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第2話 踊る謀略と異世界監禁

 高遠エリカと、ルイ・スペンサーがVR世界WOWで出会う少し前。  現実世界日本の、とあるビルのオフィスで蒼ざめた顔の佐藤光琉(ひかる)が、猛烈な勢いでPCのキーボードを叩いていた。  ヴィン、ヴィン、ヴィン。  警告音が最小音量でオフィス中で鳴り続き、紅いランプも静かに明滅していた。    正確かつ早急にこなす必要のある仕事の邪魔にはならない程度の音量、という謳い文句。  だが。  明らかな異常事態を告げ続ける音が響く中、平常心を保つのは誰にだって難しいはずだ。  ロケットを宇宙に飛ばすNASAのコントロールルームのように、複数の画面が立ち並び、首から身分証を下げた人々がせわしなく行き来している。  そんな、集中力が容赦なく削がれる環境でも、ピアニストのように素早く動く光琉の手は、正確無比で、一つのタイプミスもない。  光琉が他人(ひと)からよく『人形みたいだ』と言われるのは、俳優でもめったに見ないほど整っている顔ばかりが原因ではない。  常に冷静で感情を外に出さない性質(たち)によることが多いのだ。  だが、今。必死にキーボードを叩く光琉にも、日常を取りつくろっている余裕はなかった。  そう。  ここは、次世代ゲームを幅広く制作しているポール・スター社。現在、外部の不明団体から、サイバー攻撃を受けている最中だったのだ。  どうやら旧WOWから人気のあるキャラ『ルイ・スペンサー』をシナリオ通り怪我をさせ、殺すことに反対した過激なファンの仕業らしい。  ルイの命が救えるストーリーに変更するならよし。思い通りにならないなら世界ごと滅びてしまえ、と、おかしなバグをVR版WOWにばらまいた者がいたのだ。  普段、ジェネラル・プロデューサーの光琉は、複数の画面を見比べながら、自分の書いたWOWのシナリオの進行状況を見守るのが仕事だ。  なのに、現在は世界を崩壊させかねないバグ潰しにてんてこ舞いだ。  更に光琉には、洒落にならない事があった。 「高遠エリカSEが新WOW内で行方不明になって三時間経過。未だに連絡はありません!」 「くそ!」  報告を受けた光琉の端正な表情(かお)が、歪む。  そう。  光琉にとって、一番の心配事が解決していないのだ。  浮足立ってたポール・スター社(オフィス)内の社員たちも、騒めき出した。 「エリカちゃんが消えて、そんなに経ったのか?」 「こっちで三時間って言ったら、WOW時間で三日は経ってるよな?」 「普段ならともかく、現実世界で攻撃を受けている以上、そろそろ救援隊を結成して現 実に連れ帰った方が……」 「そもそもWOW内は、どうなってる!? 正常に動いているのか?」  ざわざわざわ……  だんだんと大きくなる声に、光琉は動かしていた手をいっそう速め、乱暴にEnterキーを押すと、無言で席を立った。 「あ、佐藤ジェネプロ! どちらに!?」  この忙しい時に、責任者の光琉に席を立たれたら、たまったものではない。  WOW世界のシステムを調整するオペレーターの叫び声に光琉が低く声を出した。 「私が直接、高遠を探しに行く」 「勘弁してください! 現場は他のスタッフに任せて、佐藤さんは是非、陣頭指揮を!」 「高遠は、私が連れてきたんだ。彼の安全は、私が保証しなければ……!」 「我が社にそんな安全保障規約はありませんって! お気に入りが行方不明で心配なのは、判りますが……!」  オペレーターの言葉を途中で遮り、光琉は睨んだ。 「バグは現場ではプレイヤーの精神に影響を与える類のものだと聞いてる。  思考制御されたら、自分が誰かも忘れ、いつ崩壊するか判らないVR版WOWの世界を彷徨うことになる。  高遠は、どこかでバグに巻き込まれているかもしれない。  今は、外部から攻撃を受けて、世界が不安定だ。  正常にログアウトできなければ、命を失ったり、廃人になる危険がある。  他人に任せられない」 「しかし!」 「それに、一般スタッフがWOWの世界に入るなら、シナリオに関わらないモブキャラを使うことになる。  そんなモブキャラで出て行った高遠が、オペレーターが追えず行方不明(ロスト)しかかっているんだ。  二重遭難を避ける為にも、見失い辛い主要キャラの身体を使ってWOWの世界に入る必要があるだろう?」  確かに、光琉ならジェネプロ特権で主人公『ルイ・スペンサー』本人の身体が使える。  これなら、誰も光琉を見失うことは無いはずだ。  現実世界からのバック・アップは、チーフ・プロデューサーの支倉(はせくら)に頼み、モニター制御室のオフィスを出て行こうとした光琉を更に止めた者がいた。 「チープロの支倉 拓也は、現実(ここ)にいないぞ」 「何だって!?」  怪訝な顔で見上げた光琉の視線の先には、ひょろり、と背の高い無精ひげの男が、火の付いてないタバコを咥えて頭を掻いている。  彼の名は木出崎 大介(きでさき だいすけ)。オペレーター部門のチーフだ。  聞き返す光琉に、大介は、肩を竦めた。 「支倉っちーなら、高遠と同じころからWOWで作業するって出て行ったきりだ。  こっちは、定時連絡を欠かしてないし、目立つキャラで出て行ったからな。  誰も心配していない。  連絡もすぐ取れるから、支倉っちーに高遠を回収してもらえ」  言いながら、既にWOWに潜入中の支倉に連絡を取るため、用意を始める大介を見て、光琉は、自分の爪で、手のひらを傷つける勢いで、握り締めた。  そう。WOWに潜入して、作業しているスタッフは、多い。  しかも、緊急事態だ。  ポール・スター社の高位の役員として、自分に一番近しい存在の高遠の安否ばかりを心配するわけには、いかない。  そんなこと、光琉も理性では判っているのに……!  感情が。  もっと深い所から湧き上がる、本能に近い何かが、光琉を突き動かそうとする。  それが一刻も早く高遠エリカの元へ急げ、と訴えていた。  こんな感覚は、初めて高遠と出会った時以来だ、と光琉は唇を噛む。  あの時。あの夜。あの峠の高速で。  かなり速度を上げて走行中の自分の単車(バイク)に難なく追いつき、抜き去って行ったエリカの背中を見た時。  ここで逃がしたら、二度と出会えないかもしれない、と思った恐怖にも似ている。  なんで、通りすがりの誰かを見失うのが怖いのか、判らないまま。必死にその背を追いかけて、ここまで来たのだ。 「く……」  喉の奥でうめき声をあげた光琉が、改めて自分で行く、と言おうと思った時だった。  大介が、光琉を見た。 「支倉っちーとも、連絡がつかない……!」 「え!?」 「しかも、ここ二時間分ほどの定時連絡は、ダミーだった。  もしかすると、支倉もWOWで遭難(ロスト)している可能性がある!」 「何だと!?」  こうなっては、光琉を止める者は、誰も居なかった。  光琉は、自分が不在の後任と、万が一の時の指示をテキパキと伝えてゆく。  そしてフルフェイス型のWOW導入機(ヘッドギア)を小脇に抱え、オフィスを出て行こうとして、光琉は大切な事を思い出した。 「今日支倉は、どのキャラの中に入って作業していたんだ?」  光琉の質問に大介は、ああ、と頷きその名を告げる。 「エドマンド・アイスマン。ルイの片目を奪う設定のパルティア帝国大神官、だ」

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