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第29話
翌日。
昨日、日下部に恥ずかしくて辛いお仕置きをされた上、自分でも堂々と宣言してしまった手前、山岡は眼鏡をせずに出勤してきていた。
長めの前髪だけが頼りというように、看護師たち曰く、ますますスカイテリア顔負けの様相だ。
「ねぇ、聞いた?山岡」
「聞いたっていうか、あたし見たよ!」
「うっそ、マジだった?」
「マジ、マジ。大マジ。昨日の日勤はみんな見てる」
今日も変わらず、ナースステーションは噂話の宝庫と化している。
「いやぁ、さすがに驚いたわ」
「いいなぁ。私も見たいなぁ。でも何でそんな美形なら、あんな風に隠していたんだろ」
ワイワイと交わされる会話は、相変わらず山岡の話題。いつの間にか呼び名が、ダメ岡から山岡に昇格している。
「それがあれなんだって!」
「どれがなによ」
「うは!あのね、日下部先生なの」
「は?」
「だ~か~ら、日下部先生が独り占めしてたんだってば」
キャァ、とテンションを上げる昨日日勤だった看護師に、意味のわからない別の看護師が首を傾げている。
「どういうこと?」
「それが、日下部先生、あれは絶対、山岡のこと好きなんだって!」
「はぁぁ?」
「いやむしろ、あれはもうデキてるね」
にやっと笑って自信満々に言い切る看護師に、色んな意味の悲鳴が上がる。
「だってあんた、山岡だけはないとか言ってなかったっけ?」
「それが、むしろ山岡だからあるんだって!」
「そんなに?」
「うん、そんなに。もうさぁ、日下部先生、ベタ惚れだよぉ」
「わかる~。こいつを傷つけるやつは俺が許さないぜ、みたいな。ヤバい、だから惚れる~!」
キャァとはしゃぐ看護師たちの話題は、徐々に日下部の話に変わっていく。
「山岡の素顔もさ、日下部先生がきっと、見せるのは俺の前だけにしろよ、的なさ!」
「そうよきっと!他のやつにこの美貌を見せたらお仕置きだぜ、みたいな!」
「キャァキャァ、じゃぁ、この前、急患連れてきたとき、見せちゃってたじゃん?」
「そうそう!きっとあれは帰ってから、あんなことやこんなこと…お仕置きしちゃったんじゃないの~?」
「ヤバい~!日下部先生になら、あたしもされたい~」
どんどん勝手に盛り上がる看護師たちの会話は、またしてもナースステーション近くの廊下に丸聞こえだ。
そして、何故かやっぱりそこに遭遇してしまう山岡は、運がいいのか悪いのか。
「むしろ隠すとお仕置きだよな」
コソッ。
不意に、廊下の角で、ナースステーションの方に出て行くに行けなくなっていた山岡の耳に、後ろから囁いた声があった。
「わっ!なっ…、く、日下部せんせっ…」
ビクンと飛び上がった山岡が、パッと後ろを振り向いたそこに、ニコリと笑顔の日下部がいた。
しかも、どうやらだいぶ前からいたようで、看護師たちの会話もバッチリ聞いていたような発言だ。
「へ~ぇ、あれが巷で耳にする、腐な女子様か。妄想、すごいね」
クスクス笑う日下部だが、看護師たちの話は、一概に妄想とも言い切れないのは承知だ。
「じゃぁ、ちょっとサービスしてやろうか。な?山岡せんせ」
クスッと悪戯っぽく笑って、日下部は山岡の肩をグイッと組んで、廊下の影からナースステーションの方に姿を出した。
「っ、キャァァァ!ご登場!」
「おっ、お揃いでっ、おはようございますぅ」
途端にさらに騒がしくなったナースステーションに、日下部はニコリと最上級の笑顔を浮かべて見せる。
「おはよう。朝から元気だね」
「そりゃもう!ねぇ、日下部先生、先生ってゲイだったんですか?」
「ん~?どうかな。クスクス」
「ぶっちゃけ、山岡先生のこと、どう思ってます?」
「だから、ご想像にお任せするって。ふふ」
「やぁん、秘密主義ですか~?でもそこがミステリアスで素敵~」
ワイワイと、日下部に群がる看護師たちを、上手にあしらう日下部。
いつもとそう変わらない光景に、いつの間にか日下部から解放されていた山岡が、ホッと安心しているのがわかる。
「それにしても日下部先生、山岡先生の美貌独り占めしてたなんて、ずるいですよね~」
「クスクス。だって俺のだもの。今さら知ったからって、ちょっかい出さないでね?」
ニコリ。その笑みの効果をわかっていて、惜しみなく披露する日下部に、看護師たちの目は完全にハートだ。
「あぁん、もう、日下部先生もやっぱり素敵すぎます~。で、山岡先生にメロメロ?」
「ふふ、だから、好きに解釈していいってば」
ニコリと笑顔を絶やさないまま、自分に集中する話題と注目を引きつけっ放しで、日下部はこっそり、山岡に行け、行け、と腰の下で手を振る。
「っ…。か、回診行ってきまぁす…」
こっそり、聞こえるか聞こえないか程度の小声で囁いて、山岡がこれ幸いと踵を返し、ナースステーションを出て行った。
ヒラリと翻った白衣の裾に気づいた看護師が、ハッと廊下の方を見る。
「いっけなぁい、あたし今日、山岡先生のお付きだったぁ。行ってきます!」
「あっ、いいな!私はいつだろ」
山岡お付きはブルー入るのではなかったのか。現金な看護師に苦笑しながらも、日下部はほぼ計算通りの現状に満足していた。
次の懸念は、消化器外科病棟以外だったが、日下部の目論見通り、どこへ行っても流れている噂は、山岡の素顔への興味関心ではなく、日下部に対する興味だった。
消化器外科エース日下部がゲイ?説や、同僚山岡へベタ惚れ説などなど。多少は山岡の美貌に言及されてはいるが、もっぱらみんなの興味の対象と好奇の目は、日下部の方に向かっている。
「よし、完璧」
これこそを狙って、そうなるように最高のタイミングで山岡の素顔を暴露した日下部は、どこまでも策士だった。
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