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第128話

「ただいま~」 「おじゃっ…た、ただいま…」 日下部の運転で、マンションまで帰ってきた2人は、揃って部屋に上がり込んだ。 スタスタとリビングを通過して、キッチンに向かう日下部。山岡はリビングで立ち止まり、ストンとソファに座った。 「すぐご飯作るから待っててな」 「はぃ。ありがとうございます」 「ゆっくりしてていいぞ?」 「はぃ…」 ソファに足を揃えて座り、拳を握った手をその膝に乗せて固まっている山岡を、日下部は可笑しそうに眺めた。 「じゃ~ん」 それから十数分、手早く料理を完成させた日下部が、こいこいと手を招く。 「出来たよ。食べよう」 「あ、ありがとうございます…」 結局ずっとソファでぼんやりしていた山岡は、日下部の声にフラリと立ち上がった。 「わ、酢豚ですか?」 「惜しい。酢鶏にしてみた」 「美味しそう」 ニコリと微笑む山岡に椅子を引いてやり、日下部も向かいの自分の席に着く。 「いただきます」 「いただきます」 常にきちんと手を合わせる山岡を見ながら、日下部は茶碗を手に取った。 「あ、美味しいです…」 さっそく酢鶏に手を伸ばした山岡が、ふわりと笑った。 けれどいまいち表情が見えない。 「あ、山岡、髪」 そういえば、山岡は、今日はいつも家では上げる約束の髪を上げるのを忘れている。 「あ、そうだった…」 慌ててワタワタと前髪をまとめた山岡に、日下部がテーブルの隅からほい、と細いヘアバンドを渡した。 「これがあるだろう?」 いつもいちいちゴムで束ねている山岡が面倒くさそうで、日下部が買ってプレゼントしたのだ。 スポーツ選手がよく使っているそれは、何気にお洒落でもある。 「あ、ありがとうございます…」 日下部から素直にヘアバンドを受け取って、山岡は大人しく前髪を上げた。 綺麗な美貌が露わになる。 「本当、飽きないな~」 何度見ても見惚れる、と笑う日下部に、山岡は変な顔をした。 「いい加減に本気で眼科に行った方が…」 「まだ言うか。原だってとらだって綺麗って言ってただろ?」 パクパクとご飯を口に運びながら、山岡はまだ変な顔をしている。 「そんなの、お世辞じゃないですか」 「いや、2人とも本気なんだって。全員眼科へ行けとは、さすがに言わないだろ?」 苦笑する日下部に、山岡はふと思い出した。 「そういえば谷野先生、オレが醜形恐怖かなんて聞いてましたね…」 「へぇ?2人で話す機会が?」 ついうっかり口を滑らせた山岡が、ピクンと肩を揺らした。 「あ、えっと、たまたま病院の廊下を歩いてて会って…」 まずい、と思った山岡の顔が強張る。 「ふぅん、そうなんだ。あ、廊下で会ったと言えば、俺も今日、川崎さんに会ったよ」 ニコリ、と笑った日下部に、山岡の顔がさらに引きつった。 「今日診察日だったんだな」 「あ、はぃ。マーカーも上がってませんでしたし、他の数値も良かったです」 一瞬で動揺を消した山岡をチラリと見て、日下部は内心で溜息をついた。 「そっか、良かったな」 「はぃ…」 「昨日は楽しく過ごしたみたいじゃないか」 ふふ、と笑う日下部に、山岡はギク、と目を泳がせて、手元の料理に視線を落とした。 「はぃ…」 「懐かしい話で盛り上がったとか」 「川崎さんがそう言ってたんですか?」 「うん。違った?」 「っ…。いえ、違いませんけど…」 小さく声を震えさせてしまいながらも、山岡は嘘を通す方を選んだ。 もうせっかくの料理の味が何もしない。 「少しは楽しいこともあったんだな」 「え…?」 「川崎さんとの思い出話ってことは、大学病院時代のことだろう?」 辛い思いにまみれた中で、少しでも笑って話せる話題があったのか、と微笑む日下部に、山岡の顔がギューッと苦痛を堪えるようなものに変わった。 「ごめん。あまり触れられたくないか」 ほんのり笑う日下部の表情は、作り物だった。 けれど山岡にそれは見抜けない。 「っ…ごめんなさい…」 「ん?山岡が謝ることじゃないだろう?」 あくまで話の流れを尊重してみせた日下部に、山岡はフルフルと首を振った。 「そうじゃないんです…。違うんです…っ」 「山岡?」 カタン、と箸をテーブルに置いて、山岡が泣きそうな顔でギュッと唇を噛み締めた。 「どうした?お腹痛い?」 山岡の謝罪の意味を知りながら、日下部はどこまでも山岡を試すように、何もわからない振りを続けた。 「っ…違う。違うんです…オレ…」 ブンブンと首を振りながら、山岡は椅子から滑り落ちるように、床に跪く。 「山岡…?」 「っ、ごめんなさいっ…ごめんなさい…」 ポロッと涙を零しながら、山岡が床に両手もついて項垂れた。 テーブルについたまま、日下部はテーブルの陰になって見えなくなってしまった山岡の震える声を聞く。 「ごめっ…なさい、オレ…ごめんなさい…っ」 ただただ謝罪を繰り返すだけの山岡に、小さく息を吐いて、日下部はゆっくりと椅子から立ち上がった。 「何を謝られているのかな、俺は」 小さく首を傾げながら、テーブルを回り込んで、土下座のようになっている山岡の前に膝をつく。 「っ…ごめんなさい…。オレは、オレは日下部先生を…」 ヒクッとしゃくり上げながら、山岡はゴツ、と音がしそうなほど深く下げた頭を床に擦り付けた。

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