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第118話
「ほら、山岡センセ、こっちや。寝るんやったら、このベッドに…」
「うん」
寝ぼけたまま頷く山岡を、谷野がそっとベッドに寝かせる。
タクシーから下ろして引きずるように山岡を連れてきたここは、いわゆるラブホテルだ。
ブーブーブー。
ふと、山岡の鞄でバイブレーションの音が聞こえ、谷野はチラリと山岡を見た後、こっそりと鞄を開けた。
山岡はすでにベッドの上で寝息を立てており、それに気づく様子はない。
「失礼するで…やっぱり、ちぃか」
取り出した山岡の携帯には、『日下部先生』の文字。
ニヤリと笑った谷野は、着信が鳴り止むまで待って、一瞬震えが途切れた瞬間を見計らって、電源自体を落としてしまった。
「ふふ、スパイス投入やで。これで壊れるような仲なら、おれは認めへん」
クスッと笑った谷野は、そのまま携帯を山岡の鞄に戻し、スヤスヤと油断し切って眠っている山岡を見下ろした。
そうしてキシッとベッドに乗り上げ、山岡の服をそっと脱がしていった。
「うぅ、頭痛い…。何時…?」
朝、ぼんやりと目覚め、パタパタと手探りで頭上にあるはずの携帯を探った手が、何も探し当てられないことに気づいた。
「あれ?携帯…って、え?どこ?」
ボーッとしながら見上げた天井が見慣れないことに気づき、山岡の意識がはっきりと覚醒した。
「日下部先生の家じゃな…ひゃぁっ!」
ガバッと飛び起きた山岡は、ハラリと落ちた布団の下が全裸だったことに気づき、目を丸くした。
「なっ…」
見知らぬ場所、覚えのない状態。
軽くパニックに陥った山岡は、不意にガチャッと音を立てて、曇りガラスのドアが開いたのを見た。
「え…?」
「ん?あ、お目覚めか?おはよ~さん」
上半身裸で、ガシガシとタオルで髪を拭きながら出てきたのは谷野だった。
明らかに風呂上がりの様子だ。
「っ…」
慌ててパッと布団を引き寄せた山岡は、サァッと顔から血の気を引かせていった。
「まさか…」
昨日は谷野と夕食を食べに行き、話をしながら飲み始めた記憶がある。
照れに任せてガンガン酒を飲み、多少酔っ払って色々としゃべって…と、そこで途切れている記憶。
「身体、大丈夫か?辛くない?」
ゆっくり歩いて来ながら、コテンと首を傾げた谷野に、山岡の顔がザッと青褪めた。
「オレ…」
二日酔いの症状で頭が痛い他は、特に違和感のない身体。日下部に抱かれた翌日のように、ダルかったり、後ろに違和感を感じたりしないが、身を案じてくる谷野を見る限り、そういうことなのか。
「っ…」
「どないした?」
「っ…いえ」
フルフルと首を左右に振る山岡は、とにかくこの場から去りたくて、慌てて布団を抜け出し、そこらに落ちていた自分の服を探し当て、急いでそれらを身に付けた。
「シャワー浴びひんの?昨日あのまま寝てしもうたし…」
「っ!い、いいですっ。オレっ、し、失礼しますっ」
バタバタと慌ただしく身支度を整えた山岡が、テーブルの上に鞄を見つけてパッとそれを掴んだ。
「あ、あの、オレ…いえ、なんでもありません」
ギュッと鞄を胸に抱えた山岡が、震える声をもらした。
「ん?」
「これ、足りますか?失礼しますっ」
パッと鞄から財布を取り出し、適当に万札をテーブルに置いた山岡は、逃げるように部屋を飛び出そうとして…。
「あれっ?開かない…」
ガチャガチャとドアノブを動かしている山岡に、谷野が苦笑した。
「部屋代精算せんと開かんようになっとるんよ。なんや、ラブホは初めてか?」
「ら、ラブホ…?っ!」
今更ようやくここがどこかわかった山岡。そしてそのことで、さらにズシンとのし掛かった現実に、山岡の顔が完全に俯いた。
「オレ、やっぱり…」
「ふぅ。おれも支度するからちょっと待ってな」
ドアに額をくっ付けて項垂れている山岡の後ろ姿を見ながら、谷野がニィッと悪い笑みを浮かべる。
身支度を整えた谷野は、山岡が置いた札を持ってドアの側までやって来た。
「これは多すぎや」
ポンと札を山岡に返してから、ドア横の壁に備え付けられた自動精算機に向かう。
山岡は返された札をグシャリと握り締めたまま、ジッと足元を見つめている。
谷野が支払いを済ませた精算機の方から、ピッピーと音がして、ガチャンとドアの鍵が開いた。
「ほな、出よか」
「っ…」
開けて、と言う谷野に従い、山岡がノブに手を伸ばした。
「山岡センセ?」
ノブに手を掛けたまま動きを止めてしまった山岡を、谷野が不思議そうに促した。
山岡の身体が小刻みに震えているのがわかる。
「どないしたん?」
「っ…オレ…」
「ん?」
「オレ…よ、酔ってて…。だから、その…」
ギュッと拳を握り締めた山岡の様子がわかった。谷野は、山岡が内心で何を考え、どんな葛藤をしているのかがなんとなく理解できた。
「分かっとる。ちぃには言わへんよ」
ニヤリと笑った谷野に、山岡の身体がビクッと震え、ギューッとますます強く握り締められた拳が谷野から見えた。
「安心せぇ。ほな、出ようや。おれも今日から出勤やねん。初日から遅刻はしとうないで」
早う、と言う谷野に、山岡はようやくドアを開けた。
「タクシー拾おか?」
「っ…オレ、1人で行きます。失礼します」
ホテルを出てすぐ、ペコッと深く頭を下げた山岡が、谷野とわずかも目を合わせることなくその場を逃げるように立ち去って行った。
「ふぅん。あれは完全に勘違いしたな~。ククッ。おれは一言も寝たなんて言うてへんで?さぁて、こじれるか?山岡センセ、全てはあんた次第や。ふふ、お手並み拝見や」
クスクスと笑う谷野は、日下部に負けず劣らず人が悪かった。
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