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第126話
「おれ炭酸。日下部先生、山岡先生は?」
「コーヒー。って、毎回聞かないでくれる?」
オーベンの飲みものくらい覚えなさいよ、と言いながら、さっと小銭を渡してくる日下部は、相変わらずスマートだ。
「だって、聞かないで買ったら、今日はその気分じゃなかったとか言い出しそうですもん、アンタ」
つん、と憎まれ口を叩く原は、ただ学習能力がないのか、折れないチャレンジ精神の持ち主なのか。
「アンタねぇ?」
「っ!いえ、げ、幻聴ですよ!や、山岡先生は何飲みますっ?」
「あ、オレ自分で買うので…」
いいですよ?と微笑む山岡に、原が縋りついた。
「あぁ、山岡先生が女神に見える。鬼オーベンとは大違い」
「なんですか、それ」
クスクス笑う山岡にくっついて、さっそく自販機に向かう原。
その2人の背中を、日下部が面白くなさそうに見送る。
「じゃぁ山岡先生にオーベン代わってもらったら?」
「え!…えっと、それは、そのぅ…」
てっきり飛びついて喜ぶかと思った原だが、フラリ、フラリと目を彷徨わせて躊躇している。
「ん?」
「オペの腕とか、本当、尊敬してますけどっ。でも、山岡先生は優しすぎるから…」
「ほぉ?」
「おれ、きっと甘やかされて、駄目になっちゃいます。日下部先生くらいビシバシしごいてくれる人の方が…」
言っていて照れて来たのか、尻つぼみに小さくなっていってしまう原の声に、それでも日下部がニコリと微笑み、山岡も嬉しそうにふわりと笑みを見せた。
「うん、かな~りM化してきたね」
「は?」
「何だかんだ言って、いいコンビですよね、お2人は」
とんでもない台詞をのうのうと吐いている日下部と、のんびり微笑んでいる山岡を交互に見て、原がガックリと疲れている。
「思うんですけど、うちのドクターって、濃いですよね~」
そう言えば、外科部長の光村もとぼけた人物だし、ベテランの医師もアクが強かった、と遠い目をする原に、日下部が爆笑した。
「その中なら、俺が一番マシだろう?」
ふふん、と勝ち誇ったように言う日下部に、どうにも反論しづらい原は、イエスもノーも言わずに、パッと自販機に向き直った。
「そもそも、医者なんて特殊な職業に、まともを求めたおれが馬鹿でした」
ボソッと言いながらピッと飲みもののボタンを押している原は、喉がカラカラと言っているくせに、炭酸飲料だ。
「その異常って中に、きみも入っていることを忘れるなよ」
「え~?」
「まさか、炭酸一気飲みする気?」
「え?駄目ですか?」
「うわぁ…」
潤うどころか、喉痛めそう…と嫌な顔をする日下部に、にっこり笑う原もまた、やはりまともとは程遠い人物だった。
そんなこんなで、消化器外科医たちがあれこれしていたところに、ふと陽気な関西弁が割り込んできた。
「なんや、ちぃらかいな」
「ん?とら?」
「ちぃっと疲れたから、休憩や。やっぱ大病院はええなぁ。こんな広くて綺麗な休憩室があるんや」
テクテクと室内に入ってきて、グルリと周囲を見回している谷野に、3人の視線が一気に集まった。
「あ、日下部先生の従兄弟の先生。お疲れ様です」
「長ったらしいやん。とらでええっちゅ~ねん」
「というか、とらがいた病院だって、向こうじゃ相当名のある大病院だろう?」
「せやけど、やっぱり都会とは違うやん」
「都会ねぇ?」
「……」
何気ない会話が始まる日下部と、とりあえず挨拶を済ませた原はいいとして、山岡は何故か1人、ポツンと黙り込み、ススッと谷野から遠ざかって行った。
「山岡センセ」
「っ!」
「お疲れさん」
ニッと笑みを浮かべた谷野は、山岡が今、自分に会いたくないことは百も承知だった。
その上で敢えて声をかける意地悪さは、日下部のそれに匹敵する。
「お、お疲れ様です…」
ススッと目を逸らして、ボソリという山岡に、日下部の目がスゥッと細くなり、谷野の顔がにんまりと楽しそうに歪む。
先輩たちの思惑にはまったく気付かずに、原が本当に炭酸を一気飲みして、ゴホゴホむせている。
「ちょっ…きみ、本当に馬鹿なの?汚い」
「げほっ、す、すみません。さすがにヤバかった」
呆れた日下部の声と、焦る原の声を横に、谷野が、さりげなく山岡の側に近づいた。
それに気づいた山岡が、ピクンと肩を揺らして、ススッと身を引いて行く。
まるで磁石の同極だ。
『そんな警戒せんと』
コソッと山岡にだけ聞こえる声で言う谷野に、山岡の身体がピクッと跳ねて動きを止めた。
『普通にしてな、バレるで?もしバレたら山岡センセもおれもどうなるか…わからんわけやないやろ?』
チラッと日下部に視線を向けながら、こっそりと言う谷野に、山岡の身体は完全に硬直した。
原と何やら言い争っている日下部は、どうやらこちらの会話には気づいていなそうで、山岡はひとまずホッとする。
『オレ…』
『山岡センセの保身と同時に、おれの身の安全も考えてや?ちぃには黙っとればいい。知られなければ、なぁんもないねん。平和なままやねん』
こそっと、悪魔のささやきを漏らす谷野に、山岡の目が葛藤に揺れる。
『黙っとればお互いハッピーやねん。な?なぁんも悪いことないで』
ニヤリ、と笑いながら、悪いことを吹き込む谷野に、山岡は考える素振りをしたまま、コクンと頷いた。
(ふふ、ちぃ。第2弾、仕掛けさしてもろうたで?ほんまにこれに勝てるんかいな?お手並み拝見や)
ククッと笑う笑みを漏らす谷野に、日下部は本当は気付いていた。
けれど、シラッと知らん振りをして、原を弄って遊んでいる。
「っ…オレ、先に戻ります」
これ以上ここにいたら、神経が焼き切れる、と思ったらしい山岡が、手に持っていたお茶を一気に喉に流し込み、ポイッとゴミ箱にコップを捨て、足早にドアに向かった。
「え?山岡先生?」
「ふふ、逃げたね」
「ちぃ、覚悟はええか?」
3者3様の呟きが漏れ、休憩室内に微妙な空気が漂った。
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