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第124話
そうして昼。
案の定、日下部が言った通り、山岡の外来診察は、ついに1時を回った。
待たされてイラつく患者を、受付のスタッフが必死で宥めている。
ヒョッコリと外来に顔を出した日下部は、予想通りの光景に苦笑しながら、受付カウンターを回り込んだ。
「あと何人?」
「あ、日下部先生、お疲れ様です。今診察中が1人と、残り1人です」
「そう。この方、初診?」
「ですね。あ、終わったみたいです」
話している側から、パッと残りの診察待ち人数の表示が動いた。
「後1人じゃ待つか…」
ふぅ、と息を吐いた日下部は、手に売店の袋を下げて、診察室裏のバックヤードに足を向けた。
最後の患者を呼ぶ山岡の声が、スピーカーから聞こえる。
日下部は、疲れたように居残っている看護師たちを見ながら、そっと苦笑して隅の方に静かに佇んだ。
ボソボソと漏れ聞こえてくる山岡の声を聞きながら、チラリと時計を見上げた。
(せいぜい10分か…)
山岡にパンを食べさせながら、話せる時間は、と計算しながら、とにかく早く診察が終わるのを苛々と待った。
そうしてほどなくして、患者を送り出す山岡の声が聞こえ、日下部はゆっくりと3番診察室の裏側に足を向けた。
カーテンで仕切られたこちら側から、ヒョッコリと診察室に顔を出した。
「お疲れ様」
「っ?!く、日下部先生?」
声をかけた途端、ビクッと肩を跳ねさせる山岡に苦笑して、日下部ははい、と持ってきた売店のパンを差し出した。
「1時過ぎてるし、このまま食事抜くつもりだろ?ここですぐこっそりそれだけ食べちゃえな?」
内緒、と言いながら笑う日下部から、山岡はスッと目を逸らしてしまった。
「日下部先生…オレ…」
俯いて、ボソリと呟く山岡に、日下部に一瞬期待が浮かぶ。
だけど、小さく声を途切れさせた山岡は、再びパッと顔を上げて、ニコリと微笑んだ。
「ありがとうございます。いただきます」
またも白状をやめ、呑み込むつもりか。
朝よりずっと自然に近い笑顔を見せた山岡に、日下部は舌打ちしたいのを我慢した。
(嘘をつくことに慣れるんじゃないよ…。俺は山岡を信じているよ…)
日下部から受け取ったパンをさっそく食べ始める山岡を見て、日下部はふっと息を吐く。
きっと、日下部が追い詰めれば山岡など一発で真実を白状するのだろうが、日下部はどうしても自分の意志でそうして欲しかった。
それが谷野の挑戦でもあり、日下部にとっても、今後の2人の関係に大きな影響を及ぼす出来事だと、このことを捉えていた。
「なぁ、山岡先生」
「え?はぃ…」
「今日は、うちに帰って来るよな?」
「っ…あの…」
何もなければ、すんなり頷くだろうはずのことを、山岡がギクリと躊躇した。
「ん?当直だっけ?」
「いえ、違いますけど…」
「明日は休みだしな。今夜、何食べたい?」
「あの…オレ、その…」
「ん?どうした?今日もどこかに泊まる予定でも…」
ちょっとした揺さぶりをかけた日下部に、あっさり動揺を示した山岡を見たところで、不意に日下部のPHSが鳴り響いた。
「悪い」
「いえ」
チラッと見たディスプレイに表示された番号が病棟からだとわかり、日下部は素早く通話ボタンを押した。
「日下部です。ICU急変?はい、ええ、VF(心室細動)?DC(除細動器)やれてる?原先生いるでしょ?」
「あ…」
途端にピリッとした緊張感を漂わせた日下部の会話と空気に、山岡がフラリと立ち上がる。
「っ…CPA?!すぐ行く。原先生に心マ続けろって言っておいて。1分で着く」
言うが早いか、山岡にアイコンタクトをしてすぐに診察室を飛び出す。
山岡も、通話の内容を大体把握して、パンを途中で放り出して、急いでその後を追った。
宙ぶらりんになった会話は、結局その急変対応に追われ、そのまま打ち切りとなってしまった。
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