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第74話
翌日から、原の山岡ストーキングが始まった。
「おはようございます!山岡先生。今日のオペはおれ入れないんですか…」
「おはようございます、原先生。すみません、今日はちょっと…」
「ちぇ~。まぁいいです!またお願いします。それより、今日のお昼、一緒に食べましょう!」
「えっとそれは…」
朝の病棟カンファ前に原に捕まった山岡が、押しの強い原に押されて戸惑っていた。
「こぉら、原先生。きみのオーベンは俺。他の先生に迷惑かけないで」
「あ~、また。日下部先生、おれが山岡先生口説くの邪魔する~」
ムーッと口を尖らせる原だが、ここはナースステーションだ。
もちろん看護師たちの目もある。
「ちょっと原先生…」
「ふぅん?邪魔ねぇ。邪魔はどっちだか。山岡先生のお昼は、俺が毎日予約済み。邪魔しないでな?」
ニコリ。日下部も日下部で、相変わらず周囲の視線を引きつけるのが上手い。
「うぅ…」
悪目立ちする厄介な2人に挟まれ、地味に生きたい山岡が、身を縮めて困っていた。
「ねぇねぇ、朝のやり取り見た?」
「見た見た、聞いた!何あれ、何あれ?!」
キャァとはしゃいだ悲鳴が上がるナースステーションは、カンファ後のわずかな空き時間、看護師たちの噂話が炸裂だ。
「原センセって、日下部先生狙いじゃなかったの?なんで山岡」
「聞いた話によると、山岡のオペ見て乗り換えたみたいよ~?」
「え~、山岡ってオペすごいの?」
「さぁ?よくわからないけど、まぁ失敗したとかは聞かないよね」
「あれじゃん?簡単なのしかやらないんじゃない?」
適当に言う看護師たちは、山岡のオペの腕前を知らない。
「でも日下部先生から乗り換えるって相当じゃない?」
「噂によると、原センセ、山岡の素顔見たらしいよ」
「え~、ズルい!私まだ見たことないのに!」
「あたしは見た~。でもそっかぁ。あれ見て惚れちゃったか~」
ワイワイはしゃぐ看護師たちは、新しい楽しいネタが入って生き生きしている。
「でもじゃぁ日下部先生のライバル浮上?」
「って原センセじゃライバルにもならなくない?断然日下部先生の勝ちでしょ」
「まぁ日下部先生には敵わないよね~」
うんうん、と頷き合う看護師たちは、他人事だからあまりに呑気だ。
「研修医VS指導医かぁ。面白いね」
「ちょっと下剋上も見てみたい気がしてきた」
「え~、あたしは絶対日下部先生押しだよ!」
「年下研修医原に組み敷かれる上級医山岡…。アリかも」
「いやむしろ3ぴ…」
「日下部先生と原センセの師弟コンビに同時に責められる山岡?ヤバ~、萌え~」
第3者であるが故、無責任な看護師たちの妄想はとどまることを知らない。
『わ~ぉ。いつの間にかとっても面白い方向に転がっているな…』
ちょっとリハビリがてら、と思ってたまたま廊下を散歩していた川崎が、看護師たちの話を耳に挟んでいた。
『全く、山岡先生も日下部先生も一時も平和でいられないんだね…』
自分もその平和をかき乱した1人のくせに、呑気に笑っている川崎もまた、それを面白がる野次馬だった。
「山岡先生~!お昼行きましょ~!」
外来の終わった診察室に、原の元気な声が飛び込んで来た。
「は、原先生?あの…お昼はその…」
「日下部先生なら、そこで患者さんの家族に捕まってましたよ。遅くなるんじゃないですか?」
ケロッと言う原は、何をしでかしてくれているのか。
診察するときの椅子に座っていた山岡の手を取り、いわゆる恋人繋ぎというやつか、指を絡めて握っている。
「ちょっ…」
「ふぅ。やっと抜けられた。山岡先生…おい」
立ち話が終わったのか、ヒョコッと診察室に顔を見せた日下部が、原に握られた山岡の手を目に止めて、スッと冷ややかになった。
「やっ…違っ…」
底冷えしそうな睨みを向けられ、山岡が慌てて原の手を引き剥がそうとする。
けれども原は、ギュッと握った山岡の手を、むしろ見せつけるように日下部に向かって突き出した。
「羨ましいですか?」
ニカッと笑う原は、なんて怖いもの知らずなのか。
山岡の顔がザッと青褪め、日下部の顔がニコリと黒い笑みを浮かべたことに気づいていない。
「ふぅん。そんなに徹夜が好きなのか」
クスッと笑って原に嘘臭い笑顔を向ける日下部に、原が流石にフラリと目を逸らした。
「それは職権乱用じゃ…」
「山岡先生も、欲求不満?そんなにお仕置きされたいの?」
ニコリ。色気を含んだ笑みを向けられ、山岡はブンブンと首を振った。
「嫌です、いりませんからっ。原先生離してっ…」
この日下部を前にしてもまだしぶとく繋がれていた原の手を、山岡は全力で振り回し、なんとか引っ剥がした。
「うぅ…もう嫌…」
手は痛いし、日下部は怖いしで、半泣きになっている山岡。
ムッと膨れた山岡が、いきなりスッと椅子から立ち上がってスタスタとバックヤードに向かってしまう。
「あっ、おい、山岡」
「わ~っ、待って下さいよ~、山岡先生」
2人を無視して外来を出て行ってしまった山岡を、置いていかれた2人が慌てて追った。
「っていうか、きみは来るな」
「嫌ですよ。誰が日下部先生と山岡先生を2人きりになんてさせるものですか」
「きみ、こんなに生意気だったっけ?」
「そりゃ、初めは日下部先生に好かれたくて猫被ってましたもん。それを言うなら日下部先生もでしょ?本性違いすぎ」
人当たりが良く、紳士的でモテ男を地で行くような人だったはずの日下部が、今や独占欲剥き出しで研修医と口喧嘩だ。
「日下部先生に憧れてる医者や看護師さんたちに見せてやりたいです」
「きみもその1人だったでしょ?」
クスッと笑う日下部は、本当に意地が悪い。
確かにその外面に騙されて恋情を抱いていた過去がある原は分が悪い。
「も~、なんで山岡先生はこんな意地悪な人がいいんですか!」
「そりゃ山岡が…」
「どMだって言うんでしょ?あ~も~ノロケは聞き飽きました!」
ヤダヤダ、と言いながら、日下部より数歩先に、足を早めて飛び出した原。
その後ろ姿を見て、日下部はクスクス笑ってしまう。
「きみには落とせないよ」
ニコリと微笑んで、余裕の表情を浮かべる日下部は、これも全て計算のうちなのだ。
「イヤイヤ言ってる山岡が、本気で嫌がっていないのなんて見ればわかるでしょ。俺が大袈裟に独占欲見せて束縛してみせてるのに実は喜んでるの、見え見えじゃない」
ふふ、と1人呟き、悪い笑みを浮かべる日下部は、原に対する言動は全て計算づく。
(本当、甘いね、原。俺がただの感情論で動くわけがないだろう?嫉妬をされて、嬉しくない男なんかいないんだよ。きみはそのための…)
「当て馬だね」
クスッと笑った日下部は、どんな状況すらも全て自らのメリットに利用する、絶対の強者だった。
「さぁてと。原を利用して、次はどうやって山岡を苛めてやろうかな~」
その部分に関しては、大いに感情論か、と笑いながら、日下部は、大分離れてしまった、ヒラリと翻る山岡の白衣の背中を追った。
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