119 / 426
第119話
谷野から逃げるように去って来た山岡は、定時ギリギリくらいに病院に着いていた。
急いで向かったロッカーで、慌てて白衣を着ている。
そこへ狙ったように日下部が入って来た。
「おはよう、山岡先生」
「っ!…お、おはようございます…」
開けっ放しだったロッカーの扉に隠れるように立っていた山岡の身体が、ビクッと竦んだことに日下部は気がついた。
バンッ!
「っ…」
ツカツカと山岡に近づいた日下部が、山岡の背をロッカーにつけるようにして、その顔の横に手を叩きつけるようについた音が響いた。
「昨日は帰って来なかったけど。どこで何をしていたのかな?」
ニコリ。笑っているのだけれど、視線が冷たい日下部に、山岡はスッと目を逸らして俯いた。
「すみません…ちょっと…」
「ちょっと?電話したんだけど出なかったし、その後切れちゃったんだよね」
ん?と問いかける日下部に、山岡はハッとして、クルリと身体を返した。
「あの…手を…」
日下部が叩きつけた手で閉めてしまったロッカーのドアを見て言う山岡に、日下部は仕方なく着いていた手を離した。
急いで鞄を取り出し、中を漁った山岡は、真っ暗な画面の携帯を取り出した。
「あ…電源切れてる…。充電かな。すみません」
携帯を確認して頭を下げた山岡に、日下部はスウッと目を細めた。
「事故とか何かあったのかと思って心配したんだけど」
「っ…すみません」
「で?無事で何よりだけど…」
さらに追求を始めようとした日下部の言葉の先を、山岡が不意に奪った。
「すみませんっ。オレ、昨日は…か、川崎さんの家に泊まって…。じ、事件とか事故とかじゃないので…し、心配かけたのはすみませんでした。でも本当、なんともないので」
「山岡?」
「お、オレ、外来の時間なのでっ、もう行きますね!」
ポイッと携帯をロッカーの中に放り込み、バンッとドアを閉めて鍵をして、パッと逃げるように日下部の前から更衣室のドアに走る。
「あ、おい…」
素早く走り去る山岡を捕らえられずに、日下部は不審な山岡の言動にチッと舌打ちをして、ギロッと山岡が出て行ったドアを睨んだ。
「あ~、びっくりした…って日下部先生?す、すみません!でもサボりに来たわけじゃないですよ!」
「は?」
再び開いたドアから、ヒョコッと入って来たのは原だった。
ドアの方を睨んでいた日下部に、自分が睨まれたと勘違いしたのか、ワタワタと慌てている。
「え?な、なんかすごい怖い顔してたから…」
「あぁ、きみにじゃない」
「ん?じゃぁ山岡先生?なんかいきなり飛び出して来て、走り去りましたけど」
ぶつかるかと思いました、と呑気に言っている原に、日下部の剣呑な空気がわずかに緩んだ。
「まったくな…」
「ん?ん?あっ、わかりました。朝から痴話喧嘩ですね。やだやだ」
勝手に解釈した原に、日下部は苦笑した。
「まぁ、あれは喧嘩売られたよな」
明らかにおかしかった山岡の様子を思い出し、日下部はジッと考える。
「え?本当に喧嘩です?ヤッタ!おれ、今チャ~ンス?」
つけ込む!と喜ぶ原に、日下部のシラッとした目が向いた。
「なに?きみも俺に喧嘩売ってるの?そう。買い取ってあげるよ、高値でね」
「え…」
「今日の午後、ラパロ(腹腔鏡)の見学させてやろうかと思ったんだけどな~。これは医局で雑用…」
「えぇっ!嫌です。すみませんっ。ぜ、ぜひ早く山岡先生と仲直りできるように、全力で祈っておきますから!」
オペ見せてくださいぃ、と半泣きになる原に満足して、日下部はニコリと笑った。
「きみにお祈りされなくても、片はつけるけど。本当、きみって面白いよね」
完全に八つ当たり人形にされた原の横をスルリと通り抜け、日下部が余裕たっぷりに笑った。
「え?あの…で、結局おれ…オペ場行ってもいいんですか?」
さっさと更衣室を出て行ってしまう日下部に、原の戸惑う声が響いていた。
ともだちにシェアしよう!