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第110話
勤務終了後、いつものように、山岡と日下部は揃って病院を出た。
職員出入り口から出た瞬間、ピクッと緊張する山岡も、ここ最近のいつものことだ。
あの拉致事件以来、この場所に心理的な恐怖感があるらしく、始めは足を踏み出すことすら出来ていなかった。
ようやく日下部が隣にいる状態で、こうして普通に歩けるようにはなったが、やはりまだ隣で強張る身体がわかり、日下部は苦いものを感じていた。
「大丈夫?」
「はぃ…すみません」
「山岡のせいじゃない。山岡は悪くない。謝るな」
「っ…はぃ」
傷として残したくなくて、心療内科の受診も勧めたが、山岡は頷かなかった。
だから日下部は、出来る限りのフォローを自分がしてやろうと思っていた。
「でも麻酔科の先生…一気に2人も辞めちゃって、大変ですね…」
ポツリ、と言う山岡に、自ら出した話題なら大丈夫か、と思い、日下部は会話に応じた。
「うん。まぁ非常勤の先生が1人入ったみたいだけど、緊急入ったりすると足りないよな」
のんびり話しながら、駐車場に向かっていた2人は、日下部の車の前にたどり着いた。
「おっつかれさ~ん」
途端に、車の影からヒョコッと出てきた人物が、明るい声を上げた。
「っ!」
「な…とら?!山岡っ」
いきなり現れた谷野に、日下部も驚いたが、山岡は尋常じゃないほど驚き怯えた。
「いや…いやだ…っ」
「落ち着け。大丈夫だ」
硬直した山岡を、日下部がそっと支える。
「っ…だ、いじょぶ…です」
そっと目を上げて強張った笑みを向けた山岡を見てから、日下部は谷野に向き直った。
「驚かすな、馬鹿」
「あ~、そないにびっくりするとは思わなくて。すまん」
過剰かと思える山岡の反応には触れず、素直に頭を下げる谷野は、悪い人ではないのだろう。
それをわかっている日下部も、仕方なさそうに苦笑した。
「で?何…って聞くまでもないな」
こんな時間にこんなところで待ち伏せしている理由は1つだろう。
「夕飯にありつきに来たな…」
はぁっと大袈裟な溜息をつく日下部に、谷野はニカッと笑った。
「ご明察。ちぃが作るんやろ?久々にちぃの手料理が食べたいな~」
「おまえね…」
「あれ?でも山岡センセも一緒ってことは、どこか食べに行く予定やった?」
ニッと笑う谷野の笑顔が、少し挑戦的なことに日下部は気がついた。
(これは、噂を聞いたな。まだ信じちゃいないようだが…)
さて、どうするか、と考えた日下部が、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「いや、うちで食べる予定だったけど。山岡先生、とらもいていい?」
山岡は対話は苦手だが馬鹿ではない。
その『いい?』がどんな意味を持つかをちゃんと理解して、コクンと頷いた。
「日下部先生がよろしければ、オレはいいです」
カミングアウトして、という意味できちんと答えた山岡に、日下部がふわりと笑った。
「いいって。じゃぁ2人とも乗れ」
車を持っていない山岡と、どうせ乗っていく気満々だっただろう谷野を乗せて、日下部は家まで運転して行った。
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