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東雲(第21話)

 外はもう陽の光が雲の間から差し込んできた。まだ夜の顔は残っているが、紫とオレンジのグラデーションが美しい。 「はぁ……。あ、まだ星は見える」  綺麗な星々にもくすんだ心が洗われる。朝の時間帯でも流れ星があれば最高にロマンチックだと思った。  ポケットの中でバイブ音が鳴り、慣れた手で取る。 『日和〜! ハピバ〜!』  『一日遅れだけどごめんなあ〜』とやけに明るい声で謝られる。「大丈夫だよ」と返事をしてからポケットに突っ込んでいた片方の手を取り出した。 (すっかり忘れてた。もう誕生日か) 『日和の方が歳上か〜。時の流れってはえーよなぁ』 「歳上って……。悠治君とは一ヶ月しか違わないよ」 『なあなあ、今日二人で盛大に誕生日パーティーせぇへん? 同時にさ、成人式ならぬ……思い付かへんけどこれからも三十代を一緒に生き抜いて行こうぜ! みたいな会もやろ。絶対面白そうやん!』 「うん。すごく楽しそう」  悠治君は昔から企画をするのが好きみたいで、生徒会や部活も率先し、イベント係を引き受けていた。今もその経験と才能を生かし、書店さんにアドバイスすることもあるそうだ。綿密に計画を立てるのもお手の物らしく、これもなんだかんだ前から準備してくれたサプライズなんだろう。 『パーッと食べて飲もうぜ。どうする宅飲みにするか? それとも外食か? ついでにパートナーいない同士さ、ハングリー精神で頑張っていくぞ会もせえへん?』 「……パートナー」  その単語に歩く足が止まってしまい、スマホが少し傾く。画面に綺麗な東雲の空を映す。 『仮にその人と上手くいかんくても、自分が成長するための経験値やと思わなあかんよな。いつまでもぐずついとったら運命の神様なんか知らんぷりしよるし』  悠治君は強い人だ。転んでもすぐに起き上がって前進する。彼が開いた道がまた誰かを導く。 『……って、主役の気分を暗くさせちゃ親友失格やな。パートナー云々にしろたまには飲むことも必要やで? 意外と忘れられるからな。今日は日和の好きなもんなんでも食べさせるし、飲ましたるし、叶えたる。なんでもやで!』  踏み切りを渡れば、もうすぐ商店街がある。睡魔を求めて散歩を続けるのはどうかと思ったが、そろそろ疲労が溜まる頃合い。頬は熱くても体の芯は冷え、息も今更上がり始めた。 「なんでも……」 『そうや! 親友からの誕生日プレゼントや。なーんでもええで?』  親友は流れていた音楽を止め、僕の返答を待っていてくれた。小さなしゃっくりが向こうからする。酔っている可能性大。じゃなきゃ、悠治君は『なんでも』という言い方を絶対に軽く口にしない。彼がケチ気質なのを幼馴染だからこそ理解している。 (酔っているのなら)  僕は下戸だから酒では酔えない。ね、今の悠治君はおかしい。  でも、酔える感覚くらいはなんとなく分かる。ふわふわするんでしょ。一時の辛さも忘れられるくらい幸せなんだよね。  遮断機が降り、足止めされた僕は移り行く空を仰ぎ見る。 「そうだなあ……。褒めて、欲しいなぁ……」  ガタンガタンガタン。 「うん? ホテル。お前、何言って……」  存在を肯定して、褒めてくれる人が欲しい。 「こんな僕でも好きになって欲しい……」  変わらなくても、変わってもやっぱり好きでいて欲しい。  口の中が粘つき、鼻水が垂れる。寒いのは朝方だからかな?  電車が通り過ぎ、閉ざされた道が開く。僕の足は地面に張り付いたままだ。 「僕の隣にずっといて欲しかった……」  これから先も、ずっと、ずうっと。おじいちゃんになってもしわくちゃの手を握り締め、この空を共有したい。  離れるのはやっぱり嫌だった。お別れはきつくて辛い。 「……日和?」 「やっぱり、僕……サキさんのこと、めっちゃ好きや。どうしたら嫌われなかったのかな、ゆーくん……」  放尿し、愕然とする僕の介抱したのは誰でもないサキさんだった。 「ご、ごめんなさ……」  サキさんがふわりと全身に羽織らせたのはブレザーだ。花の匂いが微かに残る紺色のそれを僕の汚れた体を包み込む。 「尿の染みが……!」 「気にしないで。今、バスタオル用意する。共用のシャワールームも貸してあげるから少し待っていて」  そのまま軽々と抱っこされ、大理石のところに座らされる。相当な力持ちであることを認識するより先に、向けられた背中に猛烈な胸の苦しさを覚えた。 (行かない……で。一人にしないで)  袖を掴もうとしたが掠り、扉に施錠され部屋に一人残った。待つ間は時が長く感じられ、酷。不安に押し潰されそうなる瀬戸際に、彼は新品のバスタオルとやかん、桶を用意して戻ってきた。  風呂桶に温かいお湯を注がれ、バスタオルを浸して僕の体を拭き始める。脇の下、首元、足の甲まで。 「痒いところは?」 「ありません」  なかなか人に体を拭かれる機会もないため、小っ恥ずかしい。強く擦られず、彼の気遣いは感じていたが。 「痛いところは?」 「……ありません」 (心だと答えたらどんな表情するのかな)  脳内に住む悪魔が囁き、僕は懸命に追い払った。隣同士に座っているので視線は絡むがすぐに逸らされ、意識的に伏せ目がちで清拭される。  鬱陶しいに決まっている。ご褒美はないんですか、なんて聞くのも野暮だ。 「胸とお尻は……」  白濁色に汚した前と、痛みは少し引いたがピンク色の手跡がつく下。サキさんがタオルを強く握り締める。 「お、お気になさらず。サキさんに迷惑をおかけしてもいけません……し、後は自分で出来るので」 「……そう」  まともな会話はこれ以降ない。能面の顔つきになり、ただじっと見つめられていた。  僕が拭き終えた後はハルさんと交代し、裏口から退出させて貰った。脱衣してからのプレイとはいっても、早漏の僕はまたもパンツを汚した。帰り際に大きいサイズのスウェットパンツをハルさんから貰い受けた。  だからサキさんと最後に話したのはあの部屋。別れたのも囚人が罪を償うような部屋の中。ハルさんと交代することは事前に聞いてなかったから、無言で立ち去った後も孤独に不安と闘う。  しかし、扉からあの青年の格好をしたサキさんが現れることは、二度となかった。 (どうすれば良かったのかな……?)  僕が聡明な人物だったら隣にいられた可能性は何パーセントだ?  スタイルも良く、可愛いも完璧に備えた男だったらさきさんは手放さなかったかも。 「僕は……、ゆーくんみたいに強くなれない……」  まだ人通りの少ない時間帯の道で視線を感じる。そりゃそうだ。三十も過ぎた男が子供みたいに泣きじゃくるのだ。異様な光景には間違いない。 「……日和。今どこだ」 「どこ……って。商店街前の踏み切り前」 「そこにいろ。一歩も動くな、五分で着いてやる。てか動いたらぶん殴る」  久々に親友の怒りの籠った発言に恐怖を抱いたが、繋ぎっぱなしのスマホから騒々しい音がする。約束は五分だと伝えられたが、実際は三分ほどでやって来た。 「日和!」  拳の中で車のキーが暴れている。悠治君が住むマンションへはここから最短でも二十分はかかる。  刈り上げ頭でにへらと笑い「マジで鳩が豆鉄砲食らった顔してんな。ま、種明かしは後や」と下げた目尻を元に戻す。強面な顔に影ができ、彫りの深さが目立つ。 (昔みたいに縁切りたいと言い出すんかな。ピーピー泣く奴は親友とちゃうとか……?) 「あのな」  彼が一歩進むと、反射的に後退りするのは昔の癖。悠治君は苦虫を噛み潰したような顔をし、すっと息を吸い込んだ。 「俺はめっちゃ日和のこと好きやで!!」 「……え?」  朝方の大声に驚いた鳥達は電線から羽ばたいていく。あいにく僕には翼がない。 「いやまじ、人として好きやからな! 好き嫌いありそうで実はきちんとそれぞれの良さを知っとるとことか!」 「え、それは優柔不断というかコミュ障というか」 「ちゃうな。幼馴染の観察眼を舐めんなよ。学生の頃は一人一人の好みを調査したノートを作っとったやろ!」 「なっ!?」 「あとは食の好みでこんな気合う奴おらへんと思ってる。野菜を食べやんでも怒らん奴、初めて見たわ」  どういうことだ。瞳に潤いがあるから泥酔までいかないと思うのだが、真顔でどこを掘り返しているんだ!? 「……それに、お前ほど他人の苦しみや痛みを分かち合える奴はおらん。もっと自信持て」 「自信持てと言われても……」 「あかんか? 今ので五つ……いや、二十年分くらいは言うたで。褒めて欲しいという誕生日プレゼントにはまだまだ足りんか?」  ああ、そうか。どうして悠治君が意味深な発言をし出したのか腑に落ちた。 (僕が泣きながら呟いた言葉、実は聞こえていたんだ)  朝日が昇り、僕達の顔は照らされる。東の方を向き、うんと腕を伸ばした。体の内側もぽかぽかだ。 「お天道様が顔出し……」 「うん? 僕の顔になんかついとる?」  視線に気付き振り向くと、今度は悠治君が豆鉄砲食らった顔になる。 (服装のことやろか) 「……いいや。とりあえず日和んとこまで送っていくわ。話は車中でも部屋でも聞いたる。だから、泣くな」  バシッと背中を強く叩かれ、咳き込む。加減を彼は知らない。知らないから良いも悪いも心に踏み込んでくる。 「こほ、こほっ……。うえ、ごめ、悠治く……」  幼馴染で親友の気遣いも相まり、涙腺が刺激された。 「あー、もう。泣いてええから。よーしよしよし。車あっち停めとるから一緒に行くで」    

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