99 / 426

第99話

「っ、もういい」 「……?」 「もういいわ!やめなさい!」 ビシッと強い力を持った土浦の声に、山岡を弄っていた男の動きが止まった。 「謝らないわよ。あんたが選んだことだもの」 さすがに最後まで犯られてはいなかったものの、散々弄りまわされた山岡の苦痛と屈辱はどれほどだったか。 チラリと様子を見た日下部は、その辛さに顔を歪めた。 「この間、あたしは言ったわね。あんたは周囲に関わる人間を不幸にする、疫病神だって」 「っ…」 「やっぱりそうだった」 「麻里亜先生…」 「あんたに関わったばっかりに、あたしは…」 最後の憎まれ口を叩く土浦にも、山岡はもう傷ついたりはしなかった。 「オレは、もう負けませんよ?」 「っ…」 「オレは、教えてもらったんです。疫病神のオレに引きずられずに、強く、強く意志を持っている人たちにとって、オレは不幸を運ぶ存在なんかじゃないって」 「なに、よ…」 「オレの周囲の人間が不幸になってしまうのは、その人たち自身が、悪意に勝てる強さがなかったからなんだって。だから、だから現に、きちんと真っ直ぐ前を見ている人は…日下部先生は、オレの側にいても、不幸になんてなってないです。むしろ幸せだって、そう何度も言ってくれるんです」 ふわり。泣きそうな顔で微笑む山岡に、土浦の心は完全に折れて挫けた。 「あたしは弱かった…?あたしが仕掛けた人たちはみんな…」 フラリと立ち上がり、この場から逃げ出そうとする土浦を、日下部が視線で制した。 「逃げられると思うなよ。警察に突き出してやる」 「…好きにすればいいわ…」 ギリッと憎しみを向ける日下部に、土浦はピタリと足を止めた。 それを見た山岡が、小さく首を振った。 「逃げていいですよ。オレは被害届なんか出しません」 キッパリ。日下部の発言を無視する形で放たれた山岡の言葉に、日下部と土浦が同時に山岡を見た。 「なんで!山岡」 「あんたに庇われるなんてまっぴらごめんよ」 「違いますよ。麻里亜先生は、もう充分罰を受けたと思うから…」 「え?」 「本当は大好きだった日下部先生に軽蔑されて嫌われて、そしてあなたは、きっと医者をもう続けない」 「っ…そ、れは…」 「続けられるはずがないんです。あなたが散々奪ってきた医師免許はいくつですか?潰した医者は何人います?そんなあなたが、この先のうのうと自分は医者で居続けるんですか?命よりも先に、自分の欲望を優先させるような人が。命が危険に晒されるとわかっていて、オペ中の全身管理を放棄させるような人が。もっと言いましょうか?術後の管理のとき、点滴オーダーをわざとミスさせたこともありました、注射の練習といって、オレにとんでもない薬剤を注射させたこともありましたよね?オレのオペ前に睡眠薬を仕込ませてオペに遅刻させたことも、緊急オペに向かう途中に妨害して、到着時間を遅らせたことも…」 次々と連ねる山岡は、そのときの恐怖に震えながらも、キッパリと言った。 「きわめつけに、筋弛緩剤?オレをここに連れてくるのに、使用させたでしょう?そのリスクを麻酔科医のあなたが知らないわけがないです」 「っ…」 「この男の人たちは医師ですか?注射の腕前は、慣れているのはわかります。けれど…あなたはオレが、万が一死んでしまってもいいと思った。違いますか?」 ふっ、と笑う山岡に、土浦がガクンッとその場に膝を下り、床の上に項垂れた。 「っ…」 「人の命を簡単に奪い去ろうと選択できるあなたは、医者でなんかない。人を殺せると思える人間が、医者でいてはいけないんです」 静かに言い切って、山岡は動きの止まっていた男の手からすり抜け、脱ぎ捨てた服を拾って身につけた。 ピンと張り詰めた空気が場を支配する中、1人ゆっくりと歩いた山岡は、日下部の側まで行き、やはり動きを止めている男をどかして、日下部の拘束を1つ1つ解いていった。 「ごめんなさい、日下部先生。こんな目に遭わせてしまって…」 「山岡の方が…」 「っ…オレは…」 「ん。いい。帰ろう」 「っ、オレ…」 「本当に、こいつら、このままでいいんだな?」 「はぃ…」 手が多少痺れていたのか、プルプルと振りながら立ちあがった日下部は、そっと山岡に目配せして、土浦と男たちに背を向けた。 「おいで」 今は、日下部は山岡に触れない。山岡の目が、そうやって訴えていたのに気付いたから。 山岡もそのことがわかって、黙って静かに日下部の後に続いた。 2人が去っていく姿を見送る土浦と男たちは、その場から1歩も動かなかった。

ともだちにシェアしよう!