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第23話
「はぁ。気持ちよかったです。ありがとうございます」
シャワーから上がってきた山岡が、用意しておいた日下部の服を着てリビングに現われた。
身長は日下部の方が高いため、ズボンの裾をわずかに折っているのが可愛い。
肩幅も山岡の方が華奢で、服に着られているような感じがまた、日下部の目を楽しませている。
「クスクス。本当、可愛い」
「なっ…。だから、日下部先生は眼科に行った方が…」
思わず呟いた日下部の言葉を聞きとってしまった山岡が、恥ずかしそうに俯いた。
その顔には何故か隠しておいたはずの眼鏡と、湿った前髪が相変わらずせっかくの美貌を隠してしまっている。
「まだ言うか。まぁ、別にいいけどな。今日から山岡、眼鏡禁止」
ふふん、と言いながら、パッと山岡から眼鏡を奪い取った日下部が、意地悪な笑みを浮かべた。
「ちょっ…や、やですよ…」
「だぁめ」
「返してくださいっ…」
「嫌だね」
慌てて眼鏡奪還に手を伸ばす山岡から、ヒョイッと逃げてしまった日下部は、棚の高いところにそれを置いてしまう。
「っ…。べ、別に、台とか椅子とか使えば取れますからねっ」
小柄な山岡に届かない位置に置いたつもりだろう日下部に、山岡は珍しく反抗的な態度を示した。
「へぇ?でも俺、禁止、って言ったんだよ?」
「そ、そんなのっ、オレは同意しません」
「んじゃ、したくなるようにしてやろうか?」
「っ…」
にやり、と意地悪く微笑む日下部に、山岡はビクリと怯んでしまう。
(だから苛めたくなるんだっての)
クスクス、と悪い笑みをはいた日下部の顔から、山岡はしゅんと目を逸らして俯いた。
「横暴です…」
「なんとでも。でも、今後眼鏡を掛けたらお仕置きな?」
ふっと笑う日下部に、山岡は目に涙を浮かべながらも、結局頷かなかった。
「強情」
「日下部先生は意地悪です」
「だって伊達だろ?大丈夫、山岡は綺麗だよ」
そっと山岡に近づき、ふわりと優しく抱きしめた日下部に、山岡の身体がビクリと強張り、すぐにすとんと力が抜けた。
「な?眼鏡なんかなくても、もう大丈夫だよ」
「っ…」
安心してしまう自分に気づいたんだろう。山岡は、小さく身じろいだ後、コクンと小さく頷いた。
「いい子だ」
「っ、いい子って…」
「まぁどうせ、もう病院じゃバレバレだろうし」
「え?」
「昨日、何人か見てただろ?まぁ、あの人たちの噂話のスピードじゃ、今日はもうすでに全員に知れ渡ってるね」
「そんな…」
「だから堂々としてろな。明日から、少しの間は騒がしいだろうけど」
クスクス笑う日下部は、それでもそんな好奇の目から、山岡を守ろうと強く決めている。
「う…。い、行きたくないです、病院…」
「こらこら。大丈夫だよ。俺が守る。絶対に山岡を傷つけさせないから」
ぎゅっと山岡を抱きしめる手に力を込めた日下部に、山岡は小さく身じろいで薄く微笑みを浮かべた。
「あの…」
「ん?」
「いえ…」
嬉しそうに緩んだ山岡の目が見上げてきて、日下部は口よりも物を言うその視線に満足して微笑んだ。
「ほら、朝ご飯…っていうか、昼に近いけど、食べような?」
もう10時半もとっくに回っているような時間帯だが、ダイニングテーブルに並んだ、美味しそうな日下部の手料理たち。
途端にパッと笑顔を浮かべた山岡に微笑んで、日下部はそっと山岡を離して、自分もテーブルに向かった。
「いただきます」
きちんと手を合わせて食事を始める山岡を、眩しそうに日下部が眺める。
パクパクと出されたものを全て美味しそうに食べる山岡に、日下部もほのぼのと頬を緩めた。
「なんかいいよな~」
「え?」
「いや、幸せだな、とね」
「あ、う、お、オレも…」
「クスクス。山岡、今日も休みだよな?ゆっくりしてけよ」
「はぃ…。日下部先生はオンコールでしたっけ?」
「うん。呼び出しがないことを祈るよ」
ははっと笑う日下部が、それでもきちんと携帯を手の届く範囲に置いているのを山岡は知っている。
「昨日はオフだったのに、結局オペまでしてしまいましたものね…」
「だな~」
「っ…」
昨日、と話し出しながら、一体どこに思考が向かったか。
いきなり頬を染めて俯いてしまった山岡に、日下部は本当に可笑しそうに目を細める。
(あ~、なんて純粋な。だから余計に苛めて、もっと恥ずかしがらせて、めちゃくちゃにしたくなる…)
山岡をべたべたに甘やかせて何からも守りたいと思う反面、本性のS心がそれと正反対の思いを湧き立たせる。
『クスクス。まぁ、ゆっくりな』
俺が染めてやる、と内心で悪い計画を立てる日下部が、黒い空気を醸し出す。
けれど山岡はそんなことには一向に気づかず、パッパッと1人で何かを追い払う仕草をしながら、食事の続きに励んでいた。
そうして遅い朝食を終えた2人は、のんびりとリビングのソファでくつろぎながら、まったりしていた。
穏やかで平和な休日のひと時。
けれど、そこに、安らかな空気を切り裂くように日下部の携帯が鳴り響いた。
「っ!」
「う、わ。来たな…」
チッと舌打ちをしそうな勢いで、けれど目だけは真剣に光らせ、携帯に手を伸ばす日下部。
ディスプレイに表示された病院の文字に、素早く通話を開始する。
「はい、日下部」
スッとソファから立ち上がりながら、すでに寝室のクローゼットのほうに足を進めている。
「はい。あ~?アッペ?なんで?当直は新人って…できないの?アッペくらい」
電話の向こうと会話しながら、日下部が上着を持って戻ってきた。
「はぁ?耳鼻科?…ってそれより、パンペリ?あ~、わかった。行くよ、すぐ。10分で」
ぶつぶつ会話をしながらリビングに来た日下部は、ソファの上から心配そうに視線を向ける山岡に、すまなそうに微笑んで見せた。
「ごめん、行ってくる」
「いえ、それはいいんですけど。アッペです?」
「うん。だけど、パンペリになってるって。しかも、ゼプってる(敗血症性ショック)かも」
「え!それ大変じゃ…よ、よく我慢しましたね…」
「なぁ?相当痛かったと思うんだけど…。まぁ、緊急オペになるから。遅くなるかもしれない…」
「はぃ。オレは適当にタクシー呼んで帰るので」
「悪い。ほい、鍵」
「え?」
「合鍵だからそのままあげるよ。それから今度、着替えこっちに運んでおけな?」
パッと小さな金属の塊を受け取った山岡が、目を丸くして驚いている。
「クスクス。行ってきます」
手の中の鍵をジーッと見つめる山岡に微笑んで、日下部は素早く山岡のキスを奪っていった。
「っ!」
行ってらっしゃいを言う余裕もなく硬直した山岡を置いて、日下部はキリッと医者の顔になって、マンションを飛び出していった。
「あ、わ、わ、わ…」
1人残った山岡は、ボンッと顔を赤くして、意味もなくワタワタと暴れていた。
「っ…」
けれどもふと、手の中に握った鍵が存在を主張する。
「こ、恋人…なんだぁ…」
じわりと実感したのか、へにゃっと嬉しそうに緩む山岡の顔は、とてもとても幸せそうだった。
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