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第129話

「オレは、心配される資格なんかないんです…。だってオレは、日下部先生に…嘘をついているから」 ギュウッと床についた手をキツく握り締め、山岡が悲痛な声を震わせた。 「嘘?」 「っ…はぃ。ごめんなさいっ、オレは、川崎さんのところには泊まっていませんっ…」 「……」 「だからっ、昔話をしたとかっ…そのことで、日下部先生にあんな風に…過去を心配される資格なんて…」 手のひらに爪が食い込みそうなほど強く握り締められた山岡の拳に、日下部はそっと手を添えた。 「手。傷になるからやめろ。それから、とりあえず顔を上げて、きちんと説明して」 固く握られた山岡の拳を開かせて、日下部はそっとその手を引いた。 「合わせる顔がありませんっ」 身を起こされそうになり、山岡はイヤイヤと首を振って抵抗した。 「はぁ…。俺の目を見て、きちんと言う言葉以外受け付けないと言ったら?」 厳しい日下部の要求に、山岡はピクンと身体を揺らしてから、恐々と上半身を起こしていった。 「く、さかべ、せんせ…」 「うん」 「ごめんなさい…」 真っ赤に充血した目を、それでも必死に日下部に向けた山岡に、日下部は静かに小さく頷いた。 「きちんと全部話して」 「っ…はぃ。オレは…川崎さんの家に泊まったって嘘をつきました…。本当は…っ」 「山岡?」 「本当はオレは、谷野先生といました」 フラリと逸れてしまいそうになる目を必死に日下部に向けたまま、山岡は覚悟を決めたように言った。 「帰りに夕食に誘われて、飲んで、酔って…ら、ラブホにっ…一緒に、泊まっ…」 ウルッと再び潤んだ山岡の目から、スゥッと涙が頬を伝った。 「とらとホテルにね…」 「オレ…っ、う、浮気っ…谷野先生と、寝…っ」 ブワッと新しい涙をこんもりと目に浮かべ、山岡が唇を震わせた。 「ふぅん…」 「っ…だ、から、言えっ…なく、て。嘘、ついて…。川崎さんにまで嘘をつかせてしまって…。日下部先生にはっ、いくつも…嘘っ…」 嗚咽に途切れる声の中で、山岡は必死に言い募った。 「ごめんなさい…っ、ごめっ、なさ…」 最後は結局ストンと俯いてしまいながら、山岡はパタパタと涙を床に散らせた。 「どうして言えないと思ったの?」 「っ…だって、他の人に抱かれたなんて…」 「嫌われるから?」 「っ…違っ…」 「じゃぁなんで?怒られると思ったから?」 冷ややかに尋ねてくる日下部に、山岡はゆっくりと考えた挙句、オズオスと顔を上げた。 「違わない…。オレ、保身を考えた…」 最低だ、と山岡の目が真っ暗になったのがわかった。 「捨てられるかもしれないのが怖くて…オレは自分本位な…身勝手な嘘を…」 「そう…」 「オレ、なんてことを…っ。ごめんなさいっ、ごめんなさい…っ。いくら謝っても、謝り足りませんっ…」 ギュッと唇を噛み締めて、山岡が後悔と自己嫌悪にまみれた。 「ふぅ。泰佳」 「っ!」 吐息と共に呼ばれた名前に、山岡の身体がビクッと跳ねた。 「は、はぃ」 ギュッと目を瞑って、どんな断罪も受けようと覚悟する山岡に、日下部は小さく笑みを見せた。 「1つ、覚えていて欲しい」 「っ…?」 ポンッと思いの外、優しく頭に乗った日下部の手に、山岡が恐る恐る目を開けた。 「俺は、泰佳が好きだよ」 「っ…」 「泰佳が何者でも、何を仕出かそうと、最悪犯罪者になっても、山岡泰佳を愛し抜けると断言できる。これに嘘はない」 真っ直ぐ視線を向けてはっきりと言う日下部に、山岡の目がうるりと揺れた。 「何があっても、嫌いにだけはならない。なれない」 ひたすら真っ直ぐ山岡を包み込む日下部に、山岡の心は呆気なく呑み込まれた。 「ごめんなさいっ…ごめんなさいっ、オレは、そんな日下部先生を信じなかったっ…。そんな日下部先生を裏切った。嘘をついて騙して穢して傷つけてっ…ごめんなさいっ、ごめんなさいっ…」 うわぁん、と泣きながら、山岡はただただ謝り続けた。 そんな言葉だけでは償えないことをわかっていながら、他に言える言葉がないように、ひたすら謝った。 「ん。嘘は、さすがに簡単には許せないかな」 「っ…」 「どんなに俺を怒らせても、本当のことを言って欲しかった」 「はぃ…」 「嘘をつくとね、相手を騙すだけじゃなく、自分のこともどんどん貶めていくことになるんだよ」 「っ…」 「1つの嘘は、それを守るために、また次の嘘を呼ぶ。その嘘がまた、次の嘘を呼んで…どんどん嘘を重ねていかなければならなくなる。わかったよな?」 山岡は馬鹿ではない。冷静になればこれくらいのこと、1人でも答えが出せるはずだった。 「はぃ…」 「嘘で自分を誤魔化すような人であって欲しくないよ。嘘で何もなかったような振りを装って、俺の側に平然といられるような狡い人間になって欲しくないよ」 「っ…」 「まぁ、泰佳には出来ないだろうけど」 「え…?」 「浮気をした罪悪感を無視して、平気で俺の側にいるなんて芸当。無理だろ」 いい子だもん、と笑う日下部に、そんな風に自分を信じてくれる日下部に嘘をついた自分が、山岡は許せなかった。 「ごめんなさいっ…」 「うん。2度とつかないで」 「はぃ」 「なんかやっちゃったら、多分俺は怒るだろうけど、それでも最後には絶対に許すと思うから…」 「はぃ…」 「正直に言って、ちゃんと怒られなさい」 大丈夫だから、と微笑む日下部に、山岡は深く頷きながら、そのまままた土下座に近いほど頭を下げた。 「ごめんなさい。嘘ついたことと、浮気したこと…本当に…っ」 「うん。どう償って貰おうか」 「おっ、お、仕置、き…っ、受け…っ」 怯えを含んで、小刻みに震える山岡を見下ろし、日下部がニコリと悪い笑みを浮かべた。 「そうだね」 「っ…痛い…のも、が、我慢…する…」 本当に反省が深いのか、本当は嫌なくせにそんなことを言う山岡に、日下部がキュンと胸を躍らせていた。 それでも、嘘に関しては、遊び半分に咎めるつもりはない。 しっかりと罰を与えようと思っている日下部は、にやけそうな頬を引き締め、厳しい声を出した。 「じゃぁ、嘘をついた分は、痛い思いをしてもらおうな。俺はテーブルの片付けをするから、その間にお風呂に入っておいで」 「っ…はぃ」 「お仕置きの後じゃぁ、きっと入れなくなるから」 それほど厳しくする、と言ったも同然の日下部に、山岡の身体がブルリと震えた。 「お風呂から上がったら、寝室でお尻叩き。覚悟しておいで。泣き疲れてそのまま眠ることになるだろうから、浮気のお仕置きは明日。幸い休みだし、1日かけてたっぷりしてあげる」 最後はクスッと笑って言った日下部に、けれども強張ったままの山岡の表情は崩れなかった。 (まぁ、痛いことが大嫌いだもんな。これからのお仕置きだけで頭がいっぱいか。でも今日は、気持ちよくなんかさせない。嘘をついたこと、しっかり後悔するといい。2度と俺を謀ろうなんて思わないように…) こちらは心を鬼にして、泣かれても喚かれても絆されない覚悟を決める。 「ど、道具…?」 それだけは気になるのか、怯えた表情で日下部を見上げる山岡に、日下部はゆっくりと首を振った。 「平手」 「っ…」 わずかだけホッとした山岡を見て、日下部は続けた。 「だけど山岡の様子次第では、持ち出すかも」 あまり安心されてもな、と言う日下部に、案の定山岡はギクッと身を強張らせた。 「まぁとりあえず風呂に入ってこい」 「っ…はぃ」 「ちゃんと温まってこいよ」 きっと寛げはしないだろうけど、と思いながら、日下部はノロノロと立ち上がり、素直にバスルームに向かう山岡の背中を見送った。

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