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第76話
「っ…」
ジッと見つめてくる日下部の視線に怯みながらも、山岡はソロソロと持ってきた道具を差し出した。
「ん…」
いい子、と言わんばかりに目を細めた日下部が、震える山岡の手からそれを受け取る。
ビクッと震えた山岡の身体が、全身でこれから起こるだろうことを拒否しているのがわかった。
それでも日下部は、どうしてもここで甘い顔をするわけにはいかなかった。
「山岡」
「っ、はぃ…」
ピクッと肩を跳ねさせた山岡が、長めの前髪の間から、ソォッと日下部を窺う。
その目が小動物のように怯え、許してくれと訴えているのに日下部は気づく。
「……」
それでもただ無言で首を振った日下部に、山岡の目から新しい涙がポロポロこぼれた。
「ズボンと下着、下ろして」
「っ!」
スッと身を引いた日下部が、厳しいままの声で言った。
山岡の身体がビクッと跳ね、反射的にフルフルと首が振られる。
日下部の言葉に従うことは、あんな凶器で素肌を叩かれるということを意味していて、とてもじゃないが山岡にはできなかった。
「いや…嫌です。ごめんなさい、許してください…」
ふぇぇぇ、と泣きながら懇願する山岡を、日下部は冷ややかに見つめた。
「駄目」
「っ!…ふぇぇ…」
取りつく島のない日下部に、山岡の目がふらりと絶望に揺れ、諦めたようにストンと伏せられた。
「っく…ひっく…ぇっく…」
ポロポロと泣きながら、それでも必死で震える手を動かす。
ズボンと下着にかかった山岡の手が、ノロノロとそれを膝辺りまで下ろす。
緩慢なその仕草を、日下部はただ黙ったまま静かに見つめて待っている。
「ふぇっ…し、ました…」
うぇぇん、と泣きながら、そっと日下部を窺った山岡に、日下部は1つ頷いて、コン、とパドルで調理台を打った。
「手、ここにつけ」
「っ…」
嫌々ながらも、素直にピタ、と手をついた山岡の後ろに、日下部がスッと立つ。
そっと山岡の剥き出しのお尻にパドルを触れさせた瞬間、ビクンッと大袈裟に山岡の身体が飛び上がった。
日下部は、まだ痛くもなんともないはずなのに、恐怖からかその山岡の反応に思わず苦笑してしまう。
そうして尻に添わせたパドルを軽く離し、そのまま多少の高さまで振り上げた。
「っ…」
ぶたれる予感にか、山岡の身体にギュッと力が入ったのが見てわかる。
そんなに強張ったら余計に痛いだろうにと思いながら、日下部は山岡のお尻の比較的厚いところを狙って、パドルを振り下ろした。
パンッ!
「っあ~!」
お尻にパドルが当たった瞬間、ビクンッと背を仰け反らした山岡が、苦痛に叫んだ。
パラパラと涙が飛び散り、ギュゥッと握られた手がその痛みの程を物語る。
「いや。もういや。もういいですっ…」
うぇぇぇん、と泣きながら、山岡が調理台から手を離し、ストンと床にしゃがみ込んだ。
そのまま必死で叫びながら、ぶたれたお尻を何度もさすっている。
「……」
床に蹲った山岡を見下ろしながら、その仕草と発言に思わず苦笑を漏らした。
「終わりかどうかは俺が決める。そんな態度じゃ許せないよ。戻れ」
泣きじゃくりながら痛がっている山岡が可哀相だとは思う。
けれどここで甘い顔をしたら、山岡はまた同じことを繰り返しかねない。
どうしても懲りて欲しい日下部は、わざと厳しい声を出して、コン、と調理台をパドルで打った。
「っ!」
途端にビク、と竦む山岡の身体。
グズグズと上を向いた山岡の目が、悲しみに揺れる。
「まだ…?またぶつの?」
幼いこどもみたいになっている山岡が可愛いと思いながらも、そんな内心はおくびにも出さず、ジッと山岡を睨む。
そこにわずかの甘さもないのを見てとって、山岡は渋々足に力を入れ、ノロノロと立ち上がった。
「っ…」
自ら素直に調理台に手をついた山岡が、全身で怖い、と訴えている。
それでも日下部は、再び山岡のお尻にパドルを添わせ、ゆっくりと振り上げた。
パンッ!
「いっやぁぁっ!」
お尻を叩かれた瞬間、またも叫んで手を後ろに回した山岡。
それでも今度はさすがにしゃがみ込むことはしない。
多少の反省が見られるか、と思いながら、日下部はお尻に回った山岡の手をコツンと軽くパドルで叩いた。
「邪魔。どかして」
「ふっぇぇぇ…」
グズグズ泣きながらも、大人しく手を戻す。
基本素直な性格なのは、こんなときでも変わらない。
日下部は、再びパドルを添わせ、ふっと振り上げる。
パンッ!
「痛…ったぁ、いぃっ…」
うわーんと泣いた山岡だけれど、今度は手も出さず、姿勢も崩さないまま堪え切った。
足をモジモジ擦り合わせてはいるものの、ギュッと拳を握って、調理台に肘まで預けて俯いて耐え忍んでいる。
その姿を見た日下部は、ふぅっと息を吐いて、そっとパドルを持った手を下ろした。
「…っ?」
「懲りた?」
「っ、はぃ」
ブンブンと、首が千切れそうな勢いで縦に振られる山岡の頭に、日下部が苦笑する。
「もうしない?」
「しませんっ。絶対しませんっ、ごめんなさい、だからもう…っ、ふぇぇぇっ」
「ん…」
「許してくださいっ、ごめんなさい…千洋ぉっ…」
うわーんと泣きながら、なんの計算もなく下の名前を口走る山岡を、ズルイと思いながらも絆される。
「ん。次したら、これで百叩きするよ?」
多少の脅しはいいだろうと思いながら、本気でする気はないけれど。
山岡はそれを信じたのか、ビクンッと大袈裟に身を震わせて、ブンブンと首を振った。
「もうしないっ、2度としない。だからそれやだぁっ…」
うぁ~んと泣く山岡に満足して、日下部がそっと山岡の身体を抱き締めた。
「よく頑張りました。おいで、冷やしてあげるから」
ポンポン、と頭を撫でながら、山岡をリビングに連れていく。
たった3発で全体的に赤く染まっている山岡のお尻に、痛みの程が知れる。
そこまで強くは叩いていないけれど、さすがは道具の威力か。
日下部は、山岡をソファにうつ伏せで寝かせてから、洗面所に向かった。
冷やしたタオルを持って戻ってきた日下部は、それを山岡の腫れたお尻に乗せてやる。
途端に安心したように身体から力の抜ける山岡が可愛い。
グズグズと泣きながらソファに突っ伏している山岡の目が、徐々に重くなっていった。
「んっ…」
泣きながら、泣き疲れてしまったのか。
トントンと優しく背中を撫でる日下部に安心しているのか。
ゆっくりと穏やかになっていく山岡の呼吸。
それからほどなくして、規則正しい寝息が山岡の口から漏れ始めた。
「クスッ。お仕置きされて、泣き疲れて寝ちゃうなんて…どこのこどもだよ…」
普段はパリッとした白衣を着こなし、凛として医者である山岡なのに。
こうして見ていると、本当に幼いこどもみたいで、そのギャップがヤバい。
自分の腕の中でだけ見せる姿なのかと思うと、たまらなく愛しい思いが日下部を包んだ。
「起きたとき、ケーキが出来てたら悔しがるかな?喜ぶかな?」
オレが切りたかった、と不貞腐れる山岡と、でも完成したケーキを嬉しそうに頬張る山岡を想像して、日下部はクスッと笑いながら、そっとキッチンに戻った。
そうして1人で色とりどりのフルーツケーキを完成させ、山岡が起きるのをのんびりと待っていた。
「って、うわ。もう夕方…」
「よく寝てたな。疲れていたのかな?」
「あ、う…すみません…」
半日近く眠ってしまった山岡が、ようやく起きて、申し訳なさそうに頭を下げていた。
「すっかりおやつの時間は過ぎたけど、食べるでしょ?」
「え?あ」
あれから1人で完成させたケーキを冷蔵庫から出してきた日下部に、山岡の目が輝いた。
「美味しそうです」
「ふふ、山岡もフルーツ切ってくれたからな」
「あ、う…」
その後、何が起きたかまだ記憶に新しい山岡の顔がパッと赤く染まる。
「痛む?」
「っ…いえ!」
サラッと意地悪なことを聞く日下部から目を逸らした山岡は、慌てて服を戻し、パッとソファから立ち上がった。
「大丈夫です、もう」
「クスクス。そう?じゃぁこっちに座る?」
「う…」
ダイニングテーブルを示す日下部に、躊躇する山岡が可笑しい。
日下部はその困惑に揺れる姿を堪能してから、嘘うそ、と言いながら、切り分けたケーキをリビングのローテーブルに運んだ。
「こっちでいいよ」
「…ありがとうございます…」
恥ずかしそうに俯く山岡を、可愛いなぁなんて眺めながら、日下部もリビングの床に直に腰を下ろす。
クッションを渡してやった山岡が、ソロソロと慎重にそれに座っているのが可笑しい。
「甘さ控えめだけどどうかな」
「ん。美味しいです。優しい味…」
ふわり、と微笑む山岡の顔に、思わず見惚れてしまう。
「ねぇ、うちでくらい、髪上げててよ」
山岡の表情全てを見たいと思う日下部が言うのに、山岡が小さく俯いた。
「オレのこんな醜い顔…見て楽しいですか?」
「醜くないよ。でも、うん」
「見れたら日下部先生は嬉しいんですか?」
「もちろん。すごく嬉しいね」
打てば響くように、日下部の揺るがない自信たっぷりの声が瞬時に返る。
グズグズと躊躇していた山岡が、それなら…と呟きながら、そっと前髪に手を伸ばした。
「っ…あまり、見ないでください…」
スッと上げた髪を、常にポケットに入れているヘアゴムでチョコンと結ぶ。
オペのときや緊急の処置のときにしているだけのレアな状態が、日下部の目の前に晒された。
「やっぱり美人。隠すのもったいないのに」
「だ、だから日下部先生は眼科にですね…」
行って下さい、と最後まで言わせずに、日下部は不意に指で掬った生クリームをチョンと山岡の鼻先につけ、そこに顔を近づけてペロッと舐め取ってしまった。
「なっ…」
途端にカァッと顔を赤くした山岡が、ワタワタと焦っている。
その上気した頬があまりに美しくて、日下部の中心にゾクッと熱が集まった。
「なぁ山岡」
「な、なんですかっ。何してるんですかっ…」
鼻を舐められた羞恥から立ち直らない山岡が暴れているところに、日下部がズイッと迫る。
「デザートの後に、山岡を食べていい?」
クスッと色気を含んだ視線を向けられ、山岡の顔がますます赤みを帯びた。
「く、日下部せんせ…?」
「それとも、デザートと一緒に食べちゃおっか」
ふふ、と瞳を意地悪に細めながら、またもスッとケーキのクリームを指で掬った日下部が、ペロリと見せつけるようにそれを舐める。
「っ…」
カァッと赤くなった山岡に壮絶な流し目を送りながら、日下部は山岡の唇に自分のそれを重ねた。
口移すようにクリームを絡めた舌を山岡の舌に絡め、甘ったるい口づけを交わす。
「ふふ。ちゃんと顔が見えてる泰佳とするの、初めてかも」
そそるね、と笑う日下部から、スッと目を逸らして、山岡が恥ずかしそうに囁いた。
「ここじゃ…やです…。ベッド、連れて行ってください…」
日下部に煽られ、あっさりその気になったか。
山岡の目にも、微かな欲望が揺れているのを見て取って、日下部が嬉しそうに目を細める。
「仰せのままに。ふふ、今日はばっちり、イキ顔見せてもらお~っと」
ルンルンと楽しげに笑う日下部に、恥ずかしそうに俯きながらも、ヘアゴムを外してしまおうとはしない。
それを許可だと受け取って、日下部はそっと山岡を寝室のベッドに導いた。
「泰佳…好きだよ」
「んっ…あぁ、千洋…千洋ぉっ…」
潤んだ瞳も、羞恥と快楽に赤く染まる頬も、快感を堪えてギュッと結ばれる口元も。
全部全部その目に焼き付けるかのように、日下部がわずかたりとも視線を逸らさず山岡を見つめる。
その視線にまた欲情を煽られ、山岡は日下部の腕の中で、悦びの嬌声を上げた。
「っ…イ、くっ…」
「ん。俺も」
ドクッと脈打った日下部に最奥を突かれ、山岡は快感の証を吐きだした。
ほぼ同時に、ギュッと心地良い締め付けにあった日下部もまた、欲望の証を放っていた。
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