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第111話

「へぇ。いいとこ住んでんなぁ」 「とらの家もそう変わらないだろ?」 完全なるお世辞に苦笑して、日下部はスタスタとリビングに向かい、その奥のキッチンに入った。 山岡も慣れた様子でリビングまで向かって、上着を脱ぎ、ネクタイを緩めている。 そんな2人の様子を、谷野はジーッと観察するように見ていた。 「2人とも飲むか?飲むなら俺が作っている間、始めてていいぞ」 キッチンからリビングの山岡と谷野に声だけ放ってきた日下部に、山岡がテクテクとキッチンに向かう。 「オレはいいです。谷野先生は?」 「あ、いや、とらでいいんやけど…。おれはビールもらおかな」 冷蔵庫の前で立ち止まった山岡をジーッと見つめてぼんやりと答えている谷野を、日下部がこっそりと見てニヤニヤ笑っていた。 「ビールですね。あと、あの…日下部先生…」 冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら、チラッと調理台の前にいる日下部に視線を向けた山岡に、日下部は何をいいたいのかわかって頷いた。 「いつも通りに決まってるだろ?」 暗に、髪上げろな?と言っている日下部に、山岡はストンと俯いた。 「今日だけ許してもらうことは…」 「できないね。大丈夫だよ。山岡は醜くない」 谷野の視線を気にする山岡に微笑んで見せて、日下部がゆっくりと山岡に近づいた。 「俺の言葉が信じられない?」 ポン、と頭を撫でて言う日下部に、山岡は小さく首を振った。 「いい子だ」 「いい子って…」 少々ムッとした山岡だが、その顔が自然に上がり、ニコリと微笑んだ。 「ほんまなん…?」 2人の様子をジーッと見ていた谷野が、ぼんやりと呟いた。 「あ、すみません。ビールですよね、はぃ」 パッと日下部から離れ、缶ビールを持ってリビングに戻った山岡。 差し出されたビールを反射だけで受け取り、谷野が山岡と日下部を交互に見ている。 「クスクス。どうした?とら」 完全に戸惑っているのがわかっていて、日下部はそれはそれは楽しそうに笑った。 「やっぱりちぃには敵わんわ。それに、変わらずいけずや」 「ん?」 ようやく自分の魂胆がすでにバレていて遊ばれていると気づいた谷野が、ツンと唇を尖らせた。 「ほんまにデキとるんやな…」 「そう噂されてたんだろ?」 「そんなん、ただの噂やん。噂やと思うて確かめに来てん…けどもうわからん。あ~わからん!」 突然頭を抱えて喚きだした谷野に、山岡がビクッと驚き、日下部が生き生きとした満面の笑みを浮かべた。 「何がわからないの。見てわかったんだろ?」 クスクス笑いながら、意地悪く言う日下部は、初めからこうしてパニクる谷野を見たくて、見せつけるつもりでいたのだ。 まさしく望み通りの流れになり、楽しくてたまらないらしい。 「わからん。いやわかる。わかるんやで?ちぃと山岡センセがデキとるのがほんまやゆうことは。せやけどわからん。なんで男。なんでこないな冴えない人なん。わからんねん。なんやねん」 完全にパニックを起こして、迷走を始めている谷野。あ~っと頭を抱えて大混乱している顔に、日下部が満足している。 「だってモテたやん。どないないい女も選り取り見取りだったやん。せやのに、どうしたん?まだゆうけど、ほんまなん?ほんまに山岡センセが本命なん?」 困惑に揺れる目と、情けなく下がる眉、ムッとしながらヘラリと笑う、どうにも複雑な表情をしている谷野を見て、日下部は大満足で爆笑した。 「ぷっ、ははは!とらのその変な顔が見たかった。ふふ、本当だよ。山岡が俺の最愛の恋人」 迷わず揺らがずはっきりと告げた日下部に、山岡がカァッと顔を赤くし、谷野の目がまん丸に見開かれた。 「男やんっ。ちぃ、ゲイってわけやなかったやろ?女抱きまくっとったもんな?え~っ?なんやもう、わけわからん。ちょっと1人にしといてや」 ガクッと脱力した谷野が、フラフラとリビングを横切り、たまたま目の前にあった寝室のドアに手を掛けた。 「あ、そこは…」 寝室を開けそうになっている谷野に、ふと呟きを漏らした日下部。それに山岡はハッとしたが、谷野はぼんやりしているため気づかない。 寝室のドアに掛かった谷野の手が、そのままガチャッとノブを動かし、スッと扉が引かれていく。 「え…?」 わずかに開いたドアの中に何を見たのか。 谷野の動きが一瞬止まって、次にはバンッ!と派手にドアが閉められ、怒っているのか照れているのか、目を吊り上げた真っ赤な谷野の顔が、山岡と日下部の方を振り返った。 「なんやねんっ!手錠にローションに大人の玩具とかっ!生々しいねん!片付けとけや!っつ~か、どんなプレイしとんねん~っ!」 うがぁ、と叫ぶ谷野がズンズンとリビングの方に戻ってきて、ドカッとソファに座った。 「すごいね。今の一瞬で全部判別したの?さすがとら」 「っっ!そんなん褒めるとこちゃう!なんやねん、あんな…」 「あぁ、あれら?朝早起きしたから襲おうとしたらバレて、怒った山岡がぜ~んぶ散らかして、そのまま仕事に出たんだった」 ふふふ、と悪びれなく笑っている日下部は、相当図太い。反対に山岡は、そんなものを見られ、そんな発言をされ、完全に羞恥で縮こまってしまっている。 「よぉわかったわ!こんのバカップル!」 怒ったと思ったら急に項垂れて溜息をつく谷野に、日下部は声を立てて笑っていた。 山岡は相当恥ずかしいのか、いつの間にかリビングの隅まで行って、壁のコーナーにスッポリはまっている。 「別に否定はせぇへんよ?ただびっくりしただけやねん。取って食いはしないから、出てきぃや」 隠れたがっている山岡をチラリと見て、谷野が苦笑した。 「ちぃが選んだんや。間違いはあらへん。ただ、ちぃが本命絞るとは思わんかったし、それが男やし、しかも昼間会ったセンセやなんて、驚き過ぎてパニクっただけや。気ぃ悪くさせたんなら謝るわ」 言うが早いか、すでにペコッと頭を下げている谷野は、本当に全く悪い人間じゃない。 「や、やめてくださいっ。オレは別に…た、ただ恥ずかしくて…」 日下部との関係を、こんなにはっきり他人に見せたことは初めてで、どう反応していいかわからない。しかも露骨に肉体関係があることも知られて、山岡にはハードルが高すぎた。 「山岡おいで。大丈夫だよ。とらは、言いたいこと何でも言うし、言葉キツく感じる部分もあるかもしれないけど、根っこはいいやつだし、度量も大きい。人に吹聴するような馬鹿でもないし、堂々と見せつけてやろう」 ふふ、と笑いながら手を差し出した日下部に、山岡がオドオドしながらも、コクンと頷き、ソロソロと日下部の側まで歩いて出てきた。 「ふぅん。そないな従順なとこもいいねんな」 日下部がどSだと言うことは、従兄弟で悪友の谷野はよく知っている。 確かに嗜虐心を湧かせそうな山岡は、日下部の趣味の範疇内だろう。 「それだけじゃないよ」 クスッと笑った日下部は、自分の腕の中にやってきた山岡の髪を掻き上げ、素早く取り出した、サッカー選手がよくつけているような細いタイプのヘアバンドを、山岡の顔が完全に見えるようにつけてしまった。 「ふふ、これはプレゼントね」 「ぁ…」 「っ!な、んや…それ…」 山岡がフラリと目を泳がせ、谷野はそれ以上ないくらい大きく目を見開いた。 「ちぃより綺麗な顔、初めて見たかも…」 呆然と呟く谷野に、日下部がとても綺麗に笑った。 「2人同時に褒めるとか、とらもやるねぇ」 クスクス笑っている日下部に、山岡が困惑して、谷野が呆然から立ち直り、ぶはっと吹き出した。 「それ、自分がイケメンやと思ってないと出てこない台詞やで」 「まぁ、自分の容姿の価値くらい自覚してるよ。でも、こいつは極上だろ?」 ものすごく得意げに言う日下部に、谷野は反論の1つもなく、ストンと頷いた。 「性格も好みで、顔も良くて、身体の相性は言うまでもないわな。全部ええっちゅうわけか」 「うん。医者としてもな、オペの腕は俺も敵わないと思うし、何より心根が真っ直ぐだ。尊敬してるし、惚れてる」 この日下部がここまで言う山岡というこの医者は何なのか。日下部の医師としての腕前や実績を知る谷野は、一気に山岡に興味を唆られた。 「や、やめてください…。え、エースにそんな…」 「ふふ。だから、本当のエースは山岡だって何度言えば…」 言いながら、悪い口は塞いでしまうぞ、と言わんばかりの日下部の唇が、山岡のそれと重なった。 「んっ…やっ…。た、に…せ、見て…」 チュッ、クチュッと、深いキスをされている合間から必死で言う山岡も無視し、日下部は思いのままに山岡の口内を蹂躙する。 「んっ…んん…はっ…」 すっかり慣らされている山岡は、つい日下部の舌に応えてしまう。 日下部が満足して唇を離す頃にはもう、潤んだ瞳も力の抜けた身体も隠しようがない状態だった。 「ちぃなぁ。ったく、見せつけんなや。あんたも!すっかり躾られよって」 ハッと呆れたように息を吐く谷野に、山岡が日下部に縋り付きながらカァッと顔を真っ赤にし、日下部はそれはそれは傲慢に微笑んだ。 「羨ましいだろ」 ドーンと胸を反らせた日下部に、谷野がガクッと脱力した。 「へっ。ごちそーさん!でもな、ちぃ。おれもちぃがそこまで言う山岡センセに興味が湧いたわ」 「へぇ?でも、これは俺のだからやらないよ」 「ふふん。それは、山岡センセが決めることやろ?」 ニカッと笑う谷野に、日下部は少々挑発し過ぎたかな?と思った。 けれど強気な態度は崩さない。 「山岡だって俺以外には見向きもしないよ。なぁ?泰佳?」 「っ…こ、こんな人前でっ…ひ、酷いです…」 ウルウルと泣き出しそうになっている山岡は、キスシーンを見られた羞恥が優っていて、日下部と谷野の会話は耳に入っていなかった。 「ほんま、そのニヤケ顔、見せんなや」 「ん?ニヤケてた?だって可愛いだろ?俺の泰佳」 「やってられん。せやけど、おれも引かへん。ちぃが落とされた山岡センセの魅力、この目で確かめさせてもらうわ」 完全にやる気になった谷野に、日下部がとても楽しそうに笑った。 「泰佳。もし浮気なんかしたら…」 「え?」 「どうなるか、よぉ~くわかっているよな?」 ニコリ。突然の日下部の発言に、日下部と谷野の間を往復した山岡の目が、ハッとわずかに開かれた。 「まさか谷野先生までまた?原先生だけでも大変なのに…」 山岡は、話を聞いていなくても、馬鹿ではない。勘もそれなりに鋭い。 「ふふ」 (ちょっとやり過ぎたけど、とらもまたいい当て馬になりそうだし~) ルンルンと状況を楽しむ日下部は、本当に人が悪い。 「ちぃ、おれはあんたらのスパイスにはならんで。珍しく計算違いしたって、後で後悔すんなや?」 ニヤリ。さすがは血の繋がりがあるのか、人生経験の差か。 谷野は原ほど単純ではなさそうだ、と思いながらも、日下部は新しい玩具を見つけた子供のように生き生きし始めた。 「ふふ。山岡の魅力を知って惚れちゃっても、俺は責任持たないよ?後悔するのはとらだから」 さらなる挑発をかます日下部に、山岡がその腕の中で身動いだ。 「そういう日下部先生の悪戯の弊害は全部オレに来るんですから…やめてください…」 すでに波乱の予感に、半泣きになっている山岡。 日下部はそんな山岡をギュッと抱き締め、とても綺麗に微笑んだ。 「泰佳は俺だけ見て俺だけ信じていれば、なんの問題もないよ」 「っ…千洋っ。だから、ひ、人前で…」 シュゥッと羞恥に萎んでいく山岡を見ながら、谷野はぼんやりと思った。 (なんてことはない、ちょっと奥手な男やろ。多少ちぃの好みのストライクやけど…そんなに甘い顔させるほどの特別なやつっちゅうわけか。こりゃおれの好奇心が満たされるまで、ばっちりつきまとわせてもらいまっせ) ニィッと笑う谷野の前で、山岡と日下部は人目もはばからずイチャイチャしていた。

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