106 / 426

第106話

そうして山岡の道案内する通りに車を走らせ、山岡氏の家だったという場所にたどり着いた。 それは、広い庭がある洋風の建物だった。 「あ、そこの敷地に止めてください」 門を入ったすぐ横に、駐車スペースらしい2、3台の車が止まりそうなスペースがある。 言われるまま車を止めた日下部は、助手席で深呼吸をしている山岡をチラリと見た。 「っ、はぁ。よし」 「山岡?大丈夫?」 「あ、はぃ」 「そう?じゃぁ行こうか」 もとは多分、一軒家だったのだろう。多少増改築はしてあるようだが、大きさに目を瞑れば、民家と呼べる外観だ。 コクンと1つ頷いた山岡が、ふわりと笑って、車のドアに手をかけた。 「っ!ここは…」 車から下り、山岡と並んで建物に近づいて行った日下部は、この家が今何なのかを知った。 「児童保護施設…ヤマオカ?」 「はぃ」 「そ、っか…」 「はぃ」 山岡氏の財産全てを相続したと言っていた。それはもちろん自宅も含まれていたわけで…。 「遺言?」 「いえ。オレが、こう使って欲しいと、弁護士さんにお願いしました」 それで施設にしてもらったのか。 日下部は、山岡のその想いがあまりに山岡らしすぎて、思わずふわりと顔を綻ばせた。 「どうぞ。って言っても、もうオレの家じゃないんですけど…」 ふわりと微笑みながら、玄関の扉を開けてくれた山岡に、日下部はゆっくりと中に足を踏み入れた。 「こんにちは」 入ってすぐ、ガラス窓のある受け付けのような部屋が見えた。 スタッフらしい女性がニコリと微笑み、エントランスに出てくる。 「ご見学ですか?ご面会…まぁ、泰佳さん」 日下部の後ろからヒョコッと顔を見せた山岡に、女性の顔がパッと綻んだ。 「あらあら、お久しぶり。元気そうで」 「はぃ、お久しぶりです…」 「えっとこちらは?」 チラ、と日下部に視線を移した女性に、日下部がニコリと外用の綺麗な笑みを浮かべた。 「泰佳さんの同僚で、親しくさせてもらっています、日下部と申します」 きっと上手く関係を説明できないだろう山岡に代わって、日下部がサラリと言った。 「まぁまぁ、仲のよいお友達なのね。ようこそ、いらっしゃい」 勝手に解釈してくれる女性に、日下部は敢えて訂正も何もいれない。 ただ他者を魅了すると知っている綺麗な笑みを浮かべたまま、ニコニコしている。 山岡も曖昧に微笑みながら、スッと足を踏み出した。 「お部屋、上がらせてもらっていいですか?」 「もちろんよ。あの部屋はあなたのものなんだから」 即座に頷いて、スリッパを2組出してくれた女性に頭を下げ、山岡が靴を脱いで上り込む。 続いた日下部も女性に礼を言って、勝手知ったる様子で中に歩いて行く山岡の後を追った。 「ここは…」 2階に上がって、ある1室に入った山岡の後から、日下部もその部屋に足を踏み入れた。 「元は山岡さんの私室だった部屋です。ここは当時のまま。今はオレの部屋として残してもらってます」 大き目のベッドにテーブルとソファ、キャビネットに書棚、大きな机がある、広めの部屋だ。 日下部はグルリと部屋の中を見回しながら、ゆっくりと室内を歩いた。 「懐かしい?」 「正直、愛着とかは特にありません」 「そう…」 「山岡さんがいたから…山岡さんがいた場所がオレのホームで…。その時間が確かにあったんだよな、っていう形のもうただの箱ですかね」 「そうか」 「はぃ」 「ここには山岡氏と山岡だけが住んでいたの?」 奥さんや実子やその家族は?と首を傾げる日下部に、山岡はコクンと頷いた。 「奥さんは先に亡くしたって…。息子さんはとっくに家を出て自分の家を遠くに持っていて、そのご家族もそちらに」 「まぁ、財産を一銭も残したくないとか言ってたくらいだもんな。とっくに疎遠か。こんな大きな家に…」 「使用人さんみたいな人は何人かいましたよ」 一文無しから、ちょっとしたセレブでした、と笑う山岡に微笑み返しながら、ゆっくりと部屋の中を回っていた日下部の足が、ふと壁際のキャビネットの上にあった写真立てを見て止まった。 「これ…山岡と…」 中学生くらいの少年と、老人が2人で写っている写真だった。 前髪で顔が半分も見えない少年は山岡だろう。だとすると隣は。 「山岡氏?」 日下部の声に、ゆっくりと近づいてきた山岡が、クスッと笑った。 「そうです。その1枚だけ。オレも同じの持ってます」 今の家にある、と笑う山岡の目が、とても懐かしそうに細められた。 「そっか」 そっと写真立てに手を伸ばした日下部に、山岡はウンウン、と呑気に頷いている。 「東京タワーです。1度だけ連れて行ってもらいました」 「……」 「2人だけの修学旅行。山岡さんが最後に遠出ができた場所になっちゃいましたけどね」 懐かしそうに話す山岡の声を、日下部は黙って聞く。 「オレは、小学校でも中学校でも行けなかったから…山岡さんが、一緒に行こうって言ってくれて」 「ん」 「あの日は山岡さんの調子もよくて…」 ふふ、と笑いながら、遠い日を思い出すように語る山岡からは、当時確かに受けていた愛情の気配を感じた。 (本当に山岡氏には、感謝してもしきれない…。本当に…) ニコリと笑みを浮かべながら、嬉しそうに楽しそうに昔語りをしている山岡を、日下部は愛おしそうに見つめる。 (この笑顔を、俺はこの先必ず、守っていきます…) ニコリと微笑み返す日下部の目は、写真立ての中の2人の姿に向いている。 (俺も、これからたくさんたくさん山岡と思い出を作っていこう…) 「ね?日下部先生?」 「うん」 なんのことやらわからなかったけど、とりあえず返事をした日下部に、山岡がニコリと笑った。 「じゃぁ」 「うん?」 「うん?って、帰るんでしょう?」 あぁ、そういう話になっていたのか、と苦笑した日下部。 「うん」 ゆっくりと踵を返して、ドアの方に歩いて行く日下部を、変なものを見るような顔をしながら、山岡が追いかけた。 「日下部先生、どうかしましたか?」 「いや。なぁ山岡。帰ったら、引越ししないか?」 「え?」 廊下を歩きながら不意に言い出した日下部に、山岡がキョトンとなった。 「それはどういう…」 「一緒に暮らそう」 ニコリ。隣を歩く山岡に微笑みかけた日下部に、山岡がヘニャリと顔を歪めた。 「なんかボーッとしているかな?と思ったら、そんなこと考えていたんですか…」 それは今思いついたとは白状せず、日下部はニヤリと笑った。 「ふふ。だって週の半分は泊まっているしさ、なんかこう、山岡のホームって、もうここでもないんだろう?」 「そうですけど…」 「今度は俺の側がさ、俺との家が、ホームになったらいいな、って」 山岡氏が『家』だったと言った山岡。 それはきっと側にあるべき場所で、帰るための居場所。 「どう?」 「どうって…す、少し考えさせて下さい」 てっきり即答するかと思ったが、まさかの焦らしが返ってきた。 今すでに、自宅には寝に帰っているようなものなのに、渋る理由はなんなのか。 「じゃぁうちに着くまでな」 「え?そんなの、3時間弱しかないじゃないですか」 「だって悩む理由あるか?」 恋人だし、夕食はほぼ毎晩一緒だし、ほとんど泊まっているし、逆に別々に暮らしていることのデメリットしか思いつかない。 「それは…」 「ん?」 「その…」 山岡の懸念がさっぱりわからない日下部は、本気で首を傾げている。 「えっと…」 モソモソと困惑している山岡に、日下部はふと足を止めた。 「あ、もしかして整頓能力0とか?」 「え?」 「家、ぐちゃぐちゃになるから同棲無理とか」 思えば日下部は、山岡の部屋に行ったことがないことに気がついた。 「いえ…。って、ど、ど、同棲って…」 「恋人だもん、同棲だろ?」 生々しい表現に戸惑う山岡を、日下部は面白そうに見る。 (本当、擦れてない…) 「っ…」 「まぁいいや。家に着いたら返事聞かせてな?」 「うぅ…」 (3時間あれば余裕。イエスしか言わせる気ないよ) 日下部が仕掛けたからには、もう逃す気はない。 再び歩き出した日下部につられて足を進めた山岡は、施設の職員に挨拶をして、車に乗り込んで。今暮らす街に帰ってきた頃にはもう、日下部の思い通りの返事をしていた。 「じゃぁ引越しいつにしようか?とりあえず小物は少しずつ運んで…今日から住もうな?」 「はぃ?」 「もう帰さない。うちの方が病院に近いし、部屋は余裕があるし、狭くもないだろ?それとも新しく物件探す?」 「そんな、わざわざいいです。オレ、この家、慣れてきましたし…」 それは一緒に住むのは決定事項という発言だと気づいているのか。 「じゃぁうちで暮らそう。まぁ、新居はいずれな?」 クスッと笑った日下部に、山岡は腹をくくったようにコクンと頷いた。

ともだちにシェアしよう!