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第15話
そんなことを露ほども知らず、山岡は日下部の車に乗って、日下部の家に呑気に到着していた。
すでに習慣になった日下部の家での夕食に、山岡の遠慮もすっかりなくなっている。
「お邪魔します」
挨拶だけはきちんとして、けれども勝手知ったる様子でリビングに向かい、勝手にソファに座る山岡を、日下部は満足そうに見つめる。
「はい。先に飲んでて。お疲れ様~」
ほい、とキッチンから缶ビールを差し出した日下部に、山岡は近づいて行った。
「いいんですか?」
「いいよ。まぁ、今日はすぐに出来るし」
タイマーで煮込んであった具材に、ルーを入れて温めるだけ。
「今日はなんですか?」
「ふふ、カレー」
たまにはいいでしょ?と笑う日下部に、山岡の目が嬉しそうに緩んだ。
そうしてリビングに戻り、1人勝手にビールを傾けていた山岡を、日下部が呼んだ。
「できたよ」
「あ、すみません」
慌ててソファを立ち、ダイニングテーブルに向かった山岡は、カレーにサラダ、ヨーグルトデザートが並ぶテーブルを見て、パッと顔を上げた。
「美味しそう…」
「どうぞ」
クスクス笑いながら椅子を引く日下部に、山岡が慌てて腰を下ろす。
先日ようやくそのエスコートに山岡が気付いたのだが、そこを日下部は譲らなかったため、結局そのまま今に至っている。
「好み聞くの忘れたけど。間を取って中辛。よかった?」
甘口しか駄目だと言われたらお手上げだが、小さく首を傾げた山岡は、コクンと頷いた。
「なんでも大丈夫です」
「そう」
ニコリと微笑んで山岡の向かいに座った日下部は、相変わらず食の好みをまったく口にしない山岡に、今日は一歩踏み込もうかと考えていた。
「いただきます」
「いただきます」
必ずきちんと丁寧に挨拶をしてから食べる山岡に、日下部はその育ちを想像する。
けれど山岡は以前、家族はいない、と口走っていた。
山岡の抱えるものをあれこれと想像しながら、日下部は美味しそうに料理を平らげてくれる山岡を、のんびり見つめながら自分も空腹を満たしていった。
「んっ、美味しかったです」
毎回出されたものを残さず食べてくれる山岡に、日下部は単純に嬉しい。
「そう、よかった」
ニコリと微笑む日下部から、山岡はストンと顔を落としてしまった。
「ん?」
「いえ…。なんか、いつもこんなに美味しいご飯、悪いなって…」
「また始まる?」
「いえ…。日下部先生の好意はわかってますよ?でも、それとは別っていうか…」
「ふぅん」
「あっ、そうだ。食費!食費を取ってください!」
いくら遠慮するなといっても、さすがにこう毎日だと気が引けるのは当たり前なのかもしれない。
不意に思いついたように提案する山岡に、日下部はそれもそうかな、と小さく頷いた。
「それで納得するなら、もらおうかな」
どうせ1人分作るも2人分作るも、手間もかかるお金も大して変わらないのだが。
それでもきっと山岡の気が楽になるだろうことは想像するのが容易くて、日下部は変に遠慮せずニコリと微笑んだ。
「はぃ。そうしてください」
「っていうかさ、山岡、自分で料理は全くしないわけ?できないんじゃないんだろ?」
ふと、ずっと疑問に思っていたことを口にした日下部に、山岡はふんわりと首を傾げた。
「出来る…とは思いますけど…」
「あぁ、する気がない、ね」
「すみません…」
「別に責めてないんだけど。本当、食に無頓着だよな。昔から?」
クスクス笑う日下部は、キッチンに回って、ビールを持って戻ってきた。
「オレは…食べられれば、なんでもよかったので…」
どうも、と新たなビールを受け取りながらポツリと呟いた山岡に、向かいで同じようにビールをプシュッと開けながら、日下部が目を細めた。
「山岡、家庭料理って呼ばれるもの、好きだよな」
「っ…。その、オレは…そういうのを、あまり食べたことがなかったから…」
ギュッとビールの缶を握って呟く山岡に、日下部は今日は何だか話しを拒否されないような気がして、そっと息を吐いた。
「家族、いないって言ってたな。聞いても?」
ふわりと優しく響く日下部の声に、山岡はふと一瞬だけ顔を上げて、また俯いてしまった。
「暗い、ですよ。きっと楽しくないですし…」
「それでも、山岡が話せるんなら聞きたいな」
強制はしない、包み込むような優しい日下部の声だった。
「っ…オレ、は…」
「ん」
「いわゆる、捨て子、なんですよね」
ポソッと呟いて、山岡は手にしていたビールをグイッと呷った。
「っ」
さすがの日下部も、突然山岡の口から飛び出した衝撃的な言葉に、一瞬声を失った。
「4歳の時…。多分、それまで暮らしていたアパートの部屋に、置き去りにされて…」
「それは…」
「死ぬ直前に、保護されたみたいです」
「覚えて…?」
「そのときのことは、曖昧にしか。母親と言う人の顔はまったく…でも、声は少し」
薄く目を細めながらビールをゴクンと飲んだ山岡は、さすがに表情を強張らせている日下部を窺った。
「やめます?」
楽しくないでしょう?と呟く山岡に、日下部は小さく首を振った。
「山岡が大丈夫なんだったら、俺、聞きたい…」
「そうですか?じゃぁえーと…あぁ、そうだ」
「ん…」
「オレの顔、醜くって…。だからオレ、嫌われて捨てられて」
母親という人の声を思い出してでもいるのか、少し眉を寄せた山岡が、記憶をなぞるように言葉を続けた。
「母親って人を捨てた、父親って人にそっくりだって…。よく、怒鳴られてた声が、耳に残っています」
「だから…」
「え?」
「だから山岡、顔を隠すのか?本当に、その顔、醜いと思ってる?」
日下部はなんとなく、幼かった山岡に母と呼ばれる人がつけた傷がわかったような気がした。
「醜いですよ。こんな顔…」
「山岡…」
「母親に疎まれて…。保護された後も、引き取ってくれる先、みんなこの顔を嫌ったし、追い出されてたらい回しにされて…」
一体そこに何があったのか。山岡の整い過ぎた容姿を知る日下部は、少しだけ想像がついた。
「たぶらかした。彼女を盗った。愛を奪った…。オレ、疫病神なんです」
「っ…」
「オレがたぶらかしたんです。引き取ってくれた先の息子さん。オレの顔のせいで…っ」
「それは…」
「別の家でもそう。そこの息子が連れてきた彼女…オレに…」
「山岡…」
「娘がいる家でだって…。可愛い人、だったのに…。オレと並びたくないって、比べられるのが我慢ならない、オレが憎いって…」
「……」
「みんなオレが来たせいで、おかしくなった。オレは疫病神で、この顔は醜いんです。人の幸せを壊す顔なんです」
ゴクゴクッと一気にビールを呷った山岡の目が、微妙に据わり始めていた。
「オレは、こんな顔、嫌いです…」
スッといきなり眼鏡を外した山岡が、日下部に真っ直ぐ目を向けて、ヘラリと笑った。
「醜いでしょう?」
ははっと笑う山岡に、日下部はただただ静かに首を振った。
「綺麗だよ、山岡は」
「んもう、だから日下部先生は、眼科に行かなきゃ。うちにもあるでしょ~?」
ケタケタ笑う山岡は、何故かたったのビール2本で、微妙に酔っ払い始めていた。
「辛いんなら、話さなくていいんだぞ?」
過去をなぞることに対して、酒の力が必要なのかも、と感じた日下部は、自分が言い出したこととは言え、さすがに待ったをかけた。
けれども山岡は、微妙に遠い目をして、フルフルと首を振った。
「辛い、ってなんでしたっけ?」
えへっ、と笑う山岡に、むしろ日下部の方が辛くなってしまった。
「山岡!」
「はぃ?」
「ワイン開けよう」
待ってて、と言い置いて、キッチンに消えていく日下部。
戻ってきたその手には、ワイングラスが2つと、山岡好みの辛口ワインのボトルを持っていた。
「わ~、ワイン~」
無邪気な子供みたいに笑う山岡に苦笑して、日下部はボトルを開けてワインを注いだ。
嬉しそうにそれに口をつける山岡が、再びヘラリと口を開く。
「オレ、オレね、最後にお世話になった家で、売り飛ばされそうになったんですよ~?」
ケラケラ。無邪気に笑う山岡だけれど、その口から飛び出た言葉は、それこそとんでもなかった。
「おいおい…」
「こっわーい。だから、逃げたんです。逃げて、隠れて、そっとそっと生きてきた」
「っ…」
「人は、怖い…です。ニコニコしてても、ほんとうはなにを考えているのか、わからなくて…」
「山岡…っ」
「日下部先生もこわい。こわいけど…ごはん、美味しい…」
にこぉっ、と首を傾げて笑う山岡に、日下部がギュッと痛みを堪えるように顔を歪めた。
「家族、いないのも。甘え方、知らないのも。人間不信なのも、容姿を隠すのも、食に無頓着なのも、全部全部…っ」
「ん~?」
「山岡が悪いんじゃない。山岡は、何にも悪くないっ…」
小さく首を振って、日下部は安心させるように柔らかな笑顔を山岡に向けた。
「山岡、いい子、いい子」
「ん~?ほんとう?」
パッと椅子から立ち上がり、山岡の方に向かった日下部は、山岡の頭を優しく撫でた。
山岡はくるりと椅子の上で向きを変え、日下部の方に身体を向けて、ちらりと日下部を見上げる。
さらりと分かれた髪の間から、山岡の綺麗な美貌が現れる。
「山岡が大事だよ。とてもとても大事だよ」
「ほんとう?」
こてん、と無邪気に首を傾げる山岡を、日下部は思わず抱き締めた。
誰にも大切にされてこなかった山岡。本人すら、そうして自分を大事にしなくなってしまった山岡。
オレなんか、オレなんかと自分を貶め、けなしてばかりいた山岡のその理由がわかり、日下部はたまらない思いに包まれていた。
「本当だ。大事だよ、山岡。大事だ」
ぎゅぅっと山岡を抱きしめる日下部に、山岡の手がオズオズとその背に回った。
「あったかいんだね。あぁそうだ…。人は、ぎゅってすると、あったかい…ん、だ…った」
スゥッと遠い目をして呟いた山岡の手は、それからすぐにスルッと下に落ちてしまった。
「あっ、おいっ…」
クタン、と日下部にもたれて目を閉じてしまった山岡から、スゥスゥと寝息が聞こえてくる。
「なっ…。はぁっ、おまえなぁ…」
酔ってしゃべりつかれて寝るとか、勘弁しろ、と思いながらも、山岡を見下ろす日下部の視線は甘い。
「でも…ぎゅってすると温かかった?俺以外にもいたのかよ…。おまえを抱き締めるようなやつ…」
うっかり山岡が漏らした呟きをしっかりと聞きとって、微妙な嫉妬を浮かべる日下部。
「親に捨てられて、引き取り先をたらい回しにされて、挙句売られかけて、その後1人で生きてきたのに…?」
おい、と山岡の鼻をつつく日下部に、一瞬顔を歪めるも、図太く眠り続ける山岡。
「いや、でも、おまえ医者だよな?医学部出てるってことだよな…。最後の家を逃げ出した後も…続きが…」
あぁ気になる、と思う日下部だが、穏やかな顔をして眠っている山岡を起こす気にはなれない。
「まぁ、また機会はあるか」
クスッと笑いながら、成人男性にしては小柄な山岡をひょいと抱き上げて、大事に寝室に運んであげた。
シャワーも浴びずにスヤスヤ眠る山岡の寝顔を見て、またもこっそりキスを奪ったのは言うまでもない。
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