと、にいちゃん? ……のとこに連れてってやりたいから、協力してくんない?」
不器用なりに、アオシは虎の子を慰める。
すると、虎の子はふと泣くのをやめて、「きょうりょく?」と鸚鵡返しに尋ねた。
「そ、協力。俺はアオシ。二十三歳。あっちはナツカゲさん、三十三歳。新市街地に住んでる。お前の名前、教えてくれる?」
「ヨキ、三さいです」
親の躾なのか、こんにちは、と礼儀正しくお辞儀する。
「うん、こんにちは、ヨキはいいこだな」
アオシはスーツのシャツの袖口で涙を拭ってやる。
そしたら、「あまくて、いいにぉいする」とヨキがアオシのシャツの袖口に鼻を寄せて、くんくんしてきた。
「そりゃ、そいつが昼メシのあとにジェラテリアでジェラート買い食いして袖にこぼしたからだ」
ナツカゲが運転しながら笑う。
「いいから、ナツカゲさんは黙っててください。……ヨキは携帯電話とか身分証明書とか、そういうの持ってるか?」
「でんわ、ないない」
「家の場所は分かるか? どこに住んでる?」
「おうちは、アンテネブラエ通りです」
「高級住宅街だな」
ナツカゲは、進路をそちらへ変更する。
アンテネブラエは、イルミナシティの郊外にある高級住宅街だ。
アンテネブラエには、アオシとナツカゲの顧客もいる。その地域へ入るには許可証が必要で、二十四時間常に守衛の立つ専用ゲートをくぐる必要があった。一軒一軒の距離も適度に離れていて、生活音も届かなければ、各家庭の部屋の照明も見えないくらいプライバシーが保たれている。
ともなれば、ヨキが富裕層の子供だから誘拐されたと考えるのが妥当だろうが……。
「珍しい虎の子みたいだしなぁ……」
「その毛色、ルペルクスの家系だな」
ナツカゲは、ミラー越しにヨキを見やる。
ヨキの耳や尻尾は、青に見える灰色の毛皮で、もふっとしていてふかふかの綿毛のようだ。瞳の色は緑がかった青色で、知的で優しいけれど、肉食獣らしい光も湛えている。ただ、よく泣く子にありがちな垂れ目で、獰猛さは欠片もない。
「ルペルクスって、五大家のひとつですよね。確か、青虎族……」
「そうだ」
アオシの問いにナツカゲが頷く。
「そういえば、あの運び屋、ヨキを旧ルペルクス邸に運ぶって言ってましたね」
「だが、キャリーケースへ入れて運ぶのは尋常じゃねぇな。見たとこ、純潔のルペルクスでもなさそうだ。半分は人間のようだから、血が混ざってんだろ。となれば、ルペルクス家の誰かが外で妾に産ませた子か、繁殖用に用意したメスを孕ませて作った子か……、そんなところだろうな。……どこの家も、考えることは同じだな」
「…………」
「すまん」
「いや、うん……大丈夫です、……気にしないでください」
微妙な雰囲気が流れて、アオシは空返事でナツカゲの謝罪をなかったことにする。
アオシとは違い、ナツカゲもまた特別な家柄の生まれだ。
ナツカゲの生家は、その名を耳にすれば、誰しもが一度は聞いたことのある名家で、この国の上流社会に君臨する。それもあって、ナツカゲは、同じような特権階級にある家柄の獣人の特徴や生活様式、繁殖についても把握していた。
アオシも、ナツカゲほどではないが、そういう社会の情報に通じている。
もっとも、ナツカゲと違い、アオシは名家の出身ではない。ナツカゲの実家に仕える人間の家柄というだけで、獣人社会においてなんの権限も権力も持っていない。それどころか、人間社会からも人外社会からも馬鹿にされ、蔑まれるような、そんな家の生まれだ。
「ヨキ、お前のお父さんかパパは青虎族か?」
「パパがとらさんです」
「お父さん、パパ、おにいちゃんの名前とか……、あ、そうだ、迷子札は持ってるか?」
「…………まいごふだ!」
ヨキは靴を片方脱いで、「ぱぱが、迷子になった時は、これをおまわりさんに渡しなさい、って」とアオシへ靴を渡した。
「パパちょう最高じゃん!」
靴を探ると、中敷きの一ヶ所にICチップが埋め込んであった。
携帯電話でICチップのデータを読み取ると、自宅の住所と電話番号が出てきた。
試しに、電話番号にコールしてみたが、不通になった。
「これだけ用心深いパパなら、GPSもどっかに入ってそうだな……」
アオシは、ヨキの耳と尻尾を探る。
靴や服といった着脱できるものに付属しているのではなく、ヨキの歯に埋め込んだり、耳や尻尾に仕掛けたりして、ヨキ本人の行動と生体反応を確認できる装置があると考えるのが妥当だが、パっと見では発見できない。
かなり用心深い親だ。
「俺のほうから家の場所とか訊いといてなんだけど、ヨキ、知らない人に名前とか家とか教えたらだめだからな」
「……あ、そうだった」
ヨキは、耳をぴくっと立てて、目を瞬く。
どうやらこの子は、ちょっとのんびりふわふわ育っているらしい。
「ナツカゲさん、ここ行ってください」
運転席側へ身を乗り出して携帯電話の画面をナビに映し、住所を読み上げる。
さっき、ヨキが自分で言ったのと同じアンテネブラエ通りの住所だ。
「分かった。……お前もちゃんと後ろに座ってろ」
ナツカゲはアオシに言い聞かせて、ハンドルを切った。
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