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第73話

その、翌週。 山岡のオペに入った原は、終了後も興奮冷めやらない様子で、休憩室でポーッと浮かれていた。 「もう本当すごかった…。神?って何度思ったか!」 コーヒーをのんびり傾けている日下部と、お茶を飲んでいる山岡の前で、原が相変わらず炭酸の入ったコップを持ち、力説している。 「言い過ぎですから…」 困惑顔で苦笑する山岡にも、原の熱は冷めやらない。 「そんなことないですよ!もうオペ中に何度見惚れてしまったか…」 うっとりと言い募る原に、日下部のシラッとした目が向いた。 「それで何度も手を止めて、何度俺に蹴り入れられたか覚えてるか?」 フンッと言う日下部は、完全に呆れ顔だ。 「あぁっ、本当に惚れます!山岡先生っ。おれ、一生あなたについて行きますっ」 単純と言うか、現金と言うか、山岡の腕を見た原は、完全に山岡信者になっていた。 「は~ら。駄目だよ、これは俺の」 原の目の前で、山岡に横から手を伸ばし、ギュッと自分の方へ引き寄せた日下部。 突然引っ張られた山岡が、フラッと傾いて、ポスッと日下部の胸に倒れてしまう。 「なっ、なっ、なっ…」 カァッと顔を赤くした山岡が、ワタワタと慌てて日下部から離れようともがく。 じゃれ合っているようにしか見えない2人を見て、原がムッとして、コップをダンッとテーブルに置き、スッと山岡の前に膝をついた。 「独り占めはさせませんよ、日下部先生」 ニコリと笑った原が、山岡の手を取り、その甲に恭しく口付けた。 「ちょっ…原先生っ…」 「この惚れ惚れするオペを行う手に敬意を表して…」 ふと上目遣いで、床から椅子に座っている山岡を見上げた原の目が、みるみるうちに丸くなった。 「え…、嘘…?」 フラリと立ち上がった原が、呆然としたまま、徐に山岡の前髪をパサリと上げてしまった。 「ちょっ…やめ…っ」 「うっわぁ…美人…」 ボーッと山岡の素顔に見惚れた原が、ぼんやりとしたその時。 「きみ、先輩医師になんて失礼を…」 ベシッと横から原の手を払い落とし、日下部がますます強く山岡を引き寄せた。 「痛っ…」 「ちょっ、日下部先生っ…やめ…」 「日下部先生!」 振り払われた手の痛みにハッとした原が、ワタワタ慌てる山岡を抱き寄せている日下部に向かって、ビシッと人差し指を突きつけた。 「なに?」 「おれ、見つけました!」 「は?」 「日下部先生より素敵な人!」 ふん、と胸を逸らす原に、日下部はその言いたいことを察して、オイオイと苦笑した。 「惚れました!山岡先生!」 「え?オレ…?」 「好きです!付き合って下さい」 どストレート。真っ向から直球を投げてきた原に、山岡がキョトンと首を傾げ、日下部がげっそりと溜息をついた。 「だからこれは俺のだって」 「今はそうでも、未来はわかりません!おれ、日下部先生から奪ってみせます!宣戦布告です。覚悟して下さい」 ニヤリ。若さゆえの怖いもの知らずで突き進む原に、日下部の悪い笑みが浮かび上がった。 「ふぅん?まぁ、精々頑張れば?」 クスッと笑った日下部が、山岡の顔を引き寄せ、その唇に自分の唇を重ねた。 「んんっ!く、日下部先生っ!原先生の前でっ…」 人前でキスをされた恥ずかしさに、山岡が涙目になって日下部を睨んだ。 「クスクス。原になんかキスされたから、お仕置き」 「っ…キスって…あんな、手にだし…」 「それでも。おまえは俺のもの。こんなクソガキに隙なんか見せるなよ?」 ふふん、と傲慢に笑う日下部に、山岡がヘラッと苦笑した。 「クソガキって…」 「隙見せたらお仕置きだからな」 「え…。それは横暴です…」 「すでに素顔も見せてるだろう?油断しすぎだ」 「っ…」 どうあっても自分の都合通りにことを運ぶつもりらしい日下部に、山岡はそれでもそれが日下部の嫉妬だとわかっていて、嬉しそうにストンと頷いた。 「あ~っ、脅しなんてズルいでしょ~。ねっ?山岡先生。おれは日下部先生と違って優しいですよ。意地悪なんてしませんよ?おれにしときません?」 ニカッと笑って、日下部からグイッと引っ張り奪って山岡をギュウと抱き締めてくる原。 途端に冷ややかな空気を隣から感じ、山岡がワタワタと慌てる。 「や~ま~お~か?」 「っ…違うっ。原先生が無理やり…。原先生っ、離して下さいって…」 原の腕から抜け出そうとジタバタもがく山岡を、日下部が意地悪な笑みを浮かべて見ている。 お構いなしに原は、慌てる山岡をギュウギュウ抱き締める。 「俺以外に抱擁を許すなんて、お仕置き確定だろ」 「っ…原先生っ、お願いですから離して下さい…。お仕置き嫌。無理」 本当大変なんだから!と半泣きになる山岡。 「ほら」 ようやく助けようと手を伸ばす日下部に、シュウシュウ威嚇する原。 他に医者がいないことが救いだが、休憩室内はめちゃくちゃな有り様だ。 「あぁ、なんでこんなことに…」 「ふふ。山岡が美人で天才だからだな」 「……」 「山岡先生が綺麗で神だからです!」 「……」 この師弟をもうどうにかしてくれ、と思う山岡。 けれども日下部は、ふざけながらも、原の敵意を消滅させ、山岡を見直させることに成功したことに満足していた。 (俺に向かうライバル心なら、どうとでもなるしな。まぁ、俺に喧嘩売ったからには、百倍返しされる覚悟があるんだろうし?) ふふ、と笑う日下部は、やっぱりどこまでもSで、ゾクッと嫌な寒気を感じた原が、不思議そうに首を傾げていた。

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