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第59話
先に休憩室を出てきた日下部は、さすがに原の下心に気づいていた。
(参ったな~。ただの俺への憧れか、懐いているだけなら無視しようと思ってたけど…)
う~んと悩みながら、病棟へ足を向ける日下部の、白衣の裾がヒラリと翻る。
(山岡に飛び火するのだけは避けないと…。あいつを傷つけるようなことになったら、俺は原を潰してしまう…)
ゆっくりと考える日下部は、自分のことをしっかりとわかっていた。
(原を潰す結果になったら、また山岡が傷つく…。これは思ったよりも厄介だなっと)
無限ループに陥りそうな現状に、さすがに頭を悩ませる。
そうして歩いているうちに病棟にたどり着いていた日下部は、ふと前を歩いている山岡の白衣の後ろ姿を見つけた。
首元から緑の術衣が覗いていて、手術帰りだと知れる。
『クスッ』
たまたま見えてきた当直室のドアを目に捉え、日下部はスッと山岡の後ろに近づき、後ろから口元に手を回し、腰の横から腹を抱いて、グイッとそのまま後ろに引いた。
「っ?!」
「しっ…」
拉致まがいに当直室のドアの中に山岡を引きずり込んだ日下部が、驚いて暴れようとしている山岡の耳元に口を寄せる。
「俺だよ」
コソッと囁いた途端、ホッと全身から力の抜ける山岡が愛おしい。
日下部は、もう騒がれる心配がないと見て取り、そっと口をふさいでいた手を離した。
「何してるんですか…」
突然当直室に連れ込まれた山岡が、恨めしそうに日下部を振り返った。
カチャンと抜け目なく後ろ手に鍵を掛けながら、日下部がニコリと笑う。
「ん~?ちょうど見かけたから」
「あの、それは理由になってませんよね…?」
さすがは山岡。まったくもって馬鹿ではない。
微妙に呆れた視線を向けてくる山岡に笑ってしまいながら、日下部はグイッと山岡の腕を引いた。
「っちょ…」
「泰佳不足。補充させて?」
腕を引かれてヨロッと日下部の胸に飛び込んでしまいながら、グイッと腰まで引き寄せられ、完全に身体が密着する。
「あの…」
「し~っ」
黙って、と笑う日下部の顔が、山岡の顔に近づく。
言わずと知れたキスの予感に、山岡は素直に目を閉じて、日下部の唇を受け入れた。
「んっ…」
鼻にかかった甘い吐息はどちらのものか。
カァッと上気する山岡の頬がわかる。
苦しさに喘ぐ山岡が口を開けた瞬間を逃さず、日下部は深く激しく山岡の口内を犯した。
「んぁ…」
前歯の裏を舌でなぞられ、ゾクゾクとした快感に腰が捩れる。
逃げようとする舌を捕え、思いのままに翻弄する日下部に、山岡の身体から徐々に力が抜けていった。
「ふっ、はっ…」
満足と共に日下部が唇を離したときにはもう、その目はぼーっと潤み、日下部が腰を抱いていなければ、その場に立ってすらいられないようだった。
「相変わらず、感じやすいな~」
「っ…だって…」
日下部のキスが上手いのが悪い、と言わんばかりの目で睨まれ、日下部はとても気分を良くする。
「ふふ。嬉しいよ、泰佳」
「っ!…仕事場で…やめて、ください…」
「え~?」
「オレは…器用じゃ、ないから…簡単に切り替えが…」
以前もそれで、わけのわからない噂話が広がった、と懲りている山岡は、当直室に自分と日下部、という状況に警戒たっぷりだ。
「大丈夫。今日は入るところ、誰にも見られてないし」
「でも…」
「だって最近、全然会えないだろ?寂しいと思っているのは俺だけかな~?」
それこそ寂しいな、と哀れっぽく言う日下部に、やっぱり山岡は簡単に騙された。
「っ…そ、れは…オレも…」
カァッと顔を赤くして俯いていく山岡に、日下部は満足そうに目を細める。
「好きだよ、泰佳」
「っ…オレ、も…」
「言葉にして?」
「っ、す、好き、です…千洋」
カァァッと顔をさらに赤くして囁くようにいう山岡に、日下部はたまらない思いが湧き上げた。
「本当、好き。なぁ、泰佳。ちゃんと食べてる?」
「え?えぇ、はぃ」
「夕食もあまり一緒に出来なくてごめんな」
「いえ、仕事ですから。大変ですね、オーベンも」
「うん。まったく厄介なんだよな~、あの子」
「いい子そうですけど…」
はぁっ、と溜め息をつく日下部は何を思っているのか。
あまり原を良く知らない山岡は、のんびり首を傾げている。
「まぁ、勉強熱心だし、意欲もあるし。普通に研修医としてなら、使えるほうだとは思うけど…」
「え…?」
「ん。大丈夫。けど山岡、あまり1人であの子に近づくなよ」
ギュッと抱き締めてきながら、日下部が言うのに、山岡はキョトンと首を傾げた。
「日下部先生…?」
「近いうちになんとかする」
フッと何か決心をしているらしい日下部に、わけがわからないながらも山岡は頷いた。
「日下部先生が言うことなら」
絶対の信頼を寄せてくる山岡を愛おしく思いながら、日下部は名残惜しそうにその身体を離した。
「さて、遊んでばかりもいられないな。山岡、先に出ろ」
「あ、はぃ…」
「一緒に出たらマズいし。山岡後だと、身支度してたとか言われかねないし」
「っ!」
「ま、誰にも見られないのが一番いいけど。俺、3分後くらいに出るから」
「はぃ…」
山岡も少しだけ名残惜しそうにしながら、ヒラリと白衣の裾を翻して、当直室を出て行った。
「ふぅ。足りない。全然足りない…」
抱きたいな~、と呟く日下部は、まるで思春期の盛りがついた若者みたいになっている自分に苦笑した。
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