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第96話

そうして連れて行かれたのは、どこかの使われなくなった地下の、ライブハウスなのかバーなのか。 小さなステージにバーカウンター、転がった椅子やテーブルは、ここが使われなくなって久しいことを教えている。 その中でも、比較的整ったテーブルが佇む一角に連れて行かれた山岡の身体は、容赦なくソファにボンッと投げ捨てられるように落とされた。 「つっ…」 まだ、身体はまるで自分のものでないように、上手く動かすことができない。 素人が扱ったら下手をしたら死に至るような薬剤を使われた恐怖で、余計に身体が強張る。 なんとか動かせる眼球で、ソロソロと窺った周囲には、山岡を連れてきた男が2人いるだけだ。 「っ、ど、こ…。だ、れが…」 上手く動かせない口の筋肉を何とか動かし、山岡は声を絞り出した。 だが、男たちは黙ったまま、ただ山岡を見下ろしている。 どうしたものかと困惑している内に、少しずつだが薬の効果が薄れてきたことがわかった。 「っ…」 多少動くようになった身体をそっと動かした時、コツコツと地下への階段を下りてくる足音が聞こえた。 「だ、れ…?」 女性だ、とすぐにわかった。 スラリとした足が、まず視界に入る。 男たちの様子から、助けではないことを察して、山岡は新たな敵の出現に緊張した。 と。 「ふふ。随分首尾よく行ったのね」 クスクスと耳障りな笑い声を立てて下りてきたのは、山岡もよく知る人物だった。 「麻里亜…せん、せ…?」 にこりと微笑むその美貌は、山岡を憎み、山岡が怯える相手、土浦麻里亜だった。 「まさか、あなたが…?」 呆然と目を見開いて行きながら、山岡は目の前までやって来た土浦を見上げた。 「だとしたら?」 「っ…」 「この間の1件で、もうすっかり日下部くんには目をつけられてしまったし、嫌われ切ったのもわかっているわ」 「麻酔の…?」 「えぇ、上手くやってくれたと思ったのに、まさかあんたが、麻酔科医の腕まで持っていただなんてね。まったくどこまで目障りなの」 ふっと妖艶に笑う土浦には、追い詰められた者特有の捨て身感があって、恐怖感が増していた。 「あなたは…」 「もう、破滅は覚悟よ。だけど、あんただけを幸せにはしない」 ギリッと奥歯を軋ませる土浦は、もう形振り構う気はないようで、山岡はこれから何をされるのか、不安と恐怖に震えた。 「っ…」 「怖いの?いいわ、その顔。もっと怯えなさい。もっと怯えて、絶望に震えるといいわ」 怯んだ山岡に気を良くしたのか、土浦が艶やかに笑った。 「クスッ。やってしまいなさい」 不意に、山岡から目を離した土浦が、山岡をここまで連れてきた男2人に視線を向けた。 「っ、な、にを…」 土浦の言葉に、スッと動いた男たちが、山岡が転がっているソファに近づいた。 1人が足元に、1人が頭上に向かい、それぞれの手が山岡に伸びてくる。 「や…」 「ふふ、せいぜい楽しんで」 「え…?」 「今からあんたの身体、この人たちが好きにしてくれるから」 にこり、と笑う土浦の言う意味がわかり、山岡が恐怖に喉を引きつらせた。 「いや…っ」 犯されるんだ、と悟った山岡が、完全に薬の効力が切れていない身体で、それでも必死に暴れる。 けれどただでさえ緩慢な動きの上、男2人掛かりで押さえつけられては、まったく抵抗にすらなっていない。 ジタバタともがくだけの山岡を可笑しそうに見下ろして、土浦が妖艶に笑った。 「穢された身体で、あんたは日下部くんの側に戻れるかしら?」 ふふ、と笑う土浦の魂胆がわかり、山岡は唇を噛み締めた。 「汚れたあんたを、日下部くんは許すかしら?そんな汚れた身体に、また触れてくれるとお思い?」 クスッと笑う土浦の声がとても耳触りで、そして服を剥ぎ取り、身体を這いまわる男たちの手が不快で、山岡はグッと腹に力を入れてその恐怖に耐えた。 「オレは…日下部先生を信じてます…」 「っ!まだ言うの?」 カッと土浦の表情に怒りと苛立ちが浮かんだのが見えた。 「汚すのなら、汚せばいいです。それでも、日下部先生はきっと…」 真っ直ぐ、力を込めて言った山岡に、土浦の目が怒りに燃えた。 「くだらない!くだらない!くだらないっ!」 「くだらなくなんかないっ。日下部先生は…きっとどんなオレだって、受け止めてくれる…。愛して、くれる…っ」 不意に中心を掴まれた手にビクッと身を竦めながらも、山岡はただ真っ直ぐ日下部を信じた。 「嘘よ。あの日下部くんが、愛なんて生ぬるいこと、言い出すわけがないわ」 「……」 「別れなさいよ!あんたなんかが、日下部くんの隣にいていいはずがないっ。散々人を不幸に落としてきた、あんたがっ」 ヒステリーを起こしたように喚く土浦を、山岡は冷めた目で見つめた。 「別れません。オレからは、日下部先生を裏切ることはしない…」 「ふぅん?他の人間に身体を許すことは、裏切りじゃないの?」 「身体なんて…弄びたければ好きにすればいい。心がなければそんなもの、ただの器に過ぎませんっ」 かつて、土浦は心を伴わず、身体だけを日下部と重ねた。 現在、山岡は身体を投げうっても、心さえあればそれでいいと言い切る。 正反対の答えを出す2人の間に、揺らぐのは土浦の感情のほう。 「どうしてよ…。どんなに欲したって、日下部くんの心なんて、手に入らないじゃない…っ」 「麻里亜せんせ…?」 「心が欲しいと言った瞬間、怖いほど冷酷に、切り捨てていってしまうじゃない…」 ギュッと眉を寄せた土浦の表情に、山岡は土浦が本当に欲しかったものを察した。 「麻里亜先生も本当は…日下部先生の愛が欲しかった…?」 ポツリ、と思わず呟いてしまった山岡に、土浦の憎悪に満ちた目が向いた。 「っ…あたしは…あたしは…」 グッと言葉に詰まった土浦の姿に、山岡は先日の日下部の言葉を思い出していた。 (あぁ、この人も、だ。この人も、本当は欲しいのに、手に入らないから自ら拒んでいる振りをして…。可哀相) 切なそうに目を揺らした山岡に、同情を見て取って、土浦の顔が屈辱に歪んだ。 「あたしは、愛なんて信じない!あんたたちのそれも幻想よ。愛なんて、形のないもの、存在しないのよ!」 叫ぶように言う土浦に、山岡はただ静かに目を伏せた。 「あたしが証明してあげる」 ニィッ、と醜く歪んだ笑みが見えた。 「あんたが今から犯されるところを、ムービーに撮って、日下部くんに見せてやるわ。あんたが日下部くん以外を受け入れてっ、あんたが日下部くん以外で悦べば…っ。それでも愛してもらえるかしら?愛せるのかしら?」 傲慢に笑う土浦にも、山岡は揺らがなかった。 「やってみたらいいですよ。オレはレイプされるくらい、平気です」 本当は怖い。嫌だ。当たり前だ。心もない、悪意だけの他人に身体を好きにされるなど、吐き気すらしてくる。 それでも怯む様子を見せなかった山岡に、土浦はふと考え、スッと男たちを山岡の側から退かした。

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