79 / 426

第79話

「で、人がせっかく追わせてあげたのに、逃げられたですって?」 山岡に去られてしまい、仕方なく病棟の医局に戻ってきた日下部を、恩着せがましい原が迎えていた。 「きみね…」 「おれがわざわざ看護師さんたちから悪者になってまで助け船を出したのにな~」 クルクルとペンを回しながら、原が調子に乗っている。 日下部の顔が、徐々に不敵な笑みに変わっていっていることに、まだ気づいていない。 「で?本当のところは何なんですか?本気でセフレです?」 ふふん、と嫌味ったらしく笑って言った原に、日下部の壮絶な笑みが向いた。 「まぁね。当時からモテてな。1度でいいから抱かれたい、っていう人が後を絶たなかったんだ」 「うわっ。分かっていたけど最低ですね~。山岡先生に言いつけちゃおうかな?って…あららら?」 ようやくスーッと日下部に視線を向けた原は、ようやく日下部が軽い言葉ほど笑っていないことに気がついた。 「本当、きみって面白いよね。実は本気でMなの?」 「っ…違いますよっ!す、すみませんっ。ちょっと調子に乗りました!」 ガタンと座っていた椅子から滑り下り、土下座の勢いで頭を下げた原に、日下部はクスクス笑ってしまう。 「今日も徹夜、って言いたいところだけど、明日オペあるしね。その土下座で許してあげるよ」 いつの間にか完全に上位に立っていた日下部に、原は敵わないと項垂れた。 「うぅ。それはどーも…。でもだって悔しかったんですもん。日下部先生は山岡先生のあの変な様子の理由、知っているんでしょう?おれは山岡先生のこと、全然知らないなぁって…」 ムゥ、と膨れる原を、日下部は少しだけ温かい目で見つめた。 「それでもきみは、今の山岡が好きなんだろう?きみはそうやって、難しいことを考えず、ただ真っ直ぐ山岡を好きでいてあげればいいのさ」 ふふ、と笑う日下部に、原の目が胡乱な色に変わる。 「そうやって余裕こいてますけどね!おれ、いつか絶対取りますから!せいぜい首を洗って待ってて下さい!」 謝罪の舌の根も乾かないうちに、またも喧嘩を売る原は、無謀なのかチャレンジャーなのか。 とりあえず日下部にとってはいいおもちゃに違いない。 (残念だけどきみには山岡の過去は受け止めきれないよ…。だから知らなくていい。知らないまま、愛だけをひたすら注いでやれ…) クスクス笑う日下部の想いは、揺らがず真っ直ぐ山岡にだけ向いていた。

ともだちにシェアしよう!