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第102話

翌朝、ちょっとした口論が勃発していた。 「だから、休んだらいいんだって。どうせ午前フリーだろ?」 「嫌です。絶対に行きますから。仕事もちゃんとします」 ムゥと口を尖らせる山岡だが、その足元はフラフラとおぼつかない。 「まともに立てないくせに無理するなよ…」 「大丈夫ですっ。今日は絶対に行きます」 日下部からツンと顔を背け、ヨロヨロと着替えを始めた山岡は、どうして今日に限ってこれほど頑固なのか。 昨夜無理させた記憶のある日下部が止めようとするのも聞かず、出勤する気満々なのだ。 「はぁっ。午後の合同カンファは出たいのわかるけど…今日はそれほど大事な仕事はないだろう…?」 何を意地になって、と溜息を吐く日下部に、山岡の身体がギクリと強張った。 「山岡?」 「あ、あるんです…」 急に少し分が悪そうに俯いた山岡に、日下部はその理由に容易く思い至った。 「川崎さんか」 「っ…はぃ」 隠しても無駄なことはわかっていて、素直に頷くところはえらい。 「だけど、たかが川崎さんの退院日だからって、体調不良をおしてまで行くのはどうかと思うぞ。山岡ならまたいつでも会えるだろう?」 別に退院だからと、これで最後なわけでもないし、まだ通院だってしてくるのだ。わざわざ拘る理由が日下部にはわからない。 「っ…どうしても行きたいんです」 グッと拳を握り締めてポソリと言う山岡に、その体調が心配な日下部は、強行手段に出ることにした。 「それは浮気かな?」 「っ…違っ…」 「心配する恋人の言葉を無視してまで、他の男の退院にど~しても立ち会いたいなんて、疑いたくなるんだけど」 もちろんそんなことは微塵も思っていない日下部だが、そこは策だ。 「そんなの…」 「まぁ確かにどちらも俺の一方的な心配だけど、山岡の態度にも問題あるよな」 「なっ…」 「悪い恋人には、お仕置きかな?縛ってバイブ入れて、ローターつけて、リングして、媚薬飲ませて放置してやろうか」 ふっと意地悪く笑う日下部に、山岡の顔が両方の意味で赤く染まった。 「何言ってるんですか!横暴ですっ」 恥ずかしがりながら怒るという器用なことをしながら、山岡は完全に不貞腐れて、日下部の前をスタスタ…いや、ヨロヨロと横切って玄関に向かってしまった。 「あっ、おい、待て。まったく、仕方ないなぁ。車乗っていけよ!」 珍しく、日下部の脅しにも屈しなかった山岡に苦笑しながら、日下部は慌ててその後を追いかけた。 山岡は別に自分の意志や考えがないわけではない。むしろ、よっぽどしっかりと自分の信念を持っているような人間だ。 ただそれを伝えるためのコミュニケーションが不得意なだけで、簡単に他人に流されるわけではないのだ。 「俺にはちゃんと食って掛かって来れるようになったなぁ。ふふ、信頼して甘えてくれてるんだろ?嬉しいよ」 それが、心を許してくれている証だから、日下部は思い通りにならなかったはずなのに、喜びににやけてしまう顔を自覚した。

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