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第18話
そうしてたどり着いた病院で。
救急車から飛び降りた山岡と日下部は、素早く検査室に走る。
ガラガラと後をついてくるストレッチャーが、X線室に案内された。
手早く撮られた画像を、山岡と日下部は真剣に覗き込む。
「これ…。横隔膜下…腹腔内遊離ガス。決まりです、日下部先生」
「緊急オペか~」
「執刀します」
「んじゃ俺前立ちしよ」
「えっ?日下部先生がっ?!」
すでにオペ室に向かって歩き出しながらの会話に、山岡が思わず足を止めてしまった。
「わ。急に止まるなよ」
「や、いや、だって日下部先生がなんて…」
「駄目?」
「いや、良すぎて申し訳ないというか…」
「じゃぁいいでしょ」
むしろ執刀できるレベルなのに、と困惑する山岡を、日下部は楽しそうに見つめた。
『懐かしい…』
クスッと笑う日下部は、何を思っているのか。
立ち止まった山岡を追い抜きながら、麻酔科の手配もオペ室看護師の手配も済ませる余裕ぶりだ。
「じゃぁお願いします!」
パッと立ち直った山岡が、また素早く足を進め始めたのを、日下部は満足そうに眺めた。
そうして、緊急オペが開始された。
執刀の山岡の向かいに、同じく滅菌ガウンをまとった日下部。
ふと、山岡の記憶が何かに触れて瞳が揺れた。
「あれ…?オレ、この状況、見たことある…?」
急患で、オフ中のオペで、向かいにガウンの日下部。
「山岡先生?」
「あ、いえ。では、術式……、よろしくお願いします」
「お願いします」
一瞬過ぎった記憶は、すぐに霧のように散ってしまった。
瞬時に目の前のオペに集中し始めた山岡を、日下部は時々、術野から視線を外してチラチラと眺める。
『思い出したか…?』
あまり動揺している感じではないことに、五分五分か、と苦笑いする。
(オフが潰れたが…プラスに転べよ~?)
よそ事を思いながら、日下部は、相変わらず手際のいい山岡の手術を、上手くフォローする。
少しはやり易いと思ってくれているのか、山岡の動きに無駄はない。
『あの時みたいだ…』
思わずクスッと笑ってしまった日下部に、一瞬山岡の手元が揺れた。
「っ、ぁ…」
「おっと。悪い」
「ぃ、ぇ…。あ…」
不意に、山岡がパッと顔を上げて、向かいの日下部をじっと見た。
「ん?どうした?」
「M…総合病院…?」
ぼんやりと遠い目をした山岡が、ハッとしたように首を振り、慌てて術野に視線を戻していた。
『ビンゴ、かな…』
山岡の呟きを聞き逃さなかった日下部は、ようやく訪れるかもしれない審判のときに、期待と緊張を浮かべた。
目の前では、一切の動揺を消し去った山岡が、完璧なオペを仕上げていた。
「お疲れ様」
「お疲れ様でした。ありがとうございました」
無事にオペを終え、着替えを済ませた山岡と日下部は、事後処理も済ませて、病院の職員出入り口に向かっていた。
「っていうか、車…」
「あ。救急車で来てしまったから、あのショッピングモールに置きっ放しですよね。すみません…」
自分が首を突っ込んだせいで、と俯く山岡に、日下部はからりと笑った。
「別に山岡、悪くないだろ」
「でも…」
「俺もあれは見逃せなかったよ」
医者なら当然、と笑う日下部に、山岡はホッと息をついた。
「それじゃぁまあ、タクシーを拾うか、たまには電車にでも乗…」
と、途中で言葉を止めた日下部は、そういえば、とスマホを取り出した。
「日下部先生?」
「あぁ。地下鉄事故」
「え?」
「いやぁ、救急搬送、やけに断られてたな~と」
「あぁ…」
大量の緊急患者が出たはず、と思っていた日下部は原因を知って満足そうだ。
「うちは静かでしたね」
「まぁ、少し遠いし。それより、電車は止めよう」
「あ、混んでますね、きっと」
「だよな。もう昼もとっくに過ぎたしな~、戻りがてら昼ご飯にしようか」
「はぃ」
突然、ギクリと俯いた山岡は、何を思い出したのか。日下部は、その内心を容易く悟った。
「そういえば…」
「っ…」
「禁止ワードの件のお仕置き」
「っ、わ、忘れてくれてよかったのに…」
なんでわかったんだ、と恨めしそうに日下部を見る山岡に、日下部は笑ってしまった。
「わかり易いんだって、山岡」
「ぅ…」
「でもまぁ、もういいかな」
「え…?」
あまりにアッサリしている日下部が疑問で、山岡はコテンと首を傾げた。
「ふふ。無意識だよな~?」
「え?えっ?」
「山岡さぁ、あの急患診たとき」
「ぇ…?あ」
「クスクス。眼鏡は外すし、髪は上げてたし。救急車の回りに集まった野次馬の半分以上は、山岡に見惚れてたな~」
「っ…」
「病院についてからも。うちの病棟の看護師、見てたよ?」
「え?」
元は、日下部がオフなのに来る、という話が猛スピードで伝わり、ひと目見たさに下りてきていた看護師たちがいたのだ。
それが、一緒に救急車から飛び降りてきた、私服姿で眼鏡もなく、前髪も上げて止めた山岡の姿を見た途端、広がったざわめき。
「山岡、患者に夢中だったからな」
気づいていなかった。
ちゃっかり周囲を見ていた日下部は、バッチリ状況を理解していたのだ。
「それでチャラにしてやる」
「っ…」
「それに、思い出したんだろ。山岡が、山岡なんかじゃない理由。俺たちの出会い」
ニコリ。綺麗に微笑む日下部に、山岡は曖昧に首を傾げた。
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