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第106話
そうして山岡の道案内する通りに車を走らせ、山岡氏の家だったという場所にたどり着いた。
それは、広い庭がある洋風の建物だった。
「あ、そこの敷地に止めてください」
門を入ったすぐ横に、駐車スペースらしい2、3台の車が止まりそうなスペースがある。
言われるまま車を止めた日下部は、助手席で深呼吸をしている山岡をチラリと見た。
「っ、はぁ。よし」
「山岡?大丈夫?」
「あ、はぃ」
「そう?じゃぁ行こうか」
もとは多分、一軒家だったのだろう。多少増改築はしてあるようだが、大きさに目を瞑れば、民家と呼べる外観だ。
コクンと1つ頷いた山岡が、ふわりと笑って、車のドアに手をかけた。
「っ!ここは…」
車から下り、山岡と並んで建物に近づいて行った日下部は、この家が今何なのかを知った。
「児童保護施設…ヤマオカ?」
「はぃ」
「そ、っか…」
「はぃ」
山岡氏の財産全てを相続したと言っていた。それはもちろん自宅も含まれていたわけで…。
「遺言?」
「いえ。オレが、こう使って欲しいと、弁護士さんにお願いしました」
それで施設にしてもらったのか。
日下部は、山岡のその想いがあまりに山岡らしすぎて、思わずふわりと顔を綻ばせた。
「どうぞ。って言っても、もうオレの家じゃないんですけど…」
ふわりと微笑みながら、玄関の扉を開けてくれた山岡に、日下部はゆっくりと中に足を踏み入れた。
「こんにちは」
入ってすぐ、ガラス窓のある受け付けのような部屋が見えた。
スタッフらしい女性がニコリと微笑み、エントランスに出てくる。
「ご見学ですか?ご面会…まぁ、泰佳さん」
日下部の後ろからヒョコッと顔を見せた山岡に、女性の顔がパッと綻んだ。
「あらあら、お久しぶり。元気そうで」
「はぃ、お久しぶりです…」
「えっとこちらは?」
チラ、と日下部に視線を移した女性に、日下部がニコリと外用の綺麗な笑みを浮かべた。
「泰佳さんの同僚で、親しくさせてもらっています、日下部と申します」
きっと上手く関係を説明できないだろう山岡に代わって、日下部がサラリと言った。
「まぁまぁ、仲のよいお友達なのね。ようこそ、いらっしゃい」
勝手に解釈してくれる女性に、日下部は敢えて訂正も何もいれない。
ただ他者を魅了すると知っている綺麗な笑みを浮かべたまま、ニコニコしている。
山岡も曖昧に微笑みながら、スッと足を踏み出した。
「お部屋、上がらせてもらっていいですか?」
「もちろんよ。あの部屋はあなたのものなんだから」
即座に頷いて、スリッパを2組出してくれた女性に頭を下げ、山岡が靴を脱いで上り込む。
続いた日下部も女性に礼を言って、勝手知ったる様子で中に歩いて行く山岡の後を追った。
「ここは…」
2階に上がって、ある1室に入った山岡の後から、日下部もその部屋に足を踏み入れた。
「元は山岡さんの私室だった部屋です。ここは当時のまま。今はオレの部屋として残してもらってます」
大き目のベッドにテーブルとソファ、キャビネットに書棚、大きな机がある、広めの部屋だ。
日下部はグルリと部屋の中を見回しながら、ゆっくりと室内を歩いた。
「懐かしい?」
「正直、愛着とかは特にありません」
「そう…」
「山岡さんがいたから…山岡さんがいた場所がオレのホームで…。その時間が確かにあったんだよな、っていう形のもうただの箱ですかね」
「そうか」
「はぃ」
「ここには山岡氏と山岡だけが住んでいたの?」
奥さんや実子やその家族は?と首を傾げる日下部に、山岡はコクンと頷いた。
「奥さんは先に亡くしたって…。息子さんはとっくに家を出て自分の家を遠くに持っていて、そのご家族もそちらに」
「まぁ、財産を一銭も残したくないとか言ってたくらいだもんな。とっくに疎遠か。こんな大きな家に…」
「使用人さんみたいな人は何人かいましたよ」
一文無しから、ちょっとしたセレブでした、と笑う山岡に微笑み返しながら、ゆっくりと部屋の中を回っていた日下部の足が、ふと壁際のキャビネットの上にあった写真立てを見て止まった。
「これ…山岡と…」
中学生くらいの少年と、老人が2人で写っている写真だった。
前髪で顔が半分も見えない少年は山岡だろう。だとすると隣は。
「山岡氏?」
日下部の声に、ゆっくりと近づいてきた山岡が、クスッと笑った。
「そうです。その1枚だけ。オレも同じの持ってます」
今の家にある、と笑う山岡の目が、とても懐かしそうに細められた。
「そっか」
そっと写真立てに手を伸ばした日下部に、山岡はウンウン、と呑気に頷いている。
「東京タワーです。1度だけ連れて行ってもらいました」
「……」
「2人だけの修学旅行。山岡さんが最後に遠出ができた場所になっちゃいましたけどね」
懐かしそうに話す山岡の声を、日下部は黙って聞く。
「オレは、小学校でも中学校でも行けなかったから…山岡さんが、一緒に行こうって言ってくれて」
「ん」
「あの日は山岡さんの調子もよくて…」
ふふ、と笑いながら、遠い日を思い出すように語る山岡からは、当時確かに受けていた愛情の気配を感じた。
(本当に山岡氏には、感謝してもしきれない…。本当に…)
ニコリと笑みを浮かべながら、嬉しそうに楽しそうに昔語りをしている山岡を、日下部は愛おしそうに見つめる。
(この笑顔を、俺はこの先必ず、守っていきます…)
ニコリと微笑み返す日下部の目は、写真立ての中の2人の姿に向いている。
(俺も、これからたくさんたくさん山岡と思い出を作っていこう…)
「ね?日下部先生?」
「うん」
なんのことやらわからなかったけど、とりあえず返事をした日下部に、山岡がニコリと笑った。
「じゃぁ」
「うん?」
「うん?って、帰るんでしょう?」
あぁ、そういう話になっていたのか、と苦笑した日下部。
「うん」
ゆっくりと踵を返して、ドアの方に歩いて行く日下部を、変なものを見るような顔をしながら、山岡が追いかけた。
「日下部先生、どうかしましたか?」
「いや。なぁ山岡。帰ったら、引越ししないか?」
「え?」
廊下を歩きながら不意に言い出した日下部に、山岡がキョトンとなった。
「それはどういう…」
「一緒に暮らそう」
ニコリ。隣を歩く山岡に微笑みかけた日下部に、山岡がヘニャリと顔を歪めた。
「なんかボーッとしているかな?と思ったら、そんなこと考えていたんですか…」
それは今思いついたとは白状せず、日下部はニヤリと笑った。
「ふふ。だって週の半分は泊まっているしさ、なんかこう、山岡のホームって、もうここでもないんだろう?」
「そうですけど…」
「今度は俺の側がさ、俺との家が、ホームになったらいいな、って」
山岡氏が『家』だったと言った山岡。
それはきっと側にあるべき場所で、帰るための居場所。
「どう?」
「どうって…す、少し考えさせて下さい」
てっきり即答するかと思ったが、まさかの焦らしが返ってきた。
今すでに、自宅には寝に帰っているようなものなのに、渋る理由はなんなのか。
「じゃぁうちに着くまでな」
「え?そんなの、3時間弱しかないじゃないですか」
「だって悩む理由あるか?」
恋人だし、夕食はほぼ毎晩一緒だし、ほとんど泊まっているし、逆に別々に暮らしていることのデメリットしか思いつかない。
「それは…」
「ん?」
「その…」
山岡の懸念がさっぱりわからない日下部は、本気で首を傾げている。
「えっと…」
モソモソと困惑している山岡に、日下部はふと足を止めた。
「あ、もしかして整頓能力0とか?」
「え?」
「家、ぐちゃぐちゃになるから同棲無理とか」
思えば日下部は、山岡の部屋に行ったことがないことに気がついた。
「いえ…。って、ど、ど、同棲って…」
「恋人だもん、同棲だろ?」
生々しい表現に戸惑う山岡を、日下部は面白そうに見る。
(本当、擦れてない…)
「っ…」
「まぁいいや。家に着いたら返事聞かせてな?」
「うぅ…」
(3時間あれば余裕。イエスしか言わせる気ないよ)
日下部が仕掛けたからには、もう逃す気はない。
再び歩き出した日下部につられて足を進めた山岡は、施設の職員に挨拶をして、車に乗り込んで。今暮らす街に帰ってきた頃にはもう、日下部の思い通りの返事をしていた。
「じゃぁ引越しいつにしようか?とりあえず小物は少しずつ運んで…今日から住もうな?」
「はぃ?」
「もう帰さない。うちの方が病院に近いし、部屋は余裕があるし、狭くもないだろ?それとも新しく物件探す?」
「そんな、わざわざいいです。オレ、この家、慣れてきましたし…」
それは一緒に住むのは決定事項という発言だと気づいているのか。
「じゃぁうちで暮らそう。まぁ、新居はいずれな?」
クスッと笑った日下部に、山岡は腹をくくったようにコクンと頷いた。
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