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第55話

「おれ、カツカレー!」 食堂についてからも、原のテンションは高いまま。こってりした油ものを、さらに大盛りで注文している。 さすが、若いね~、なんて呑気に眺めている日下部も、そういうほど年ではないはずだ。 「日下部先生はA定?足りるんですか、それ」 「おぢさんだからね」 クスクス笑う日下部の隣で、トレイを持った山岡は、そっとうどんと漬物をその上に乗せている。 『身体、辛い?』 食欲がなさそうなメニューをちらりと見て、日下部がコソッと山岡に耳打ちした。 「っ!いえ…」 もともと少食といえばそうなのだが、さすがに今日の少食の理由は、昨夜の疲れだろう。 心当たりがありすぎる日下部が気遣うのに、顔を赤くした山岡はパッと日下部から顔を背けて、スタスタと食堂隅のテーブルについてしまった。 「あっ、待ってよ」 「ちょっ、待って下さいって…」 山岡の後を慌てて日下部が追い、その後をさらに原が追っている。 結局、山岡が勝手に選んだ食堂隅のテーブルに、3人が揃った。 「ん~、美味い」 「本当、美味しそうに食べるね。胸焼けしそう」 大盛りカツカレーをガツガツ口に放り込む原に、見ているだけでお腹がいっぱいになりそうな日下部が、げっそりとそれを眺めている。 自分はA定食をのんびり口に運びながら、ときどき山岡にも視線を移す。 チュルチュルと静かにうどんをすすっている山岡は、相変わらず前髪が邪魔をして、いまいち表情が見えない。 「山岡先生」 「…ん?え?あ、はぃ」 ぼーっとうどんを食べていたのか、ふと呼びかけた日下部に、山岡が驚いたように顔を上げた。 「…大丈夫?」 「え?あ、はぃ…」 山岡の声が小さいのはいつものことだが、今日は輪を掛けて覇気がない。 「午後…点滴入れてやろうか」 「あ~…大丈夫、です」 日下部が必要以上に心配しているのがわかった山岡は、ふわりと笑って、日下部に視線をピタリと向けた。 「そう?無理するなよ」 多少責任も感じている日下部が微笑み返すのに、山岡も嬉しそうに頷く。 そんな2人を間近で見ながら、原が1人、ギリギリと山岡を睨んでいたことに、2人は気付かなかった。 「失礼します。川崎せ…さん」 「は~い。せさんって」 午後、ふと様子を窺いに来た山岡を、ベッドの上で出迎えてくれた川崎がプッと笑った。 「慣れなくて…。すみません」 「や、別に謝ることじゃないけど」 「あはは。あ~、えっと、どうですか?」 「うん、特になんともないかな。まぁ、傷口が多少痛むくらい」 「そうですか。薬追加します?」 「今のところ大丈夫」 ニコリと笑う川崎に安心して、山岡もふわりと微笑んだ。 「オペは無事に成功しました。病巣も取り切れました」 「すごいね。ありがとう」 「いえ。やはり胃の表面まで浸潤し、周辺臓器へのメタ(転移)もありましたが、思ったよりは悪い状況ではありませんでした」 「そう…」 「これからの治療方針はまた内科とも話し合いたいと思いますが…ケモはしていく方向です」 元医者と知っているから、専門用語も平気で使って話す山岡。 もちろん理解できる川崎は、思ったより安心している自分に驚いていた。 「一度は死ぬかも、って思ったんだけど…」 「またそんな…」 「今は、生きたいって…生きられるのかな、って思ってる」 ふわりと微笑む川崎に、山岡は力強く頷いた。 「オレは、味方ですから」 きっぱりと言い放つ山岡に、川崎も強く、信じていこうと思った。 「クスクス。山岡先生、変わったな」 「オレですか?」 「うん。日下部先生、かな」 「え?」 「いやぁ、あの人、おっかないよね」 クスクス笑う川崎が、何のことを言っているのか。山岡はいまいちわからない。 「怖い…ですかね?」 「山岡先生には優しい?」 ふふ、と意味深に笑う川崎に、山岡はハッと、川崎が自分たちの関係を知っているのではないかと思い至った。 「もしかして…」 「まぁ、気づくなっていうほうが無理でしょ。そういえば、包丁、下手なんだって?」 「なっ…まっ…そんな話まで…っ」 自分の知らないところで、何やら川崎と日下部の間になにかがあったらしいとわかり、山岡は顔を赤くする。 「昨日は怒られなかった?」 「っ…」 「行ったんだろ?毎年続いてる?」 ふふ、と笑いながら、少しだけ真剣な顔をした川崎に、山岡はコクンと静かに頷いた。 「そう」 ほのかにしんみりしてしまった空気に、川崎がパッと表情を切りかえる。 「そういえば、新しい研修医くん」 「え?」 「今日の午前中、日下部先生と一緒に挨拶に来たけど」 「あぁ、原先生?今日からですって」 「オーベン、日下部先生?」 「ですね」 「あの子、気をつけろな」 にこりと笑う川崎に、山岡はキョトンと首を傾げる。 一体何の警告か、さっぱりわからない。 「まぁ、気付かなければそれでいいし。でも注意しておくに越したことないよ」 パチリとウインクして見せている川崎は、たった数分の挨拶回りの時に見ただけの相手だけれど、鋭い勘を持っていた。 山岡と同じく、過去に醜い人間関係を見、そして第3者であるが故、色々と見えているものがあった。 「はぁ、まぁ、わかりました」 山岡は、まだ今日会ったばかりで、会話らしい会話もまともにしていない相手をどうこうも言えず、取りあえず頷いている。 「えぇっと、それじゃぁまた来ますね」 「うん」 「何かあったら遠慮なく呼んで下さい」 「了解」 ペコリとお辞儀をして去っていく山岡の背を見送り、川崎は静かに目を閉じた。 『山岡大先生…。山岡先生の試練は、もう充分じゃないですかね…。いい加減、平和で穏やかな日々を送らせてあげても…』 ぼんやりと願いながら、川崎は疲れてそのまま眠ってしまった。

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