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知っていること(第15話)

「休憩いただきます」  お客さんの足取りも少なくなった十三時頃。店長とパートの山田さんに代わり、休憩を取る為にバックヤードに入って行けば先客がいた。 「あ、坂下さん、お疲れ様」  スマホの画面から顔を離すなり、坂下さんは僕に会釈した。机には総菜屋のスーパー袋がある。ここの商店街のだ。  僕は邪魔にならないよう、彼女の斜め前の席に座り、青い巾着からお弁当箱を取り出す。 「今日は惣菜じゃないんですか?」 「え? あ、うん」  机に身を乗り出し、興味津々なようだ。蓋を持つ手が震えたが紺色の弁当箱を開けた。  中身はお世辞にも言えないぐちゃっと散らかっていた。白身と黄身が分裂したスクランブルエッグ(焦げてる)や冷凍食品のミニハンバーグ、同じく冷凍食品の蓮根を挟んだお肉のものがおかずカップから溢れていた。 (サキさん宛の写真に時間をかけ過ぎたからなあ。走ったおかげで中身がぐちゃぐちゃだ……)  初めての弁当作りに落ち込む僕とは反対に、坂下さんは興味を無くしたみたいで、またスマホを見るために机から体を下ろした。 「いただきます」  食べてみると案外美味しい。冷凍食品類は大手食品メーカーのイチオシともあり、冷めてもジューシーさと肉の柔らかさが残っている。もちろん、今朝に熱々を味見済みだ。  スクランブルエッグは半生に感じるため、もう少し改善しなくてはいけないが。 「……彼女さんですか?」 「……んは、んく……っ。え、なんで……?」  このドキドキは詰まりそうになったせいか、それともサキさんの存在が浮かんだせいか。  坂下さんはスマホから目を離さず口を開いた。両手を巧みこなし、素早く文字を打っていく業には僕も店長も脱帽する。 「以前の樫さんだったら、ほうれん草のお浸しやきんぴらまで品数に加えませんでした。しかも手作り弁当でなく、川村総菜屋やマミマのコンビニ弁当。それに………」 「よ、よくご存知で。確かに川村総菜屋さんの日替わり弁当や唐揚げ弁当は美味しいからね〜。あ、でも、食べないってわけじゃないよ? 昨日も一昨日も昼と夜はお世話になりました」 「そうですか……。じゃ、なくて、好きな人……彼女がいるんですか?」  好きな人と言われ、思い浮かぶのはゆるふわした金色の髪が鎖骨まで伸び、茶色の太眉が緩み、サーモンピンクの唇とピンクダイヤモンドの瞳。柔らかく笑うサキさんだった。  僕を見る坂下さんの目は鋭いもので、隠し事も無駄であるような気がする。あまり嘘を吐くのは得意じゃない。それに、ようやく築いた信頼関係にヒビを入れる可能性もあった。腹を決め、箸を置く。 「まだ付き合ってはないけど、相手の仕事場で出会った人でね。優しくて綺麗な人なんだよ」 「へ、へぇ……。デートにはどれくらいの頻度で行ってるんですか」 「デート? そういえばまだかな。連絡を交換したきり、きちんとは」  坂下さんに説明しながら計算する。何日単位の程度じゃない。DomとSubのプレイや通話を重ね、心の距離は近づいたはず。  しかしながら、互いの体温を感じながら触れる機会があったのはジーンズを取りに行った以来ない。 (さらっと口にしたけど、僕達はまだ付き合っていなかった)  実際、パートナーと結婚相手が別々のDomとSubは少なからずいる。少数派の意見にはなるが、必ずしも運命的の人ではないため夫や妻も了承済みだ、とインタビューに答えるパートナーもいた。  不穏な想いが心を掻き乱す。 「じゃあメールか電話でのやり取りだけですか? 綺麗って誰の基準ですか。血液型は? 誕生日は? 歳はいくつですか、好きな食べ物はなんですか、どこ出身なんですか」 「坂下さん……?」 「付き合ってもないけど彼女ってなんですか、それってパートナーって言えるんですか? 違う。彼女(Dom)の傲慢だそれは。首輪の約束も出来ないのなら信頼関係は築けていません。日和(Sub)はただの性処理機なんかじゃないっ!! ……はっ」  立ち上がった彼女は息を切らし、震えながら僕を捉えた。顔色は青ざめ、動揺し、怯えていた。 「食事中にすみません……。顔を洗ってます」  手洗いと反対方向に坂下さんは駆けていく。彼女のカバンやスマホは置かれたまま。  一人残されたバックヤードで彼女の叫びがまだ耳の奥に残っている。悲痛で、心からの怒りだった。 「性処理機……」  坂下さんにはそう映ったのだろう。僕達の関係が己の欲を解消するために結ばれた、いわゆるセフレに。不穏な想いは雲を発生させて雨を降らせる。 (……パートナー……首輪)  首輪とは別名『Color(カラー)』。後者の呼び名のがDomとSubには一般的だ。  正式なパートナーの証でもあり、結婚指輪に似ているそれはDomがSubに贈る。Subもまた、カラーを受け取り身に付けることでDomの所有物だと認識し、精神が安定しやすくなる。形状からNormalの人達には理解されづらいが、二人の間に絶対的な信頼関係や絆がなければ贈らないし、受け取らない。 「樫君、ボク、坂下さん迎えに行くから店番頼むね!!」  暖簾から顔を出した店長が慌てた様子で出て行った。一本の赤い傘を握り締めて。僕は頷くこともままならなかった。 (好きなもの……)  サキさんはよく、ファッションにピンクを取り入れる。瞳の色と同じだからなのか、好きな色 だからなのか、何故ピンクなのかも分からない。  Domである彼がSubにしたい欲求は理解しているつもりだ。たまたま僕の欲望と合致しただけで、他にも似た欲望を持つSubは世界に何万と存在するだろう。 「僕は……」  小雨は数分足らずで大雨に変わる。地面を叩きつけ、雷がゴロゴロ鳴り、裸電球は三回くらい点滅した。

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