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第81話

午後のオペが終わり、夕方。 フラリと川崎の病室を日下部が訪れていた。 「どうも」 「来ると思っていましたよ」 クスクス笑いながらベッドの上に座っている川崎に、日下部の目が細くなった。 「ここの看護師さんたち、噂好きですよね~」 ニコリと笑う川崎に、日下部はこの訪問の理由がバレていることがわかった。 「では話が早いですね」 「麻里亜先生…ここにいらしたんですね。山岡先生は?」 真っ先に心配する川崎に、日下部はやはり川崎は諸事情をすべて知っていると確信する。 「怯えている…様子でした。憎まれている、と」 「そうですか。関係は聞いたんですね」 「はい。父親が山岡たちと敵対していた教授だと」 日下部が持つ情報はそれだけで、日下部は川崎を窺うように見た。 「過激派」 「え?」 「麻里亜先生のグループは、1部ではそんな風に呼ばれていましてね。自分たちに都合の悪い相手を追い落とすためには手段を選ばないタイプの人間が集まっていました」 「……」 「直接手出しされることもあれば、間接的に、けれど本当エグいやり方で、確実に息の音を止める。それで何人の医師が潰されたかなんて、多分数え切れないでしょうね」 怖い女です、と言う川崎に、日下部の顔が曇った。 「山岡もターゲットに?」 「まぁ1番目障りだったと思いますよ」 フッと遠い目をする川崎は、明言はしなかった。 「その辺りは日下部先生もよくお分かりでは?」 「俺がですか?」 ニッと意味ありげに視線を向けてくる川崎に、日下部は小さく首を傾げた。 「聞きましたよ。日下部先生の高校時代の先輩だったんでしょう?深い仲の」 それだけの川崎の発言で、意味を察した日下部が、分が悪そうに苦笑した。 「まぁ今更、若かりし頃のオイタを責めはしませんが…山岡先生は知っているんですか?」 心配はそこ、と言う川崎に、日下部はアッサリと頷いた。 「きちんと話してあります」 「へぇ…。怒りませんでした?嫌悪とか」 「えぇ。驚いて、納得して、何故か感心して、最後はお礼を言ってました」 「はぁ?」 訳のわからない日下部の発言だが、2人の間ではきちんと片がついているのだということはわかって、川崎は深く突っ込むのはやめた。 「まぁそれならご存じでしょう?土浦麻里亜が、男と寝ることにモラルがないことは」 「まぁ…」 「あの人、せっかく山岡准教授と寝てパイプを作っていたのにね。あ、山岡准教授は、山岡大先生の実子です。それが、まさかの後継者指定が山岡先生になったなんてね。笑えませんよね~。邪魔な存在ですよね~」 ははっと笑う川崎に、日下部は大体のところを察した。 「またあの人、馬鹿じゃないんですよ。その状況で山岡先生に直接手出しすることがどういうことかくらいはわかってた」 「っ…」 「だから、山岡先生の周りにジワジワと手を出し、山岡先生から何もかもを奪っていった」 「っ…それは…」 サラリと言う川崎だけれど、日下部はそれこそが、山岡の過去最大の傷を負わせた相手なのでは、と思った。 「山岡先生の味方についた人間を、食うわ潰すわ。自分に火の粉がかからないように、狡猾にね」 「っ…」 「山岡先生につくと、不幸になる。自然と流れ出した噂に、山岡先生はジワジワと孤立して行った。真綿で首を絞めるように、徐々に追い詰められていった。あの恐怖を覚えているんでしょうね」 土浦に怯えていた、と言う日下部の言葉に、川崎はしっくりと納得していた。 「あなたは?」 「え?」 「あなたも山岡の側にいた人間でしょう?」 その話なら、土浦が川崎の存在を放置したとは思えない。 日下部が尋ねるのに、川崎はケラケラと笑った。 「おれが麻里亜先生に粉かけられてなびくわけがないでしょうが。知ってるでしょ、おれが山岡先生をセクシャルな意味で好きだったこと」 ふふ、と笑う川崎だが、日下部は、ならば別のアプローチがあったのではと疑う。 「ご心配は最もですけどね、おれが今も山岡先生の側にいられることが証明じゃないですか?」 「っ、それは。でも…」 「あの魔手から逃れた方法ですか?さすがに日下部先生にも秘密です」 「っ…」 ニコリと意味深に笑う川崎に、日下部は触れてはいけない過去が、川崎にもあることを悟った。 「でも1つだけ…それは、今あなたが医師でないことと関係が…?」 「黙秘します」 クスッと笑う川崎だけれど、日下部はその様子だけで全てを察した。 「ねぇ、日下部先生」 「はい?」 「誓い、忘れないで下さいね」 「はい」 真摯に真っ直ぐな目を向けてくる川崎に、日下部は艶やかに微笑んで、力強く頷いた。 「もう、解放されてもいいと思うんです。山岡先生は、もうちゃんと幸せになっていいと思うんです」 「それは俺も思っています。お任せ下さい」 「ん…」 「では、色々聞かせていただき、ありがとうございました」 丁寧に頭を下げる日下部に、川崎は信頼の目を向けた。 けれどもそんな関係者たちの思惑は絡まり、事態はどんどんと、再び口を開いた闇に向かって加速していっていることに、まだ気づいている人間はいなかった。

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