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第90話
「あれ?山岡先生知らない?」
ふと、気だるい午後の空気が漂うナースステーション内に、日下部がヒョッコリと姿を現した。
「山岡先生ですか?えーと、今日は、患者さんとご家族さん合わせて術前説明ですね」
医師の所在ボードを見ながら言った患者に、日下部はハッとした。
「それ、麻酔科医も…マズイ」
オペばかり気にして、すっかり忘れていたインフォ。まさか土浦ではないだろうけれど、懸念はなくすに限る。
「どの部屋使っているかわかる?」
「え?いえ、そこまでは…」
「っ、くそ」
心当たりを片っ端から探すか、と考えた日下部は、身を翻してナースステーションを出て行った。
その、山岡は、病院3階の個別面談室にいた。
とっくに術前説明を終え、今は日下部の懸念通り、まさかの土浦と2人きりだった。
「あの、麻里亜先生…オレ、もう病棟に戻るので…」
そこを退いて下さい、と、患者を送り出した後に、出入り口のドアの前に立ち塞がるようにして腕組みをしている土浦に、山岡が困惑していた。
「少し話があるの。いいでしょ?」
ふふん、と高慢に言い放つ土浦に、山岡はビクッと身を竦めて、俯いてしまった。
「相変わらず野暮ったいわね…」
「っ…」
「あんた、それで日下部くんと付き合っているって本当なわけ?」
ふん、と小馬鹿にしたように言い放つ土浦に、山岡は小さく首を振った。
「ぷ、プライベートなことなので…」
答えない、と言う山岡に、土浦の目がギロッと鋭くなる。
「山岡泰佳の分際で、よくもそんな生意気な口を利けたものね」
完全に見下すように言い放つ土浦に、山岡はビクビクと身を竦めて、ジリッと1歩下がった。
「あんた、自分が疫病神だって忘れたわけじゃないわよね?」
「っ、オレは…」
「今度は日下部くんを不幸にするつもりなんだ?」
「そんなんじゃ…っ」
「だってあんたが関わる人間は、みんな不幸になったじゃない」
にこりと、勝ち誇ったように妖艶に笑う土浦に、山岡はフルフルと小さく首を振った。
「く、日下部先生はっ…大丈夫だって…。オレは疫病神なんかじゃないって…」
何度も何度も真摯に向けられた日下部の思いを信じて顔を上げた山岡に、土浦の壮絶な目が向いた。
「そんなの、日下部くんの戯言に決まっているじゃない。遊びであんたを落とすためのね」
「日下部先生はそんな人じゃ…っ」
「へぇ?あんた、日下部くんの何を知っているの?」
「っ…知ってますっ」
真摯に向けられる想いも、自分を大切にしてくれることも。
ギュッと拳を握り締めて言った山岡に、土浦はゆったりと微笑んだ。
「ふぅん。高校時代、彼がどれだけモテたかも?あたしも彼と寝た1人だけれど、あたしの他にも何人もそういう女がいたのよ」
「っ…」
「今の彼にそれがいないと本気で思っているわけ?だとしたら相当おめでたいわよ」
馬鹿ね、と鼻で笑う土浦に、山岡はただフルフルと首を振った。
「オレは…日下部先生を信じています…」
ギュッと拳を握ったままはっきり言った山岡に、土浦の目が少しだけ嫉妬に揺れた。
「そう…。じゃぁその信じた相手が不幸になっていくのを、間近で見ているといいわ」
「え…」
「だってそうでしょう?あんたの味方をしたものはみんな不幸になった。あんたは疫病神なのよ。あたしが正しいか、あんたが正しいか、日下部くんを見ていればわかるでしょ」
「っ…」
土浦は、意図的に容赦なく山岡の過去の傷を抉った。
「せいぜい信じていればいいわ。全て失ってから、絶望と後悔にのたうつのはあんたよ」
ふっと強気に笑って、土浦は部屋を出て行った。
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