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第72話
「ねぇねぇ、結局何がどうなったんだと思う?」
「え~?かなり謎が多いんだけど…とりあえず、ツヤツヤな日下部先生は、昨日の夜、山岡を泣かしまくったってことじゃない?」
「だよね~。山岡午前休だし…。オーダーミスのお仕置き、みっちりされたんだろうね~」
相変わらず、ここのナースステーションは暇らしい。
看護師たちが、噂話にはしゃいでいる。
「で、何故か原センセが、目ぇパンパンに腫らしてんだけど…」
「それ謎。昨日は泊まりで徹夜っぽかったけど…」
「あれかな?日下部先生に告って玉砕したとか?」
「まっさかぁ。研修日最後とかならわかるけど、万が一で気まずくなったらやじゃない?」
ありえないよ~と笑う看護師たちは、鋭いんだか鈍いんだか。
真実の間を行ったり来たりする噂話は、午後、ヨロヨロと出勤してきた山岡が現れたところでピタッと止まった。
「おはようございます…」
「おはようございますって…もう昼過ぎですよ~」
まずい、まずい、と思いながら、山岡を迎えてくれた看護師たちが仕事に散って行く。
「そうですよね…」
はぁっと溜息を吐きながら、山岡はもう1時になろうとしている時計に目を向けた。
「あ、おはよう、山岡先生」
「ん?あ、日下部先生…と、原先生…」
不意に、揃ってナースステーションに現れた2人に、山岡はヘニャと笑った。
「怠そうだね~。オペ大丈夫?」
「大丈夫です」
オペという言葉に、シャキッとなる山岡はさすがか。
日下部が可笑しそうに笑って、目を細めた。
「山岡先生、ちょっと時間ある?」
「はぃ…ありますけど」
「じゃぁ少し付き合って。原先生もおいで」
山岡には笑顔で、原にはキラッと睨みをきかせて、日下部は詰め所に向かった。
「で、原」
パタンと3人が詰め所内に入ったところで、日下部が鋭く原を振り返った。
「きみはやるべきことがあるだろう?」
クイッと山岡に顎をしゃくった日下部に、原はコクンと頷いて、山岡に向き直った。
「え?オレ?」
「山岡先生」
「は、はぃ…」
「すみませんでした!」
ガバッと突然、腰を90度に折った原が、深く頭を下げた。
「あの…えっと…」
「おれっ、山岡先生に嫉妬して、馬鹿なことしました。ごめんなさい!」
重ねて謝る原に、山岡はオロオロと日下部に目を向けた。
「あの…」
「俺からも、オーベンとして謝るよ。うちの研修医がご迷惑をお掛けしたね。俺の指導不足と監督不行き届き」
言いながら本当に頭を下げる日下部に、山岡のみならず原まで慌てた。
「ちょっ…日下部先生っ、やめて下さい…」
「なっ、日下部先生…おれがっ、おれが勝手にやって…おれが悪いのにっ…」
ワタワタと慌てる山岡と原を交互に見てから、日下部は山岡に視線を戻してピタリと止めた。
「許してもらえるか?」
「っ…当たり前ですっ…」
ブンブンと首を縦に振る山岡に、日下部が笑う。
「こいつは?」
コンッと原の頭を軽くぶった日下部が、笑ったまま山岡を見た。
「反省…しているんですよね?」
ふと、真面目な顔になった山岡が、窺うように原を見た。
「それはもうっ!」
懲り懲りです、と言い切る原に、山岡はそれなら、とふわりと微笑んだ。
「ならもういいです。2度としないなら」
「はい!それはもちろん!誓いますっ。本当にすみませんでした」
ペコォッとまた深く頭を下げた原に、山岡は薄く目を細めた。
「もういいです。でもただ…」
「はいっ」
「もしもオレに腹が立つなら…オレに敵意があるなら…その悪意は直接オレに向けて下さい…」
「え…?」
「患者さんには関係ないことでしょう?だから、オレが嫌いなら、オレに直接そう言って下さい。オレに直接意地悪して下さい」
真剣に変なことを言う山岡に、原が戸惑って目を彷徨わせ、日下部が堪えきれずにクスクス笑い出した。
「直接意地悪しろって、本当どM」
「え…?いや、そういうんじゃなくてですね…」
「クスクス、わかっているよ。裏でコソコソしないで、堂々と向かって来いってことだろ?おっとこまえ~」
楽しそうに笑う日下部は、なんとも山岡らしいと思った。
「はぃ…。その方がまだマシだから…」
あまり重苦しくなる様子のない山岡に、日下部は少しだけ突っ込んだ。
「ふぅん。されたんだ?直接意地悪も」
「あぁ、はぃ…。足掛けて転ばされたり…注射の練習台とか言われてわざと下手にやられたり…」
「うわ、それ嫌だな…」
痛みに弱い山岡は、どれだけ辛かっただろうか。
それなのに、オーダー改ざんの方がよっぽど激しく凹んでいたのを見て、日下部はやっぱり山岡がいい、と思った。
「えっ?えっ?おれやってませんよ?!」
「あ?あぁ、昔の話」
「ははっ。昔の話です」
慌てる原に、目を見合わせて笑う2人。
原が入って行けない空気がそこにはあって、原は少しだけ悔しそうに目を細めた。
「まぁ、こいつにはもうみっちり罰を与えたから」
「はぃ。もういいですよ」
ニコリと笑う山岡に、原もホッとする。
「だとさ。本当に2度とするなよ」
「は~い」
えへ、と笑った原の頭を小突きながら、日下部も笑った。
「さてと、お互いオペか」
「はぃ」
「山岡は今日は光村先生の前立ちだっけ?」
「はぃ」
「まぁ頑張って」
「日下部先生も」
「うん。あ、そうだ。来週の斉藤さんのオペなんだけど、こいつを前立ちで入れてくれない?」
「原先生をですか?」
「うん。俺も助手で入って、迷惑は掛けさせないからさ」
どう?と言う日下部に、山岡はケロッと頷いた。
「別に構いませんが」
「よかった。よろしくな」
「はぃ」
「きみもちゃんとお願いして」
チラッと原を見た日下部に、原がハッとして、慌てて頭を下げた。
「よろしくお願いしますっ」
「はぃ…」
「じゃぁそろそろ時間か。行くぞ、原先生」
自分のタイミングより、準備に時間がかかる原を見越して、オペ場に向かうことにする日下部。
「あ、じゃぁオレも…」
目上の人のオペだし、と一緒に出ることにした山岡と並んで、3人はオペ場に向かった。
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