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第136話

「ん…?」 キッチンの横の壁にあるインターフォンの室内機を見に行こうとした日下部が動くより先に、何故かガチャッと玄関が開く音が聞こえた。 「は?」 (なんで鍵…) 不可解な状況に日下部が慌てるより早く、廊下を歩いてくる足音が聞こえ、ガチャッとリビングのドアが開いた。 「おっじゃましま~す」 ニカッと満面の笑みを浮かべて、乗り込んできたのは、谷野だった。 「とら?は?なんで?」 施錠を忘れた記憶のない日下部が軽いパニックに陥る横で、ビクンッと身体を飛び上がらせた山岡も、軽くパニックになって、キッチンカウンターの向こう側に走って消えた。 「え?山岡センセ…?」 ビュンッとソファから走り去って行った山岡の姿をチラリと見てしまった谷野が、呆然と目を見開いている。 山岡は、こんな姿を日下部以外に見られてはたまらないと、対面式のキッチンの向こうで必死で身を縮めた。 「とりあえず、とら。どうやって入ってきた?」 ジロッと谷野を睨む日下部に、谷野はニッと笑って目の前に鍵をかざして見せた。 「やっぱちぃの家の鍵やった。ビンゴやで」 ふふ、と得意げに胸を張る谷野に、日下部の深い溜息が落ちた。 「盗ったな?」 「気付かへんかったんやな、山岡センセ」 「おまえね…」 「ケータイもおれが切っててん。どうせ充電なくなったとか思ってたんちゃうん?」 けけ、と笑う谷野に罪悪感はまったくなかった。 そんな2人の会話だけが聞こえる山岡は、聞こえてきた話にハッとなった。 「まさか、オレの合い鍵…?」 盗られていたんだ、と思いながら、それができたタイミングまで思いだし、ガクンと項垂れた。 「あの日。ホテル行ったときだ…」 ポツリと呟き、そこからさらに、今現在こんなことになっている原因まで思い出してしまい、グスンと鼻を鳴らした。 「人の鞄を漁るとか、犯罪だから」 「酔って正体失くすほうが悪いねん。相手がおれやなかったら、財布盗られてても知らんで?」 「だからって、おまえはやり過ぎ。ほら、返せそれ」 何やら口論している日下部と谷野の声を聞きながら、山岡はキッチンの隅でギューッと自分の身体を抱き締めた。 「で、さっきの山岡センセの格好、なんやねん」 谷野の声に、山岡の身体がピクンと震えた。 「山岡がどうかした?」 「ふん。おれの動体視力なめんなや?それともお尻の赤いでかいワンコ飼い始めたん?」 あれじゃサルやろ、と笑う谷野に、日下部が深い溜め息をつき、山岡がビクンッと身体を強張らせた。 「本当、どういう視力してるんだか…。あの一瞬で見えたわけ?」 「あぁ、バッチリな」 ニヤリと笑う谷野に、日下部が深い深い溜め息をついた。 「可愛かっただろ?」 一瞬で立ち直った日下部が、ニコリと笑う。 胡乱な目になる谷野に、キッチンの向こうで、ドタンバタンと派手な物音がした。 「相変わらずど変態やな」 「なんとでも」 「ほんなら、その可愛いワンコちゃんを、もっとしっかり拝ませてもらおかな?」 ニッと笑う谷野は、日下部の言動に慣れていた。 パタパタと、わざと足音を立てて、谷野がキッチンカウンターを回り込もうとする。 キッチンの陰で身を丸めていた山岡が、ワタワタと慌てた。 「や~め~ろ」 ふざけるな、と睨みを利かせた日下部が、谷野の首根っこを掴んで、ズルズルと寝室の方に歩いて行く。 「なんやねん、離せや」 「駄目」 谷野を連れたまま、日下部は寝室に入り、そこからシーツを剥ぎ取って、再びリビングに戻ってきた。 「ほら、とらはここにいろ」 ポイッとソファに谷野を捨てた日下部が、持ってきたシーツを手にしたまま、キッチンカウンターの向こうに回って、それを投げ渡す。 「取りあえず包まって出てくれば?」 どうせなら服が欲しかった、と視線で訴える山岡にニコリと笑って、日下部は再びリビングに戻ってしまった。 「早くしないと、この悪戯っ子が覗きに行くぞ」 「っ…」 それはたまらないと、山岡は取りあえずシーツをすっぽり被り、身体にぐるっと巻きつけて、オドオドとキッチンの陰から顔を出した。 「チッ。でっかい照る照る坊主なんぞ、おもろないわ」 つまらん、と吐き捨てて、ソファに身を沈めた谷野に、日下部が苦笑した。 「人の恋人を酔わせてラブホに連れ込んで一晩過ごしておいて、この反省のない態度、どう思う?」 ねぇ?とわざと山岡に向かって言う日下部に、山岡の身体が面白いほどビクッと飛び上がった。 「っ…オレ…」 「そのせいで山岡の方はそ~んな格好させられているのにね~?」 ニコリ、と笑う日下部に、山岡がストンと俯き、谷野がつまらなそうにそんな2人を見比べる。 「なんや、意外と早かったな」 もう暴露したんか、と白くなさそうに呟く谷野に、山岡がようやく首を傾げ始めた。 「とりあえず、こっちにおいで、泰佳」 ニコリと微笑んで手を差し出した日下部に、山岡は、ゆっくりとキッチンカウンターを回ってきた。 その足取りは恐ろしく遅い。 その理由がわかる日下部はクスクス笑いながら、どうにかこうにか側まで来た山岡の身体をシーツごと抱き締めた。 「え…?」 「ふふ、で、なんだったっけ?酔ってとらとラブホ行って、ヤッちゃったんだっけ?」 ニコリと笑う日下部に、山岡の中でパチン、パチン、とパズルのピースが嵌まって行った。 「っ…」 そう、山岡は馬鹿ではない。記憶力も悪くない。 「っ…まさかオレ」 「ん?」 「谷野先生と…」 「とらと?」 「ね、寝てない?」 ポツリと呟いた山岡に、日下部はそれはそれは壮絶な笑みを浮かべ、谷野がニッと人の悪い笑顔を見せた。 「おれ、一言も山岡センセとヤッたなんて言うとらん」 「でも…っ」 「酔っ払って寝ちゃったから、どうしよ思うて、取りあえず手近なホテル行ってん。そのまま爆睡しよったからベッド寝かせて、服苦しそうやったから全部脱がせたったで?」 そんだけや、と笑う谷野に、山岡はさすがに自分がはめられたことに気づいた。 「だって!谷野先生だって、日下部先生にバレたら困るって…」 わざと誤解するように言った、と言う山岡に、谷野は平然と笑みを浮かべた。 「せやで。ちぃの本命って知っとるあんたと、ラブホ泊まったなんてバレたら困るやん。一晩一緒にいたなんて言えへんやん」 「っ…」 「それだけやで?」 ふふ、と笑う谷野は、もちろんそれが計算だった。 「勝手に勘違いしたのは山岡だってさ」 ふっと笑って頭をポンポン撫でてきた日下部に、山岡の顔がカッと赤くなった。 「日下部先生もわかって…っ?」 「まぁ、とらが男を抱くわけがない、ってのはな」 「っ…じゃぁなんでっ…」 2人からはめられていたんだ、と気付いた山岡が、目を潤ませて怒りを滲ませた。

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