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第43話

パタン、と当直室のドアが閉じられる。 カチャッと鍵をかけた日下部に、山岡の身体が目に見えて強張った。 ドアを入ったところに日下部に立たれては逃げることもできず、山岡は仕方なくジリジリと奥の方へ行くしかなかった。 「っ…あの…」 「ん?言い訳する?」 「っ…だ、だってその…」 ジッと見つめてくる日下部の目から俯いてしまいながら、山岡がもそもそと口を開いた。 「オレ…別に何も…」 ポツリと言う山岡に、日下部の目がスゥッと細くなった。 「何もしてないと思うなら、そんなに怯えなくてもいいと思うんだけど」 「っ…それは…」 「疚しそうにしている時点で、わかってるってことじゃないの」 まったく、と息を吐く日下部に、山岡はビクッと小さく肩を跳ねさせた。 「料理禁止令。破ったな?」 「っ…や、破って、ないです…」 往生際悪く、山岡は小さく首を振った。 「へぇ?さっき、林檎とナイフ持ってたみたいだけど?」 「っ…それは…」 料理じゃない、と山岡が言い張ろうとする前に、日下部が言葉の先を奪った。 「まさか、料理禁止イコール、包丁やナイフとかの刃物を持つな、ってことだと理解してなかったわけじゃないよな?」 馬鹿じゃないし、と言う日下部に、山岡は、うっ、と言葉に詰まった。 「禁止された時の状況考えれば、わかることだよな?包丁だろうがナイフだろうが、山岡はメス以外の刃物を持っちゃいけない、ってことくらい」 なぁ?と、1歩近づいてくる日下部から、ジリッと後ろに下がった山岡が、チラリと顔を上げた。 「それは…」 「はさみやカッターも?なんてガキみたいなこと言い出して、これ以上俺を怒らせないでな?」 やけに往生際の悪い山岡を不思議に思いながらも、日下部は山岡の逃げ道をことごとく潰して歩いた。 「っ…ごめっ…なさぃ…」 ジワッと山岡が目に涙を浮かべたのがわかった。 小さく震える身体の意味は、恐怖か。 日下部は、そんな山岡の反応を見て、よっぽどこれから起こることが嫌なのだと察した。 (まぁそれくらい怯えてもらわないと意味ないけど) ふっと笑ってしまいそうになりながらも、日下部は表面では厳しい顔を崩さない。 「ごめん…なさぃ…お仕置き、は…ぃゃ…」 小さく震えた涙声で、長めの前髪の間から、潤んだ瞳を日下部に縋るように向けてくる。 その憐れっぽい可愛さに、思わず絆されそうになる日下部…ではなかった。 (逆効果。だから、そういう態度を取るから、余計に意地悪したくなるんだって。…まぁ今は、それ以上に本当に怒っているけどな) 1度手を怪我しておきながら、またも約束を破ってまで同じことを繰り返しそうになるとは。 未遂だったからと言って、許されることじゃない。 「3日後」 「っ…」 「3日後は、川崎さんのオペだろう?」 「はぃ…」 「やれなくなってもいいの?」 ジロッと睨んでくる日下部から、山岡はストンと目を逸らして、首を左右に振った。 「大切な手なんだよ。それが傷つくリスクを遠ざけたいと思う俺は間違っているか?」 「っ…ぃぇ…」 ポソッと小さく首を振った山岡に、日下部の視線は僅かだけ緩んだ。 「じゃぁ、罰、受けるな?」 「っ…それは…」 「嫌だなんて聞かない。だって山岡は本当はわかってただろ。マズイかな、って思いながら、ナイフ使おうとしたんじゃないか?」 「っ!」 全てお見通しだった。 もしかしたら下手くそかもしれない。指を切るかもしれない。怒られるかもしれない。 そう思いながら、包丁じゃないから、料理ではないから、と自分に言い訳してナイフを開けた山岡は、それを言い当てられて、拒絶の言葉を失った。 「ごめっ…なさぃ…」 もう逃れられないと悟った山岡は、すでに目に涙を溢れる寸前まで溜めて震えている。 そんな山岡の状態はわかったが、日下部もここで許すつもりはなかった。 「とりあえず白衣は脱いで。手はここな?」 ここ、と言いながら、仮眠用のベッドを示した日下部。 山岡がギク、と怯みながらも、諦めを浮かべてノロノロとそれに従い、バサリと白衣を脱いで、両手をペタとベッドの上についた。 太腿の中ほどくらいまでしかない高さのベッドに手をつくと、上半身を折り、後ろに腰を突き出す形になる。 「っ…」 突き出たお尻に気付いて、山岡はこれから起こることへの恐怖に、小さく身動いだ。 「ん。そのまま動くなよ」 素直にできたこと褒めるように、ポンと山岡の背中を撫でた日下部は、その優しさとは裏腹に、山岡のズボンのベルトに手をかけ、片手で手早くバックルを外してしまった。 「っ…」 山岡は嫌がって一瞬腰を引いたけれど、ベッドについた手は離さずに我慢した。 日下部の手はそのままズボンのジッパーも下ろしていく。 そうしてズルリと下げられたズボン。 露わになった下着も容赦なく太腿の中ほどまで下ろされて、山岡はお尻に直に触れた空気に身を震わせた。 「っ…ぅ…」 1度されたことがある痛いお仕置き。 あのときはわけがわからないまま痛みに呑まれていたが、今度はまだ思考が残る。 あのときの痛みを知っているから余計に、今から痛い思いをさせられるんだということに怯んでしまう。 「約束だったからな。痛いお仕置き、するからな」 これがとても嫌いな山岡を知っている。 けれども、禁止令を破ったら痛いお仕置き、と宣言してあったものを破ったのは山岡だ。 「っ…ごめっ…なさ…っ」 すでに泣き出しそうになっている山岡に苦笑して、日下部はスッと山岡の後ろに平手を構えた。 パァンッ! 「っ!」 わずかな手加減だけで、ほぼ思い切り平手を振り下ろした日下部。 平手が弾けた瞬間、わずかに歪んだ尻たぶに、ふわりと薄い赤色の手型が浮かび上がる。 ジン、と痺れるように痛んだのは、山岡のお尻も、日下部の手のひらも、だ。 プラッと軽く手を振ってから、日下部はまた平手を高く振り上げた。 パァンッ! 「ひぅっ…」 最初の手型に少しずれる位置に、2つ目の赤い手型がつく。 ビクンと仰け反った山岡が、ブンブンと首を振りながら俯いていく。 もじっと足を擦り合わせた仕草から、痛みのほどがうかがえる。 パァンッ! 「った…ぃ…ゃぁ…」 ポロッと、ついに留まる限界を超えた涙が山岡の目から伝った。 パァンッ! 「痛っ…ぁぁ…」 こんな風に子どもにするみたいにお尻を叩かれ、泣くなんて恥ずかしいのに。 まったく甘くない力加減で痛みを与えられ、涙を堪えることなど到底無理だった。 パァンッ! 「ぅっ…つぅ…。ひっく…ごめっ…なさっ…」 1度流してしまった涙は、後はもうなし崩し。ポロポロ泣き、しゃくりあげながら、山岡は度重なるお尻の痛みに震える。 パァンッ! 「痛っ…ぅぇんっ…」 お尻が痛くて痛くて、山岡は泣きながら、浅はかにナイフを手にしたことを後悔した。 パァンッ! 「あぁっ…ふぇぇっ、ごめっ…なさっ…」 「うん」 「いっ…ゃぁ…。ぅぇんっ…ぇっく…」 「山岡」 「ひっ…ぅ、はぃ…」 パン、パンとお尻をぶたれながら、山岡は日下部の声に耳を傾けた。 「っ、ふっ…ごめっ、なさっ…」 「うん。反省した?」 「っ…しま、したっ…もっ、破らなっ…」 「うん」 「もっ…刃物っ…もっ…なっ…」 うぇぇん、と泣きながら誓う山岡に、日下部の手がピタリと止まった。 「ん…」 何発も容赦なく叩かれた山岡のお尻は、満遍なく赤くなっている。 相当痛むのだろう。足が小刻みに震えているのがわかる。 「山岡?」 「っ…はぃ」 そっと呼びかけただけの日下部に、山岡の身体がビクッと飛び上がる。 それに苦笑して、日下部はポンポンと優しく山岡の背中を撫でた。 「もうお終いだよ」 「っ?…ぁ、はぁ…」 あからさまにホッとした山岡が可笑しい。クタリと緊張を解く身体が、ヘナヘナと床に崩れていく。 「っ…くっ…」 ペタンと床に座った山岡は、片手はベッドに残し、もう片方の手を後ろに回して、熱くなったお尻をそっと撫でていた。 「ぅぇぇぇん…ぇっく…」 ソロソロとお尻をさすり、しゃくりあげている山岡を、日下部がウッと口に手を当てて見下ろしている。 チラリと見える赤く染まったお尻も、小さな泣き声も、日下部のS心を刺激してやまない。 (ヤバいな~。可愛過ぎる…) もっと可愛がりたくなる気持ちを、日下部は必死で抑えながら、床で嗚咽を漏らす山岡を助け起こした。 「ほら…せっかくベッドがあるんだから、上あがれ」 よいしょ、と山岡を引っ張り立たせ、ベッドの上にうつ伏せで寝るようにしてやる。 素直にパタンとベッドに寝た山岡の、晒されている痛そうな色のお尻に、思わず目が行ってしまう。 (っ…駄目だ、駄目だこれ以上。午後のオペに差し支える…) 更に苛めたくなる衝動を抑え、日下部は近くの棚から新品のタオルを取り出し、水で濡らして山岡のお尻に乗せてやった。 「っ?!なに…」 「ん?冷やしてあげようかと」 ピクンと反応した山岡に苦笑して、日下部はもう1枚タオルを取り出し、それもまた水に濡らして、今度は自分の手に当てた。 「っ…ぁ…日下部せんせ…」 ふと後ろを振り返った山岡が、その日下部の行動を目にして、ギュッと顔を歪めた。 「日下部先生も…痛い…です?」 「まぁ、ね。午後からオペだし、念のためな」 「っ…」 「大丈夫。今日はただの助手だし。山岡もだろ?」 お互い、今日は執刀でなくてよかった。まぁ日下部は、それがわかっていてやっているわけだが。 「ごめん…なさぃ…」 途端にシュンと俯いた山岡に、日下部は苦笑した。 「クスクス。これに懲りたら、もう怖いことはしないでな」 ポン、と冷やしていない方の手で、山岡の頭を撫でた日下部に、山岡は素直にコクンと頷いた。 「オレ…」 「うん」 「いぇ…」 ふと何かを言い出そうとした山岡は、そのまま黙ってしまった。 日下部は、そんな山岡の言いたいことをちゃんと察する。 「どうしても料理が出来ないのが気になるなら、俺が見てやるよ」 「ぇ…?」 「俺がいるとき限定で、初めは手が切れない、刃がない子ども用の包丁でな」 「そんなの、あるんですか?」 途端にパッと顔を上げた山岡が、嬉しそうにしたのがわかった。 「あるよ。まぁ、バナナとか、練り物とか、柔らかいものしか切れないけど。慣れだと言うなら、練習には十分だろ?」 「はぃ」 「んじゃ、今度、休みが重なったら、買いに行って、その日にやってみるか?」 「はぃ」 すでにワクワクし始めた山岡がわかる。 こんなところは、本当に無邪気な子どものようで。日下部は、改めて山岡の過去が、いかにそういうごく普通の経験を積ませてくれないものだったのかを痛感した。 『まぁこれから俺が、いくらでも埋めていってやるからな』 「ん?日下部先生?」 「いや。楽しみだな」 「はぃ」 嬉しそうに頷く山岡に、日下部は内心で計算する。 (さて、その見返りに、そろそろ前髪切らすか…同居に持ち込むか…) どっちにしろ、また1歩進むつもりで、日下部はあれこれと策略を思い浮かべた。 「よし。そろそろ動けそうなら、昼ご飯行こうな」 「ぁ…はぃ」 すっかり忘れていた、と言わんばかりの山岡の反応に、日下部は、山岡の食生活改善は随分な長期戦だな、と改めて苦笑していた。 「っ…たぁ…」 のそりとベッドから起き上がり、ズボンと下着を戻している山岡が顔をしかめた。それを横で見て、日下部は笑ってしまう。 「ははっ…」 「うぅ。痛い…の、もう…本当に、やだ…」 グズグズと俯く山岡に、日下部はニコリと微笑んだ。 「いい子にしてればしないよ」 「っ…。いい子って…」 むっ、としながらも、心から嫌がっている様子はない山岡に、日下部はますます愛しさが込み上げるのだった。

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