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僕の……(第3話)
「ただいま」
暗闇から返事が返ってくる訳ないのに慣れになってしまった挨拶を今日もまた繰り返し、廊下を通ってリビングへと向かう。
「寒いな……」
二十三度と設定した暖房をつける。服はお風呂に入ってから着替えたらいいだろう。ソファにもたれ、テレビを付けるとどのチャンネルも特に面白そうではなかったが、『春の絶品グルメ旅特集』の文字を目にしてそれに決めた。
机に置いた夕食は袋からも熱が伝わってくる。コロッケにメンチカツ、唐揚げ。僕の定番夕食メニュー。おにぎりは商店街になかったのでコンビニでエビマヨと梅を買った。
「いっただきまーす!」
箸で割った時からじゅわっと溢れた肉汁が口いっぱいに広がる。肉々しいが玉ねぎの甘みも感じ、ソースなんか無くてもあっという間にペロリと一個を平らげる。
「エビマヨ、半額で良かった〜」
海苔のパリッとした音。もちもちのご飯の中に隠された甘く酸っぱいマヨに絡まれた大きいエビ。美味しい。
『うわあ〜紅の宝石イクラが、溢れんばかりに……! 口の中でプチプチと弾け、ここが楽園か〜!』
画面ではレポーターの男性が幸せそうに食べている。高級そうだから当たり前かもしれないけど、本当に美味しそうだ。
(まあ、僕にはこの商店街飯がお腹にもお財布にもあってるけどね)
もう一口食べるとエビは無くなり、マヨとご飯だけになった。
『これ、お高いですよね〜?』
『……まぁ、はい。普段は二千円で提供しているんですが。今なら九百八十円で』
「九百八十円……? これが?」
レポーターと同じ反応になった僕はテレビに体を動かした。
『はい。今ならカップル割引でこの値段で提供させていただいてます』
カップル。その言葉に膨らんだ気持ちが急激に萎んでいく。
『皆さん、聞きましたか!?しかも結婚されていてもよろしいようです!バレンタインイベントのこの季節にぜひ、ここーー』
「そりゃ、そうか……」
そうでもしないとあんな高い物が安くなる訳がない。しかもこの季節はクリスマスに次、恋する者たちの季節であるバレンタインだ。
「……ほんまに安いんかは、僕には分からへんけど」
これは強がりだ。誰かが聞いたら見苦しいほどの強がり。でも、どんな言葉でも今の自分の現実を叩きつけられてるようで、反応してしまう。
(弱くなっちゃったなあ……僕)
ごくんと飲んだ米粒が小石みたいに感じてしまった。
ブー、ブー。どこからか音が鳴る。ポケットには入れない主義の為、辺りをキョロキョロ探すと黒のショルダーバッグは入り口に置いてあった。
鞄を開けると、画面には懐かしく今日も聞いた名前が表示されていた。
「はい、もしもし」
『日和〜。出るの遅かったなぁ。何かあったん?』
「いいやあ、別に」
『ふーん。な、これから寿司食べに行かへん? といってもほぼ百円で回転してるとこやけど』
「あー、ごめん。もう夕飯食べたんよ」
電話越しから「え〜! つまらん〜」と賑やかな声が聞こえてきて、思わず笑みが溢れる。
相手は夏目悠治夏目 悠治 。中村書店の取次さんで関西に住んでた頃からの幼馴染だ。
『ま、こんな時間やったらしゃあないよな。まだ八時やけど。お前、すぐ腹減るやろ?』
「うん。ペコペコやった」
肩でスマホを抑えながらさっきの場所に鎮座し、テレビの音量を小さくする。
『今日は何食べたん?』
「コロッケとメンチカツとコンビニのおにぎり」
『うわあ〜。汁物ないやん』
「そこは野菜ないって言わへんの?」
『えー、だって玉ねぎとじゃがいも入ってたら野菜はOKやろ?』
その返答には我慢出来ず笑う。彼は僕なんかよりもスマートで仕事が出来る奴ではあるが、食の趣味は似ていた。
「そんなんやったら彼氏さん、食生活偏る! って怒らへん?」
悠治君にもパートナーがいる。恋愛事に関しては気分が乗らないが、親友に大事な人が出来たことは素直に嬉しいし、これくらい僕の役割になるだろう。
肘で突っつく動作をしながら言ってみるが、直ぐに返答はなかった。
『……新しい彼女の前ではそんなこと言わなかったらええよな』
あまりにも優しい声が聞こえてきて、胸が締め付けられた。
悠治はSwitchでゲイだ。SwitchというのはDomとSub両方の性質を持っており、状況や相手に合わせて変えること出来る特殊で稀な第二性であった。
それに彼はノンケを好きになりやすいゲイらしく、「まあ、燃えるよな!」なんて笑いながらカミングアウトされた事があった。
『いやあ、まさか鈍い日和に見破られるとはな』
「本当にごめん……」
『走るのも遅くて体もどっしりとしてるのにな!』
「そ、それはそうだけどさ」
声のトーンはさっきと変わらず、ごめんごめんと笑い声と一緒に返ってきた。
『いつ言うか迷ってたしな。ええ機会やったよ。日和は? 例の女の子とどうなったん?』
一週間前にSNSで知り合った女性と出会うことになり、緊張しながら彼に相談したことを思い出す。よく考えたらあの時もこんな時間だったっけ。
傷口が痛い。深く引っ掻かれたような部分が完治するのはいつだろうか。
「……用事があったみたいで、おじゃんになっちゃって」
『へえ〜。ま、今度はゆったり楽しんで来いよ』
「うん、ありがとう」
その後は本の話をした。どんな本が人気が出てるとかとある作家さんの話とか。適当に喋り、電話を切ろうとすると、「おい、日和 」と呼び留められた。
『お前から電話してきてもええからな』
フランクな声だった。真面目でシリアスな場面とは違う。そんな感じだった。
「そうだね。また、連絡するよ」
親指で受話器マークを押すと、画面に九時〇〇分と表示されていた。ガヤガヤと聞こえるテレビを見ると、ウエディングドレスに身を包んだ女優が笑顔で記者の質問に答えている。その首には金色の輪っかが。
──なんで、僕にはパートナーがいないんだろう。
「寝よう」
お風呂じゃなくてシャワーでもいい。明日は休みだしなんなら朝でもいいや。テレビに背を向け、ソファに横になって目を閉じた。
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