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ミルク無しのココア(第22話)

 キッチンからはお湯を沸く音が、エアコンからはまだ暖まりきってない冷風が流れていた。 (寒い……っ)  毛布を頭から被り、体を包んでも寒さは消えない。数々の実験や論文で、お日様が人体に与えるいい影響が実証されているはずなのに。 (たっぷり浴びたんだけどな〜。頭も重い?)  一旦部屋に戻り床の間に着いたとはいえ、一睡も出来ていないせいか眠気もある。丸まりながらうつろうつろしていたらスリッパの足音が近付いてくる。 「店長さんには連絡しておいたで。今日はゆっくり休め、とさ」  差し出されたマグカップに口を付ける。あちち。ふー、ふー。  中身はミルク無しのホットココア。ココアの甘さと濃厚さがより際立ち、好き。美味しいし、内側から温めてくれとても助かる。  悠治君は向かい側に胡座をかいて座り、ブラックコーヒーを。僕がココアを堪能し終わるまでずっと、彼は飲み終わっても空のマグを飲むフリをする。  ことん、ことん。先に口を開いたのは悠治君だ。 「突然泣きべそかいて、何があったんや? しらばっくれても意味ないのは分かるよなぁ」 「ご、ごめん……。泣くつもりはなかったんよ。実は」 「実は?」 「フラ……」 「てことは、マッチングアプリで出会ったとか言うあの」 「その女性とはとっくの前に関係が終わったよ。出会いは同日の帰り道。僕が道端に蹲っていたら助けてくれた人」 「年上か?」 「……多分年下」  その説明だけではやはり足りなかったらしく、痺れを切らした悠治君は「そいつとどこで何があってどうしたかちゃんと教えろや」と取り調べみたいな質問をしてきた。  プレイの内容や際どい思い出を省きながら、事の経緯を説明していく。簡潔に纏めるつもりが、説明が終わる頃にはココアはもうとっくに冷えていた。 「『D専門』ってのはスタッフ全員が『Dom』ちゅーわけや。まあ、お天道様の下で堂々とやれるような店ちゃうらしいからな。地下に店を構えたんやろ」 「違法なの?」 「……グレーゾーンやな。戦後初期くらいにDomを失ったSubが溢れ、対策として作った〜とかどっかの本で読んだことあるわ。今はそこまでじゃないとしても、パートナーがなかなか見つからへんSubはおるし、偏見や家の事情で結ばれへんカップルはメディアに出えへんだけでかなり多いみたいやから、慰めに行ってるちゃうかな」 「へえ〜。そこまでは知らへんかった……」 「まあ、それはそれとして、な。今からカチコミに行ってきてもええか?」 「暴力沙汰で解決はダメだよ!」  「冗談やて〜」と笑いで済まされるけど、やりかねない。 「絶対ダメだからね! お店側にも迷惑かかるし、悠治君の将来もあるんやから!」 「もお〜、日和はお人好しやな」  ケラケラ快活に笑う悠治君を信用していないというのは嘘になるが……。  すると彼の口角が上向きからへの字に変わる。 「お前んちに遊びに行った時はそういう……はぁ〜。お楽しみ中だったわけね、へぇ〜」 「は、はい……、そうでした……」  黒く光る三白眼に耐えきれず、その場に正座し直す。 (視線が痛い……)  あの時は「寝てた」で誤魔化した。事実、風呂場で寝落ちしたために若干喉がやられ、信憑性は高かったはずだ。  しかし、親友に嘘を吐かれ、嫌な気持ちになるのは至極真っ当な感情でもある。 「嘘を吐いてすみませんでした……」  机に手をつき頭を下げようとすると「そういうことちゃう」と遮られた。 「俺が言いたかったのは、なんでもっと俺に頼らへんの? っていうこと。前にも言ったやん。何かあればすぐに言えよ的な……」  彼は頭を掻くと腕を組み、どでかいため息を吐く。 「日和が泣きたい時は出来る限り一緒に泣くつもりでおる。寂しい時は今みたいにこうして一緒にいてやるから。だから、一人で抱え込むな」 「……悠治君」 「オレたち親友やろ」  鮫歯を見せ、にっ、と笑っていた。眩しい。  まだ彼に嘘を吐いているとしたら。 (ゆーくんが離れていったことをずっと気にしていた、ことかな)  でも、彼の元気な笑顔を見てそれは杞憂だと確信した。傍観者で加害者だった頃の彼はこんな風に笑わなかったのだから。もう裏切ることも、離れることもないだろう。 (笑うと右にえくぼ出るんだね)  幼馴染で歩んだだけでは知り得なかったことも学んだ。 「うん、そうだね」  凝り固まった感情が長い時を経て解消し、安心した。 「……おう。やっぱり日和の笑顔は癒し系やな」 「緩んでるってこと?」 「うーん。例えるなら『花』だな。キンモクセイみたいな」 (キンモクセイってなんだっけ。頭が働かないや) 「そっか。見苦しいものじゃないなら良か……へっくしょん!!」  体が一段と震え、今度は鼻水が出た。 「日和……。やっぱりお前、風邪引いたやろ」 「引き始めがもじれない」 「あのなぁ〜。とりあえず薬局見てくるわ」 「そんなの悪いって……」 「悪いと思うなら寝とけ。その様子やと、ろくに寝てへんのやろ」 「はい」  鼻を啜ろうとすればティッシュ箱とゴミ箱を渡される。鼻チンし、毛布を頭から被る。 「なあ、俺も飲んでいい?」  片付ける際、指されたマグカップの中身は茶色の文様を作っていた。ブラックコーヒーを飲んだのにまだ飲み終み足りないのかな。 (ココアパウダー、あと二、三回分はあったはず) 「ええよ。牛乳は冷蔵庫に新しいのあるからそれで……」  悠治君は話している途中で僕のマグカップを取った。棚にある清潔なマグではなく、僕が先ほどまで使用していたそれ。  マグカップの向きを変え、口を付ける。立派な喉仏が上下に動いた。 「ちょ、風邪移るよ!?」 「ごちそーさん。さ、布団敷くで」  スルーされつつ、机を移動させたところに布団を用意してくれて「何かあったらあかんからスマホは枕元に置いておけよ」と三回ほど釘を刺してきた。 「日和」 「どうしたの、何か忘れ物?」  部屋を出る前、悠治君に僕を読んだ背を向けられ、表情が見えないから呼ばれた意味がよく分からない。 「あー、そういえば昔のあだ名で呼ばれた記憶無いなーと思って」 「昔……。キンデブヒヨコ?」 「そ、そっちは断じてちゃう!」  彼は焦った顔で振り向き、僕を真っ直ぐ見つめる。寝不足で頭が回らないのが申し訳ない。 「ほら。俺のこと昔、日和はなんて呼んでた?」 「……ゆーくん?」  疑問形で返してしまったが、彼は唇を噛みながら笑みを抑えきれないといった感じだった。どうやら正解らしい。 「ありがとな、ひよ」 (久々に呼ばれたな。僕のちゃんとしたあだ名)  いつからあだ名で呼び合わなくなったのか。もう二十年も前に過ぎたことだ。いちいち気にしなくていい。  鍵がかかるのを聞いてから横になる。 (……固い)  このところ、ソファがベッド代わりになっていた。おかげでふにゃふにゃだ。枕は柔らかいがいつもより視線が低い。頭の位置が合わなくて体も休まらない。 「いつも通り寝よう……」  毛布に掛け布団、抱く用のクッションで完成。うん、体にフィットしていい感じだ。  時計の針が進む音、暖房の音以外何もない。かといってテレビをつけて見る気分にもなれない。  いつも一人で暮らしていた。今さっきまで悠治君に悩みを吐露し、励まして貰えたのに。  この、心に発生した渦巻く不快なものはなんだろうか。 「さび……しい?」  口にした途端、ぼろっと涙が溢れた。パジャマの裾で必死に拭いても止まらない。  寂しい、寂しい、寂しい。  サキさんとの関係はもう戻せない。戻ることが許されないのだ。慣れるしかないと頭では分かっている。 「ひぐっ……」  毛布を頭まで深く被り、強く目を閉じて眠れるのを待ったが、一向に寒さは消えなかった。

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