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誘い文句(第12話)

「はい、もしもし!」 「日和さん、今日も一日お仕事ご苦労様でした」  週に一度の楽しみ。土曜日の夜十二時にサキさんから電話がかかってくる。 (ああ、この一週間を乗り切ったと思える至福のひととき) 「サキさんこそ、お仕事お疲れ様でした」 「ふふ、日和さんにそう言って貰えるととっても嬉しいな」  心臓が跳ねる。口角が緩み、気を抜けば変な笑い声が出てしまう。  彼の言葉はどうしてこんなにも心地が良いのだろうか。大好きな食べ物をたくさん食べるよりも、彼の一言が心の栄養になっていくのが分かる。 「ぼっ、僕もサキさんに労いの言葉をかけて貰えて嬉しいです……!」  「ほんと? 可愛いことを言うんだからもう!」今、サキさんの周りに花が咲いているイメージが浮かぶ。 「ご飯はちゃんと食べたかな。今夜は商店街で何買ってきたの?」  夕飯のメニューを話した頃から定番となった話題。「お仕事が大変なのは分かるけどバランス良く食べるんだよ」と注意されることもしばしばあるが、何故か気分は悪くない。 「いえ、今日はカレーを作ったんですよ」 「へー! 自炊もするんだね」 「凝ったものは作れませんがね。具は一般的なもので、サイズも大きめなごろごろカレーなんです。お肉はポークやチキンとその日の気分次第。男子校の家庭科では賛否両論ありましたが、両親には大好評で!」  母さんが専業主婦を一旦降りたのは僕が高校生の時。最初は馬鹿にならない私立高校の学費かと父さんと問い詰めた。 『家庭には満足しているわ。学費は心配しなくていいのよ日和。ただ、夢を諦め切れなくて……』  話を聞くに、教師の道を目指したい気持ちが芽生えたという。  DomやSub等は男女区分に次ぐ第二の性だ。能力的な差はNormalやSwitchを含めてもないとされているが、やはり精神面のバランスを維持しづらい一因にはなってくる。母さんはSubだった。  反対されるかと思いきや、根が穏やかな両家からは応援の声が上がり、親子揃ってガチ泣きしたのを覚えている。その頃から商店街の弁当が夕飯代わりだったり、祖父母がときどき手伝いに来てくれていた。週に一回は家庭科の教科書を広げ、カレーを鍋いっぱいに作り両親と食卓を囲んでいた。 「僕が少しでも辛いと食べらないので、作る時は決まって甘口でした。子供舌は一向に治らず、今も中辛はいけません」  必死に猛勉強をした母さんは現在、中学の養護教諭を勤めている。たまに中村書店で「樫先生の息子さんいますか」と元気な中学生達から突撃訪問を食らうのは玉に瑕というか、母さんが信頼されている証というか。  思い出に浸り過ぎてつい喋るのが長くなってしまうと、スマホの向こうで無言で息を飲む音がした。 「あ! すみません、僕ばかり喋ってしまいましたね」 (サキさん相手だと不思議と話しやすくて色々喋っちゃうな)  学生時代の話やお客さんの話、テレビの話をすることもある。どの話題に関しても彼は聞き役に転じ、適度な相槌とテンション高い反応で盛り上げてくれる。  カレーのくだりでは母の話まで話題をスライドしてしまった。 「気にしないで。カレーは日和さんにとって大切な家族の味なんだな、とつい無言で聴き入っちゃったわ」  家族の味。母が教師を目指す前もそうだが、僕の家族はその日食べるメニューが一人一人違う。好き嫌いは特にないけど、例えば母さんは中華で父さんは和食、僕は洋食といった感じだ。用意する側もさぞ大変だったろうに違いないが、特に疑問を抱くことなく成長した。  出来たての惣菜の日は数種類。カレーのトッピングでさえチーズか卵、醤油と全く別々。  サキさんの話を聞き、合点がいく。どんなに仕事が遅くても樫の家は家族全員揃わないと食べない。でも週に一度だけでは、同じカレーを食べる。両親と食卓を囲み、喜んで食べる笑顔を見て作りがいを感じるだけじゃなかった。心の底から温かいものが巡り、ポカポカしていた。今も似たような感覚がやってくる。 「……はい」  サキさんと話す中で気付いたことがある。普段や今までの自分なら気が付かなかったことに気付かされたり、改めて見つめ直したりする機会が増えたことだ。 (サキさんはやっぱり凄いなぁ……) 「日和さんが一生懸命に話すところを想像するだけでなんかこう……可愛いの。気付いてた? 話題に上がる中心人物は日和さんじゃなくてほとんど違う人。たまに噛んじゃうところも大切に想っている証拠なんだと微笑ましくなっちゃう」  耳から流れてくる褒め言葉は頭をふわふわさせ、鼓動を速める。こういう形もまた、DomとSubの信頼関係を得るコミュニケーションの一つだ。  「メールに限らずさ、通話もしようよ」と誘われた時はどんなに嬉しかったことか。  自己肯定感の低い僕は未だに、サキさんを十分に満足させられているか分からない。彼は思いやりのある優しいDomだから。 「今は何してるの?」 「あ、今ですか……? 今は……は、は……はっくしょん!!」  盛大にくしゃみをすると、身体がぶるりと震え、鼻水が出た。 「お……風呂から上がったば、ばかりです」  約一時間前に遡る。  入浴後にリビングへ戻ると机の上で振動しているスマホを目にし、飛びついてしまった。腰に巻いたバスローブや頭を拭いたタオルは足元に落ち、床に水滴が零れる。扉は開けっぱなし。この時間帯に来客はいないから全裸でも大丈夫だけど、 (何か羽織れば良かったな) 「サキさんは通話するまで何をされていたんですか?」  ティッシュ箱で鼻水を拭きつつ、全裸であることはバレないように話題を逸らす。心配はかけたくない。暖房をつけ、バスタオルで乾き切っていない体をもう一度拭く。 「私は読書してた、かな?」 「読書! いいですね。どんな本を読まれるんですか?」  軽く拭き終わった。今度はタンスの引き出しを持つが手前で引っかかり、上手く開けられない。肩でスマホを押さえながら両手を使う。 (週末に整理整頓しなきゃな。開けゴマ!) 「ねぇ、……たまには顔を見てお喋りもしたいよね」 「よいしょ、え? がはっ!?」  大きな音を立てて引き出しが飛び出す。尻餅はついたし、股間に違和感を感じた。視線を落とせばスマホが男性器を隠すように張り付いている。油脂と水滴でベタベタする。気持ち悪い。  そんなことよりも通話中に大きな音を立てたから心配されるかもしれない。スマホを鷲掴み、画面を確認する。 「えっ……?」 「わお〜。おちんちんからお出迎えとは随分大胆だね」  画面には頬杖をつき、笑顔のサキさんが映っていた。 「さ、サキさん!?」 「テレビ通話、知らない? さっき承認送ったらOK来たんだけどね。ふーん、全裸か〜」  語尾を上げ、桃色の視線を上から下へねっとり動かす。彼には多分、胸くらいしか映っていないだろう。 「髪の毛が少し濡れてる。お風呂上がりだった?」 (サキさんに裸を見られた……!)  体を物理的に重ねたことはあっても、全身を見せたことなんてない。  慌てて空いた方の太い腕で胸元を隠す。 「待てなかったのかな?」  綺麗な瞳が僕を見つめる。醜い巨体を、億を払っても手に入らない宝石に映している。 「可愛いね。もっと、全身を見せて」  画面越しからでもDomの性に対するオーラが伝わって来るようで、僕は逃げるように視線を逸らした。  グレアと呼ばれる眼力は大抵、Domがプレイ中の不機嫌な際に力を発揮するようだが、サキさんの眼力はなんというか惹かれるし、通常時でも強い力がある。 「ダメ……です……」  ここに彼はいないと理解していても、反射的に手を画面に向かって出してしまう。 「僕、醜い体型をしているので……見苦しいだけだと思います……」  体型に自信を持ち、活躍出来ているのなら問題はない。僕にはどちらも持ち合わせていなければ、安心出来る空間以外だと他人の視線を気にし過ぎてしまう。 「……そんなことない。見苦しくなんかない」  落ち着きのある声には静かな怒りを感じた。 「体を重ねた仲なのに悲しいよ」  背筋に電流が走り、強ばる。 (嫌だ、嫌われたくない)  いつからだろう。優しい相手に対して嫌われたくないと思い始めたのは。 「すみません……」  いつから口を開けば謝罪ばかりするようになったんだろう。やっぱりいじめられたトラウマがあるから?  サキさんがいつか裏切ってしまうと恐れているから? 「ごめ、んなさい……」  俯いたら目に水の膜が張り、ぽろぽろと雨粒が落ちていく。 「私は日和さんのことを魅力的な男性だと思っているよ。体型を含めてね。誰がなんと言おうと私にはそう見える。価値観の違いがあったとしても必要以上に自分を卑下しちゃダメ」 「わ、分かりました」  自分の為に怒ってくれているんだ。鼻を鳴らすと奥が詰まって咳き込む。心から生まれた負の感情もなかなか消えなくて苦しかった。 「日和さん」  覇気のあった目が穏やかに垂れ、僕を助けてくれた彼が浮かんでくる。道行く人がひそひそ悪口を言う中、手を差し伸べてくれた素敵な人。膝歩きでスマホに近寄った。 「気持ちいいことしたら、ネガティブな思考も忘れちゃうよ。そろそろお手伝いの時間にしよっか」  毎回お決まりとなった誘い文句に僕は唾を飲み込んだ。

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