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第99話
「っ、もういい」
「……?」
「もういいわ!やめなさい!」
ビシッと強い力を持った土浦の声に、山岡を弄っていた男の動きが止まった。
「謝らないわよ。あんたが選んだことだもの」
さすがに最後まで犯られてはいなかったものの、散々弄りまわされた山岡の苦痛と屈辱はどれほどだったか。
チラリと様子を見た日下部は、その辛さに顔を歪めた。
「この間、あたしは言ったわね。あんたは周囲に関わる人間を不幸にする、疫病神だって」
「っ…」
「やっぱりそうだった」
「麻里亜先生…」
「あんたに関わったばっかりに、あたしは…」
最後の憎まれ口を叩く土浦にも、山岡はもう傷ついたりはしなかった。
「オレは、もう負けませんよ?」
「っ…」
「オレは、教えてもらったんです。疫病神のオレに引きずられずに、強く、強く意志を持っている人たちにとって、オレは不幸を運ぶ存在なんかじゃないって」
「なに、よ…」
「オレの周囲の人間が不幸になってしまうのは、その人たち自身が、悪意に勝てる強さがなかったからなんだって。だから、だから現に、きちんと真っ直ぐ前を見ている人は…日下部先生は、オレの側にいても、不幸になんてなってないです。むしろ幸せだって、そう何度も言ってくれるんです」
ふわり。泣きそうな顔で微笑む山岡に、土浦の心は完全に折れて挫けた。
「あたしは弱かった…?あたしが仕掛けた人たちはみんな…」
フラリと立ち上がり、この場から逃げ出そうとする土浦を、日下部が視線で制した。
「逃げられると思うなよ。警察に突き出してやる」
「…好きにすればいいわ…」
ギリッと憎しみを向ける日下部に、土浦はピタリと足を止めた。
それを見た山岡が、小さく首を振った。
「逃げていいですよ。オレは被害届なんか出しません」
キッパリ。日下部の発言を無視する形で放たれた山岡の言葉に、日下部と土浦が同時に山岡を見た。
「なんで!山岡」
「あんたに庇われるなんてまっぴらごめんよ」
「違いますよ。麻里亜先生は、もう充分罰を受けたと思うから…」
「え?」
「本当は大好きだった日下部先生に軽蔑されて嫌われて、そしてあなたは、きっと医者をもう続けない」
「っ…そ、れは…」
「続けられるはずがないんです。あなたが散々奪ってきた医師免許はいくつですか?潰した医者は何人います?そんなあなたが、この先のうのうと自分は医者で居続けるんですか?命よりも先に、自分の欲望を優先させるような人が。命が危険に晒されるとわかっていて、オペ中の全身管理を放棄させるような人が。もっと言いましょうか?術後の管理のとき、点滴オーダーをわざとミスさせたこともありました、注射の練習といって、オレにとんでもない薬剤を注射させたこともありましたよね?オレのオペ前に睡眠薬を仕込ませてオペに遅刻させたことも、緊急オペに向かう途中に妨害して、到着時間を遅らせたことも…」
次々と連ねる山岡は、そのときの恐怖に震えながらも、キッパリと言った。
「きわめつけに、筋弛緩剤?オレをここに連れてくるのに、使用させたでしょう?そのリスクを麻酔科医のあなたが知らないわけがないです」
「っ…」
「この男の人たちは医師ですか?注射の腕前は、慣れているのはわかります。けれど…あなたはオレが、万が一死んでしまってもいいと思った。違いますか?」
ふっ、と笑う山岡に、土浦がガクンッとその場に膝を下り、床の上に項垂れた。
「っ…」
「人の命を簡単に奪い去ろうと選択できるあなたは、医者でなんかない。人を殺せると思える人間が、医者でいてはいけないんです」
静かに言い切って、山岡は動きの止まっていた男の手からすり抜け、脱ぎ捨てた服を拾って身につけた。
ピンと張り詰めた空気が場を支配する中、1人ゆっくりと歩いた山岡は、日下部の側まで行き、やはり動きを止めている男をどかして、日下部の拘束を1つ1つ解いていった。
「ごめんなさい、日下部先生。こんな目に遭わせてしまって…」
「山岡の方が…」
「っ…オレは…」
「ん。いい。帰ろう」
「っ、オレ…」
「本当に、こいつら、このままでいいんだな?」
「はぃ…」
手が多少痺れていたのか、プルプルと振りながら立ちあがった日下部は、そっと山岡に目配せして、土浦と男たちに背を向けた。
「おいで」
今は、日下部は山岡に触れない。山岡の目が、そうやって訴えていたのに気付いたから。
山岡もそのことがわかって、黙って静かに日下部の後に続いた。
2人が去っていく姿を見送る土浦と男たちは、その場から1歩も動かなかった。
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