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第26話
食堂の、なるべく端の方の席を選んだ2人は、それぞれ手に持ってきた定食をテーブルに置いた。
配膳下膳はセルフサービスの食堂なので、店員のような人が近づいてくる心配はない。
後は山岡に向けられる好奇の目だが、それらはことごとく、わざと自分の方に惹きつけるように振る舞う日下部によって、大半は奪い去られていた。
もちろん、日下部が、魅力的でありながらも、割り込むなオーラをビシビシ出しているお陰で、さすがに勇気を出して近づいて来ようとするものもいない。
俯きがちな山岡だけれど、本人も言っていたように、側に日下部がいることが、相当な安心材料になっている様子なのは明らかだった。
「クスクス。嬉しいね」
「え…?」
「いや。あまり気にせず食べろな」
「はぃ…」
「クスッ。これあげるな」
ふと、いたずらっぽく笑った日下部が、自分の皿から山岡に向かってブロッコリーを差し出した。
「ほら、あ~ん」
山岡の口元に突き出されたブロッコリーに、山岡がギョッとなって首を振っている。
「なに?好き嫌い?」
「ちっ、違いますよっ。な、なにしてるんですかっ…」
そんな恥ずかしい…と俯いてしまう山岡に、日下部がクスクス笑う。
その様子を窺っていた1部で、新たな悲鳴が上がっていることは計算済みだ。
「照れちゃって」
「っ~。日下部先生っ、おかしいですよっ」
「言うね。眼鏡、譲歩してるのに、やっぱりお仕置きしたほうがいいかな」
ニコリと山岡に向かって微笑むのもまた計算済み。
1部の腐がつく女子様たちの目は、これで日下部の一挙一動に釘付けだろう。
キャァ!日下部先生~!という悲鳴が微かに聞こえてくることにほくそ笑んで、日下部は自分に集まる視線に満足していた。
そうして昼食を済ませ、揃って病棟へ上がった2人。
さすがにここでは、食堂のようには行かなかった。
「来た来た来た、ダメ岡」
「でも日下部先生もセットだよ」
「いやむしろ、そこのところもはっきりさせるチャンスだって」
「外来でも食堂でも、ダメ岡守るみたいに、超怪しかったんだってよ!」
ナースステーションの側まで来た途端、ザワッとざわめいた空気と、看護師たちの視線にヒソヒソ話。
ビクリと竦む山岡を気遣いながら、日下部はニコリと微笑んで、山岡を伴ってナースステーションの中に足を踏み入れた。
「平和だね」
ニコリ。雑談の中身に想像がついている日下部は、半分嫌味を込めて、看護師たちに微笑みかけた。
「キャァ、日下部先生」
「クスクス。入院患者さんの話より、俺らの話?よっぽどみんな状態安定しているんだろうね?」
ニコリと微笑む日下部は、敢えて自ら話題を振った。もちろん全てが計算だ。
「あ、う…だってその、もう気になってしまってどうしようもないっていうか…」
「そ、そうですよ。ねぇ、もうはっきりさせましょうよ」
「何をだろう?」
分かっていてすっとぼける日下部は、実は人が悪い。けれども無邪気を装ってキョトンとしてみせる辺りに、女性たちはイチコロだ。
「っ…は、反則すぎ…」
「日下部先生ぇ~」
キュンとハートを鷲掴みにされている看護師たち。けれどもここのスタッフは、毎日関わっているだけあって、他よりは多少耐性がある者もいた。
「ご、誤魔化されませんよ!あ、あたし、見たんですからね!」
「見た?」
「一昨日…急患に付き添ってきた、山岡先生…」
「っ…」
看護師の1人が意を決したように言い放った瞬間、日下部の後ろで息を殺していた山岡がヒュッと息を呑んだ。
「眼鏡と髪…ない姿」
「っ…」
完全に俯いて困り果てている山岡を、日下部がふと振り返った。
「だってさ、山岡先生」
スッと横に動き、後ろに隠れるようにいた山岡を、看護師たちの前に見せてしまうようにした日下部。
山岡の身体が、目に見えてビクンと強張る。
「取って見せてあげたら?」
ニコリ。何故か看護師たちを擁護するような発言をした日下部に、山岡がガバッと顔を上げて、呆然と日下部を見た。
「な、にを…日下部…先生?」
てっきり庇ってもらえると思い込んでいた山岡は、売るような日下部の態度に、ジワリと涙が浮かんできた。
「っ…オレ…」
「本当は、俺も自慢したかったんだよね」
ニコリ。山岡と看護師に微笑みかけながら、日下部はゆっくりと山岡の後ろに回り込んだ。
『大丈夫。俺が守るって言っただろ?』
山岡の後ろに立ち、眼鏡に手をかけながら、そっと山岡の耳に囁く。
え?と目を見開いた山岡が、振り返ろうとする前に、スッと眼鏡を外してしまった。
「っ…」
「「「っ!」」」
同時に息を呑んだのは、山岡と看護師たち。
あろうことか日下部は、眼鏡を取ったついでのように、山岡の前髪まで持ち上げてしまったのだ。
誰もが目を瞠るような美貌が露わになる。
「っ…ゃ…」
反射的に俯いていこうとする山岡の顔を上げたまま押さえて、日下部はその頭を抱き込むように身体を寄せて、ニコリと微笑んだ。
「綺麗でしょ」
「っ!キャァァァ!ヤバイ!本当に美形だった!」
「ちょっ、シャメ、シャメ、シャメ~!ロッカー行ってくるから待ってて下さいっ」
「嘘ぉ!現実?ヤバ!超イケメン!」
途端に浮き足立った看護師たちに苦笑して、日下部は山岡の髪は下ろしてあげた。
「まぁまぁ落ち着いて」
「っ…」
のんびりした日下部の声に、看護師たちがハッと自分を取り戻す。
素顔を晒され騒がれた山岡は、もう泣きそうだ。
「あの…日下部先生?」
ふと、勘が鋭い看護師の1人が、あることに気づいて日下部を窺った。
「うん」
「っ!日下部先生は…ご存知…だったんです、ね…」
「うん」
「それって…」
ニコリ、と無害に微笑んでいる日下部に、他の看護師たちも、ハッとしはじめた。
「ふふ。この人は、俺が1番最初に見つけたんだよ?俺のだからね。今ごろになって騒ぎ出しても、誰にも譲らないよ?」
ニコリ。それこそ甘く蕩けそうな魅力的な笑みを意識的に浮かべて見せた日下部に、看護師たちがクラクラと悩殺されている。全て計算済みで行動している日下部には、誰も敵わない。
それでも彼女たちの好奇心パワーはすごくて、すぐに立ち直りを見せた看護師たちは、山岡と日下部に詰め寄ってきた。
「それって、お2人は…」
「クスクス。そこはご想像にお任せするよ。ただ、これだけは言っておく」
ニコリ。笑顔なのに、目だけを鋭く光らせた日下部に、看護師たちはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「この人を傷つける者は、誰であっても許さないから」
二、コリ。綺麗な綺麗な日下部の笑顔。けれどもそれは、触れれば切れるような危うい美しさも含んでいて。
「「「ッ!」」」
反射的にコクコクと縦に首を振りまくっている看護師たちが、一瞬にして2人の味方になったのがわかった。
「ぜんっぜんアリ!山岡先生と日下部先生なら許せるぅ~」
「さっすが日下部先生。まさかまさかの山岡先生の素顔に、とっくに気づいていたんですね!やっぱり素敵~」
「もぅ、日下部先生ったら、ずっと山岡先生を独り占めしていたんです?ズルすぎですぅ」
キャァキャァ騒ぎ出す看護師たちの反応に、山岡がポカンとなった。
対して日下部は、それはそれは満足そうな笑みを浮かべる。
「さぁほら、わかったらそろそろ仕事!午後イチのラウンドまだでしょう?」
「あっ、はぁい」
「さぁ、散った、散った」
行きなさい、と看護師たちを追い払った日下部は、ゆったりとナースステーションの机についた。
「っぁ…」
「山岡先生?座ったら?」
ニコリ。まだ呆然と立ち竦んでいた山岡を、来い来いと誘う日下部。
「あ、はぃ…」
引かれるようにフラフラと足を進めた山岡は、日下部の向かいの椅子に腰かける。
「ふふ、だから言っただろ?俺が守るから大丈夫だって」
「っ…」
「信じないもんなぁ、山岡」
「っ…それ、は…」
「今夜、楽しみだな」
「っ~!」
眼鏡の件のお仕置き、と目が語る日下部に、山岡はビクッと身を竦めて、ズルズルと俯いてしまった。
「このまま眼鏡、没収な」
ニコリ。山岡から取り上げたままだった眼鏡をチラリと翳して見せて、日下部はそれはそれは楽しそうに微笑んだ。
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