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第139話

わずかな時間が経過し、不意にバンッと寝室のドアが開いた。 かと思ったら、谷野の目の前をビュンッとすごい勢いで通過した山岡が、今度は脱衣所のドアを開けて飛び込んで行った。 「なんやの…」 呆然とそれを見ていた谷野に、日下部はプッと吹き出している。 「そう来たか。飽きないねぇ」 「なんやの?」 「下着取りに行ったんでしょ」 「ズボン履いてたやん」 「そうだね」 シラッと言う日下部に、意味がわかった谷野は、思い切り眉を寄せて苦笑した。 「あんま苛めんなや」 「とらに言われたくない」 同類のくせに、と言う日下部に、谷野の苦笑が深くなった。 「日下部先生、着替えて来ました。何切ります?」 無事下着が履けたのか、山岡が身支度を整えてキッチンにやって来た。 「ん~?キャベツと人参とジャガイモとベーコンと玉ねぎと…」 言いながらそれらを次々と調理台に並べていく日下部に、山岡が目を輝かせる。 「なんやの?」 座っていたソファから立ち上がり、カウンター越しに調理台の方を覗きに来た谷野が首を傾げた。 「山岡の包丁の練習兼昼食作り」 「練習て…そういえば、下手やゆうてたな」 「え…?」 「勝手に使ったらシオキされんのやったっけ?」 プッと笑う谷野に、山岡が変な顔をした。 「オレ、話しました?」 「酔うてな」 「っ!」 またその話になるか、とギクリとする山岡に、日下部は胡散臭いほどニコニコと笑顔を浮かべている。 「そんなことまで話したの?ん?」 「す、すみません…覚えてません…」 ビクビクと怯える山岡を見てから、日下部は谷野に視線を移した。 「他に何を聞き出した?」 「え~?山岡センセが話していたこと?せやなぁ、ちぃのどこが好きかとか?」 「えっ…。オレ、そんなことまで?」 ギクリ、と身を強張らせた山岡の眉がぎゅっと寄る。 「ふぅん?で、なんて?」 「っ…た、谷野先生っ?!」 変なことなら言わないで、と圧力をかけようとしている山岡を、谷野はあっさり無視して口を開いた。 「料理と顔」 「え?」 「は?」 「そう言っとったで」 ニィッと笑う谷野に、山岡が微妙な表情を浮かべ、日下部が非常に面白くなさそうに唇の端を吊り上げた。 「そうかそうか。俺は美味しいご飯を作って、容姿を鑑賞させていたらそれでいいわけか」 フッと皮肉に笑う日下部に、山岡がワタワタと慌て、谷野が弾かれたように爆笑した。 「拗ねんなや」 「お、オレ…」 「別にいいよ?便利屋でも鑑賞用人形でも」 「違っ…」 ワタワタと慌てる山岡の横で、日下部はこれでもかというほど嘘くさい笑顔を浮かべながら、ザクッとキャベツを切った。 「お、怒ってます?」 「そこまで心狭くないよ?」 「で、でも…」 包丁の使い方が怖い、と呟く山岡に、日下部は笑顔を向けたまま場所を開けた。 「ほら、続きを切ってごらん」 山岡用の子供包丁を出した日下部に、ふと会話も忘れて山岡が飛びついた。 「はいっ!こうです?」 以前の指導通りにぎこちないながらもなんとかキャベツを切る山岡を見て、日下部は頬を緩めた。 「あったかい」 「え?」 「は?」 「あったかいんやて。ちぃといると、安心するんやて」 不意に言った谷野に、日下部がふわりと笑い、山岡がストンと手を滑らせた。 「あっぶな…」 「っ、あ、びっくりした…」 焦った日下部と、手を切らずにホッとした山岡。 その手元を眺めていた谷野が、ヒィッと息を呑んだ。 「ほ、ほんまに下手や。見とるこっちが怖いわ」 「あはは」 「あははやないて。これがほんまに、ちぃが惚れるほど天才的にメス揮うって?幻覚やろ」 信じられん、と呟く谷野に、日下部は自信たっぷりに頷いた。 「それが、そうなんだよ。俺も不思議でならないけどな」 「マジか…。なぁ、おれもオペ見学入れてもらえへん?ちぃ、外科部長と仲良しやん」 「その外科部長も山岡の腕がお気に入りだから、無理だよ」 ただでさえ独占したがっているのだ。スカウトしてくるかもしれない部外者にまで見せてやるはずがない。 「マジか。外科部長にまで…」 そんな大物に認められているらしい山岡の腕に、いよいよ信憑性が増し、余計に興味がそそられた。 「まぁ、急患でも拾って、その場で緊急オペとでもなったら、どさくさに紛れて入って見れるかもな」 ふふ、と笑う日下部の隣で、山岡はまた野菜を切るのを再開していた。 真剣に手元を見ているため、2人の会話は耳を素通りだ。 「そんな都合のいいシチュエーション、そうないやろ」 「まぁね。俺はこの前、たまたま2人で出掛けていたらあったけど」 忘れもしない、山岡と気持ちが通じ合った日、と笑う日下部に、山岡がパッと顔を上げた。 「切れました」 嬉しそうにニコリと笑う山岡に、いい子、と褒めて、日下部は次の野菜をまな板に乗せた。 「どうぞ」 「はぃ」 イチャイチャしているように見える2人に、谷野がつまらなそうに鼻を鳴らした。

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