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第11話

スタスタと歩いて行く日下部は、そのまま駐車場に向かっていた。 小走りになりながらそれを追う山岡を、振り返りすらしない。 「あ、あのっ…」 ちょうど日下部の車の前にたどり着いたところで、思い切って声を放った山岡にも、日下部の張り詰めた空気は緩まなかった。 「黙って乗れ」 いつもなら、丁寧に助手席のドアを開けてエスコートしてくれる日下部なのに、今はただ顎をしゃくっただけで、自分はさっさと運転席に乗り込んでしまう。 「っ…」 ここで抵抗して乗らない手もあったが、そうしたら日下部をますます怒らせるような気がして、山岡はオズオズと助手席に乗り込んだ。 重い空気の車内。沈黙のドライブが続き、たどり着いた日下部のマンション。 やっぱり無言のまま、ついて来いという圧力を出す日下部に、山岡はすごすごと従った。 玄関をくぐり、リビングに入り、日下部はズンズンと奥に進んでいく。 後をついてきた山岡は、リビングに1歩入ったところでついに足を止めてしまった。 「あ、あのっ…日下部先生…」 背中を向けたままの日下部に山岡の声がかかる。ゆっくりと、日下部がそちらを振り返った。 「っ…あの、オレ…」 ストンと俯いていってしまう山岡を、日下部はジッと見つめる。 「あの…」 床を見たまま、意味をなさない言葉を繰り返す山岡を見て、日下部はふぅっと1つ、息をついた。 「っ…」 途端にビクリと震えた山岡の肩が、その戸惑いを語っている。 日下部は、ゆっくりと山岡の前に歩いていき、俯く山岡の顎を捕らえた。 「っ?!」 「俺、さすがに怒ってるんだよね」 「っ…」 「わかる?」 グイッと山岡の顎を持ち上げ、無理やり目を合わせる日下部を、山岡の戸惑いに揺れる目が見返している。 「っ…オレ…」 日下部が怒っていることはわかる。だけど、それが何故かまではわからない山岡は、困惑に目を揺らしたまま、日下部を見つめた。 「なんでわからないんだろう」 「っ…?」 「俺が甘かったのかな…」 ふっと自嘲を浮かべて、不意に山岡の顎から手を離した日下部は、そのまま下ろした手で山岡の腕を取った。 「日下部せんせっ…?」 取られた腕をグイッと引かれ、山岡は力に従ってフラリと足を前に出してしまう。 「甘やかし過ぎたのかな」 「え…?」 「それにしてもあまりに分からず屋過ぎるだろ」 「く、さかべ、せんせ…?」 「強引にわからせてあげるよ」 皮肉げに唇の端を吊り上げた日下部は、山岡の腕を引いたまま、ソファにドカリと腰を下ろした。 「うわぁっ…」 グンッと腕を引っ張られる形になった山岡は、勢いに従って日下部の足の上に転んでしまう。 突っ伏すように日下部の座った太腿の上に乗ってしまった山岡は、体を起こそうとワタワタともがいた。 「お仕置きだから」 「え…?」 「じっとしてろな?」 軽く膝の上に山岡の体を抱え直し、日下部はそのうつ伏せた山岡の腰を逃げられないように押さえた。 「日下部先生っ?!」 何事だ?とパニックになった山岡が振り返ろうとした瞬間、日下部の手が山岡のズボンのウエストに掛かった。 「え…?」 ボタンを外され、ジッパーを下ろされ、そのまま片手で器用に下着ごとズボンが太腿の中程まで引きずり下ろされてしまった。 あまりに突然の出来事に、山岡は硬直したまま動けない。 「痛いの、嫌いって言ってたな」 「っ?!」 「でも今日は俺、本当に怒ってるし。山岡が悪いんだからしょうがないよな?」 「オレ…なに…」 「今日は少し痛い思いをしてもらう」 ふっと言って、日下部はおもむろに手を振り上げた。 パァンッ! 突然、山岡の剥き出しにされたお尻に日下部の平手が振り落とされた。 ジンッと痺れたような痛みが、山岡を襲う。日焼けしていない白く滑らかな肌に、日下部の平手の跡が赤く残った。 「なっ…?」 パァンッ! 「っ!」 山岡が状況を理解する前にまた1発。 最初の手形に重なるように、2つ目の赤い跡が山岡の肌を染めた。 パァンッ! 「ひっ…」 またも強烈な平手が1発。 ようやく山岡は、自分が日下部に剥き出しの尻をお仕置きとして叩かれているのだと理解する。 悪さをした子どもにするようなやり方。けれどその力の入れ具合が子どものものとはまったく違う。 冗談にならない痛みを受けて、山岡はバタバタと足を跳ね上げた。 「ぃゃ…っ、日下部せんせっ…」 パァンッ! 「いっ…」 山岡の叫びなど完全に無視して、日下部は容赦なく山岡のお尻を打ち鳴らした。 ギュッと目を閉じ、拳を握り締める山岡。 肩を竦めて首を縮め、与えられる痛みを堪える仕草を見せる。 パァンッ! 「っく…」 涙が滲むほどの痛みなのだろう。 小さく震えた山岡は、強く唇を噛み締めて、泣き出すのを堪えている。 パァンッ! 「っ…」 山岡は叩かれた瞬間、ビクリと身を引きつらせるが、すぐに俯き身を固くしている。 震えるほど固く握り締めた拳が、その痛みのほどを語っていた。 「山岡?」 「……」 「あ、そ」 パァンッ! 「っ、く…」 度重なる日下部の平手に、山岡のお尻はもう真っ赤になっていた。 それを山岡は、ただひたすら手に力を入れ、俯いてジッと堪えている。 スゥと目の端から自然に頬を伝った涙は、生理的なものだろう。 パタパタとソファに落ちる水滴に気づきながらも、日下部はまた手を振り上げた。 パァンッ! 「っ、ふ…」 ピクンと肩を揺らした山岡が、わずかに首を左右に振った。 言葉にならないその仕草は、もうやめてという訴えなのかただの反射か。 日下部はジッとそんな山岡を見下ろしながら、再び手を高く持ち上げた。 パァンッ! 「っ…も、ゃ…」 今度ははっきりと、首を左右に振った山岡。パラパラと水滴が飛び散り、微かな悲鳴が漏れた。 パァンッ! 「ぃゃ…っ」 もうやめて、とわかる仕草で、日下部の膝の上で山岡が小さく身を捩った。 「嫌じゃないだろ?違うだろ?」 「っ…」 「山岡、なんで痛くされてると思ってる?」 パァンッ!と山岡のお尻をまた1つ叩いて、日下部は膝の上で震える山岡の体を見下ろした。 「ふっ…もっ、ゃぁ…」 「やだ、じゃないんだよ、山岡」 パァンッとまた1つ。山岡のお尻はもう真っ赤に腫れている。 「くさかっ…せん、せっ…」 助けて、とでも言い出しそうに、山岡はフルフルと小さく首を振った。 「なぁ、山岡」 「っ…ゃ」 「まだわからない?」 ふぅ、と吐息をついた日下部に、山岡はただフルフルと首を左右に振った。 「はぁっ。仕方ないなぁ」 「ふっ、ぇっく…」 「あのな、山岡。俺は、1度でも迷惑って言ったか?」 ピタリと手を止め、腫れた山岡のお尻を優しく撫でながら、日下部がポツリと言った。 「な、に…?」 「山岡のことを送ったり、夜食作って届けたり、迎えに行ったりさぁ、俺、嫌々やってるように見えるわけ?」 「っ…」 「言ったよな?俺にとって、山岡は、山岡なんか、じゃないって。俺、全部俺がやりたくてやってるんだぞ?」 「っ…」 静かな口調で話す日下部に、山岡は小さくしゃくりあげながらも意味を理解しようと必死に耳を傾けていた。 「それをさ、山岡は、悪いからって言いながら、結局『オレなんか』置いていけ、なんだよな。それはもう遠慮じゃないだろう?俺の気持ちを踏みにじって、自分のことを貶めてるだけだよな」 「っ…それは…」 「何度も言ったのに。約束もしたのに。今まで甘くしてたから、直らないんだろ?何度も約束破るんだよな?」 「っ…」 「だから今日は痛いお仕置きになったんだろ?」 「ゃ…」 パァンッとおもむろにまた平手を叩きつけた日下部に、山岡がビクリと竦んでポロポロと泣き出した。 「いい加減、わかれよ」 「っ…」 「もう少し素直に頼っていいんだって。俺にとっては、山岡は山岡なんかじゃない。それを山岡がオレなんか、オレなんかって言って、自分をけなしてばかりだから、俺だってさすがに怒るだろうが」 手酷く叩いたところを、今度は優しく撫でて、日下部は山岡を見下ろした。 「なぁ山岡?」 まだ、いつでも手を振り上げられるぞ、と脅すような空気を出しながら、日下部は山岡を窺った。 「っ…。ごめん…なさぃ…」 ポツリ、と下手をすれば聞き逃してしまいそうな、小さな山岡の声だった。 消え入りそうな小声を漏らしたきり、小さく震えて黙り込む山岡を、日下部はふわりと表情を緩めて見下ろした。 「わかった?」 「っ…ん」 コクンと頭を下げた山岡に、日下部は満足な空気を滲ませ、山岡を押さえていた手を離した。 「ほら。終わり。下りていいよ」 トントンとあやすように山岡の背中を叩いた日下部の膝から、山岡はモゾモゾと床に下りた。 涙に濡れた目を隠すように俯き、急いでズボンと下着を戻している。 半ば勢いに呑まれて強制的な仕打ちを受けた昂奮が落ち着き、苦痛と羞恥でぐちゃぐちゃになっているだろう山岡の状態を思う。 日下部は、どう収拾をつけようかと考えながら、足元の床でぐしぐしと頬の涙を拭っている山岡を見下ろした。 (うわぁ…これは、これは…。ヤバイな) 普段なら、決して可愛いなどという形容詞が当てはまるはずもない、小柄とはいえ立派な成人男性の山岡だけど。 今、日下部の足元にいる山岡は、あまりにその形容詞がピッタリき過ぎていた。 「ふぅ…」 自分を落ち着かせようと、思わず漏らした日下部の溜息に、山岡がビクリと肩を揺らした。 怯えたような山岡のその仕草に、日下部がさすがに苦笑してしまう。 「痛む?」 「っ…ん」 クスッと笑う日下部に、山岡は無言でコクリコクリと頷く。 「痛いの嫌いだって言ってたもんな。怖い?」 「……」 わずかに考えたような間が空いて、山岡はフルフルと小さく首を振った。 「じゃぁ改めて約束。オレなんか、って2度と言わない。ちゃんと約束を守れば、痛いお仕置きはしないよ」 「っ…ん」 コクン。俯いている顔をさらに下に向けて小さく頷く山岡。 日下部はニコリと微笑んで、そんな山岡に手を伸ばした。 「ほら。少し甘えたら?」 「っ?!」 「いい子になったから、ご褒美。慰めてやるよ」 頭貸せ、と山岡を引き寄せようとする日下部の手を、ゆっくりと顔を上げた山岡がぼんやりと見つめた。 「山岡?」 「っ…」 「ほら、頭。いい子いい子するんだから」 「いい子って…」 「ハグのがいい?」 クスッとからかうように笑う日下部に、山岡はまたストンと俯いてしまった。 「嫌?」 「ぇ?いえ…すみません。オレ、甘えるとか…わからなくて…」 俯いたままポソッと呟いた山岡に、日下部はヒュッと息を呑んだ。 「っ~!山岡っ」 「はぃ…」 「力を抜いて、身体を委ねればいいんだよ」 俯いたまま小さく丸まる山岡の横に、ソファからストンと下り立った日下部が寄り添った。 そのまま縮こまる山岡を優しく抱き締める。 ピクリと一瞬肩を揺らした山岡は、けれどもすぐにくたりと身体から力を抜いた。 「山岡は、山岡なんかじゃないよ…」 まるで洗脳のように。こそっと吐息に近い口調で山岡の耳元で囁く。 山岡が、安心するように寄りかかってきたのを、日下部は感じた。 とっくに成人した、立派な大人なのに。普段はきちんと仕事をこなす、外科医なのに。こうして日下部といる山岡は、まるで幼い子どものようで。 日下部の裏もなにも疑わない、真っ直ぐ日下部の言うことを従順に聞く純粋な子どものようで。 (キスもハグも嫌がらない、か…。本当、ありがたいけど、警戒心なさ過ぎじゃない?) 自分でそうなるように計算して行動していることを棚に上げ、日下部は内心でほくそ笑む。 そんな日下部の考えを露ほども感じず、山岡はただ、冷静になればめちゃくちゃなことをされているはずの日下部に、素直に身を任せている。 「ふふ。今、オンコール来たら山岡困るな」 すっかり気の抜けている山岡をついからかった日下部に、山岡は不思議そうにわずかに顔を上げた。 「え?困りませんよ?オレ、できます」 「っ!」 キョトンと、あまりにあっさり言った山岡に、日下部の方がハッとした。 「え?急患対応…ですよね。今すぐできますけど…」 なんの気負いもなく、ただ事実を述べただけというような山岡の口調に、日下部は思わず笑い声をこぼしてしまった。 「ははっ。あぁ、そうだ。山岡先生はそうだった」 「え…?」 「あの時も…」 つい口走った日下部に、山岡がキョトンと首を傾げた。 「あの時…?」 「クスクス。早く思い出せよ。俺との出会い」 さっぱり記憶になさそうな山岡に、日下部は楽しそうに笑っていた。 「っ…すみません…」 「ふふ。M総合病院。急患。なんか、キーワードを集めていくゲームみたいだな」 「っ…」 「なぁ山岡。俺は…」 「日下部先生?」 「いや、なんでもない」 ついうっかり、口が滑りそうになった日下部は、ふわっと微笑を浮かべて言葉の先を誤魔化した。 (まだ早い。まだ、だ…) 本当は初日に酔わせた時点で襲ってもよかった。だけど日下部が欲しいのは、望んでいるものは、そうやって手に入れられるものではない。欲しいもののためならいくらでも労力を割ける日下部は、腕の中の山岡を、キュッと優しく抱き締めた。 「日下部…先生…?」 不思議そうに呟いた山岡の目が、トロンと重くなった。 「え?山岡?」 一瞬後には、驚くほど瞬間的に、山岡の寝息が聞こえ始めた。 「おいおい…。まぁでも無理ないか」 日勤業務をきちんと済ませ、オンコールに呼び出され、オペを1件こなし、挙句さっきまで泣かされていたのだ。 疲れ切って当たり前。 「クスクス。おやすみ、泰佳(やすよし)…」 自分の腕の中で安心しきって眠ってしまった山岡を見下ろし、日下部が触れるだけのキスを奪う。 山岡は、身動ぎすらもなく、そんな日下部にも気付かず、すっかり熟睡していた。

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