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第12話
翌朝、山岡は、またも日下部のベッドで目を覚ました。
結局泊まってしまい、朝食までいただいてしまい、シャワーまで借りて、今日も同伴出勤となってしまった。
始終申し訳なさそうにする山岡を可笑しそうに眺めながらも、今日は禁止ワードが出て来ないことに日下部は満足している。
今日は外来担当の山岡と、フリーの日下部は、エレベーターホール前でそれぞれの方向に別れて行った。
「ねぇ、見た?聞いた?」
「なになに?」
「日下部先生とダメ岡」
今日も今日とて、ナースステーション内はいつもの噂話で賑やかだ。
キャッキャと花が咲いている看護師たちの話題は、飽きも変わらず消化器外科医たちのこと。
「今日も同伴。っていうか、夜勤の子に聞いたんだけど、昨日オンコールの後、一緒に帰ったみたいよ?」
「え~?」
「多分、来るのも日下部先生が送ってきたっぽくて…」
「それって何?一緒にいたってこと?」
「そうみたい。なんか、日下部先生、ダメ岡に夜食まで持ってきててさ~」
ぎゃぁ!と悲鳴が上がるナースステーション内。その情報網には恐ろしいものがある。
「そういえば夜勤の子、何かダメ岡がイケメンだったとか、寝ぼけたことも言ってたんだけど」
「はぁっ?それはマジで寝ぼけてたんじゃない?」
「いやなんか、眼鏡と前髪がない素顔がさぁ、美形だったっていうんだよね…」
「いやいや。そんな漫画みたいな話はないから!見間違いよ、見間違い」
「だよね~?」
ケラケラ笑う看護師たちは、昨夜の出来事に遭遇していないため、全てが真実味に欠けている。
ストレス解消の雑談に過ぎない会話は、まだまだ続く。
「あっ、そういえば、新情報。あたし、外来で入院決まった患者迎えに行ったんだけどさぁ」
「なになに?」
「外来の看護師に聞いちゃったんだけど、何か今日のダメ岡、目を泣いて寝たみたいに腫らせてて、椅子に座るのもぎこちなくって、時々顔をしかめてたとか言うの」
「っ?!それって…」
「いや、ないよ?ないと思いたいよ?っていうか、日下部先生ほど美形ならちょっとアリだけど、相手がダメ岡は絶対ナシ!」
「やだやだやだやだ~っ!日下部先生は極上の女を選ぶんじゃないの?あんなみんなが狙う高嶺の花、ダメ岡なんか、論外だって!」
「論外、論外。まぁでもそもそも日下部先生はゲイじゃないでしょ?」
「バイとか?」
「いやいやいや。でも待って、ゲイならいっそ観賞用で諦めもつくけどさ~、だからって、ダメ岡はない。ぜぇったいにない。無理無理無理~っ!」
いやぁ、と耳を塞ぐ仕草をする看護師たちの会話は、どんどんとおかしな方向に突っ走っていった。
「ダメ岡、マジ何様!早く消えろ~」
「ほんと。日下部先生と一緒に帰ったり、出勤したりしてんじゃないよってね。本当ウザい~」
わいわい、がやがや。結局山岡の悪口にたどり着く看護師たちの会話がひと段落したところで、ふと病棟の処置室に行っていた日下部がナースステーションに顔を見せた。
「おしゃべりもいいけど、手も動かそうね?」
ニコリ。看護師たちのハートを鷲掴みにする笑顔を浮かべて登場した日下部に、居合わせた看護師たちが一斉に仕事に励みだす。
数分前の雑談の気配は、綺麗さっぱり消えている。
『ちょっと風当たりキツくなってきちゃったな~…』
自分が構うせいなのは承知しているが、山岡の耳にはあまり入れたくない話題が増えてきた。
日下部は、どうしようかと計算を働かせながらも、耳に入れた外来での山岡の様子に、クスクス含み笑いをしてしまった。
『お昼、迎えにいくついでに、ちょっとからかっちゃおうかな』
なんとも楽しげに計画を立てて、日下部は机について処置の内容を記録するためカルテを取り出した。
やけに笑顔を大盤振る舞いしているような日下部の様子に、注目していた看護師たちは、ボウッと見惚れまくっている。
「やっぱり日下部先生がゲイなんて駄目よ!諦めないんだから~」
日下部ゲイ説は、自分たちが対象内にいたい看護師たちによって、あっさりと揉み消されていった。
そうして昼休み。
病棟からのんびり外来に向かった日下部は、外来受付に入りこんで、診察状況をカウントしているパソコンを覗き込んだ。
「予約外3はいいとして…予約4って、何してんの、山岡先生…」
もう12時過ぎたよ…と溜め息をつく日下部に、外来にいた事務員が苦笑を浮かべた。
「しかも11時台予約が1残ってるって…いつにもまして遅くないか?」
なぁ?と思わず事務員に愚痴ってしまう日下部は、ごめんね、と呟いて、受付奥の診察室が並ぶスタッフ用通路に足を向けた。
シャッとカーテンを引いた奥の、書類棚や器具棚、水道やらストレッチャーが並ぶ通路兼バックヤードには、すでに外来が終わった2室の看護師が後片付けのために立ち回っていた。
「あれ?日下部先生?」
「どうも。山岡先生、何番診察室?」
「え?山岡先生ですか?3番ですが…」
「ありがとう。今日、何か変わりあった?」
ニコリと極上の笑顔を浮かべる日下部に、看護師の頬がポッと赤くなる。
こうなればもう、持ち得る情報を何でも提供してくれる看護師に、日下部は内心ほくそ笑んだ。
「変わったことですかぁ?そうですねぇ…相変わらず、山岡先生が診察遅くて色々やらかしてくださるのは同じなんですが…」
「うん」
「今日はいつも以上っていうか…さっきも、ねぇ?」
近くにいた看護師と視線を交わし合う看護師の、意味深な会話。
日下部は興味をそそられて、ばっちり聞く態勢に入った。
「さっき、何かしたの?」
「あたしたちが告げ口したって言わないでくださいね?」
「言わないよ~」
「なんか、検査室から送られてきた患者さんの画像データーをミスって消去しちゃったらしくって」
「へぇ…」
「データーとりなおしたり、ねぇ?」
「たり、ってことは、まだあるんだ?」
「採血オーダー間違えて、必要なデーター取り損ねたり?担当看護師、振り回されまくってましたよ」
だからこんなに遅いし、と苦笑している看護師に、日下部の目は思ったより鋭くなっていた。
『ちょっとからかうつもりが…。何やってるんだ?』
思ったよりも派手なミスを聞き、日下部は笑える余裕を失くしていた。
それでも、看護師たちにそんな内心を見せる日下部ではない。
「調子悪いのかな、山岡先生」
「え~?あぁまぁでも、なんか動きはぎこちなかったかも?いつにもましてカルテばら撒いたり、備品落としまくったりしてましたね」
「……ありがとう」
必要な情報を手に入れた日下部は、爽やかに微笑んで、山岡がいるだろう診察の方へスッと足を向けた。
カーテンで仕切られているこちら側に、山岡のボソボソと患者と話す声が聞こえてくる。
そっとカーテンの隙間から診察室内を窺った日下部は、山岡が椅子の上で時折身じろぎをし、ビクリと身を竦めてみては、顔を歪めたり、慌ててワタワタと手元のカルテやパソコンをいじったりと、落ち着きなく1人百面相状態になっているのを覗き見て、小さく溜め息をついた。
『まさかの後遺症か…?やり過ぎてはないぞ…』
山岡の状態を知る唯一の日下部は、参ったな、とひとりごちて、とりあえず山岡が外来患者を捌き切るのを裏でダラダラと待っていた。
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