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第141話

「なぁ、山岡センセ」 「はぃ?」 「すまんかったな」 後ろからリビングに来た山岡を振り返り、谷野が突然頭を下げた。 「え…?」 なんのことかわからない山岡がキョトンとするのに、谷野が苦笑した。 「余計なちょっかいかけたこと。おれのせいで酷い目にあったやろ?」 谷野の言葉に、山岡は首を傾げて微笑んだ。 「谷野先生が何か仕掛けたとしても、その後の行動を選んだのはオレですよ?だから全部自業自得なんです。谷野先生は何も悪くないですよ?」 どうして謝られているのか分からない、と本気で言っている山岡に、谷野の目が見開かれた。 「だって、そもそもおれが夕食誘わなきゃ…無理に飲ませたりしなきゃ…起こらなかったことやろ?」 「え?だって、誘いに乗ったのはオレの考えですし、飲んだのはオレの意志ですよ?」 ケロッとまったく迷わず言う山岡に、グラスを運びながら、日下部がヒョイッと口を挟んだ。 「とら、傲慢」 「っ!ほんま、や…」 日下部の笑い声に、谷野が呆然と呟いた。 「ん?あ、日下部先生、オレも運ぶの手伝いますね」 「うん?ありがとう」 ふわりと笑う日下部に、パッとキッチンの方に走っていく山岡を、谷野がまだ呆然としたまま見つめている。 「なんやあれ。天使か?女神か?まっさらやん。普通責めるで?恨むで?それをなんや、ひと言もおれが悪いて言わへん。心の底からそう思うとる。なんやねん…」 「ふふ。真逆」 「え?」 「確かに一見穢れのない真っ白だよ?だけど本質は、すべてを飲み込む真っ黒なんだ」 「え…」 「山岡はすべてを吸収し尽くす漆黒。一点の曇りもない」 「っ…だから、だからちぃが灯りなんや…。こんだけ真っ直ぐに他人を赦せる人間は、それだけ深い闇を持っとるんや。全部全部自分の中に受け止めて、全部吸収しよって…。だから、ひとに優しくなれる…」 「ん…」 「欲しなった!おれも山岡センセ、欲しなった」 クソッ、と言う谷野に、日下部の最高に勝ち誇った笑みが輝いた。 「俺のだよ?あ~げない」 だから言っただろ?と完全な勝者の笑みを浮かべた日下部に、谷野が悔しそうに目を細めた。 「うわぁ、美味しそう」 ニコリと笑う山岡が、キッチンから完成したオムライスを運んでいた。 「あっ、ケチャップがハートのやつが山岡な」 ふふ、と谷野の側から離れ、キッチンに向かった日下部が笑っている。 「なっ…」 「いや、それだけ中身、チキンライスとバターライスのハーフだから、目印に」 「っ…」 もっともらしい理由だけど、それだけでないことくらいはもう山岡にもわかる。 「く、日下部先生…」 「ん?」 「ちょ、ちょっと屈んで下さい」 「いいけど、どうした…」 オムライスをテーブルに置いた山岡の側でわずかに膝を曲げた日下部に、山岡がぶつかる勢いで顔を近づけた。 「っ!」 チュッといきなり日下部の頬っぺたにキスをした山岡に、日下部がさすがに驚いた顔をして固まった。 「っ、泰佳!」 「は、はぃ…」 「足りないよ」 すぐに立ち直った日下部が、ふふっと笑って山岡の腕を掴んで、そのままキッチンの壁に引きずっていき、押し付けた。 「んっ…」 クイッと顎を持ち上げられ、日下部に唇を塞がれた山岡。 すぐに舌が差し込まれ、思う存分口内を蹂躙される。 「んっ、はっ…んぁっ…」 角度を変えて何度も口付けられ、山岡の目がトロンと蕩けていく。 「おいおい。おれがおるん、忘れとらん?まぁええけど…。お先にいただくで」 いきなり始まったキスシーンを横目に、谷野は山岡が運んだオムライスを1人、黙々と食べ始めた。 「んっ…んぁっ…はぁんっ…」 「ふふ、可愛い」 「な~あ、済んだなら一緒に食べようや」 「んっ…こ、しがっ、抜け…」 ヘニャリと脱力している山岡に、それを抱きとめる日下部。 「相変わらず感じやすい」 「だから、早よ食べや!」 「んっ…千洋…」 1人喚いている谷野と、ニコリと満足な笑みを浮かべている日下部。山岡はもう、食事どころの話じゃない。 まったくもって協調性がない3人のダイニングが、大混乱をきたしている。 「あんたら、大人しく食事せぇ!」 「まぁ、そうするか。おいで、泰佳」 「んっ…」 ついにキレた谷野に、日下部が山岡を支えながらテーブルにやってきた。 山岡を椅子に座らせ、日下部は2人分のオムライスを取ってくる。 「はい、あ~ん」 「やめい!」 「ちょ…さすがに恥ずかし…」 「キス見せておいて?」 またも始まる自由すぎるそれぞれの会話。 「それより、もう痛くないの?」 「え?っ…言わないでくださ…」 クッションいらない?と言う日下部は確信犯。 「なんや?」 「な、なんでもありませんっ」 「はい、あ~ん」 「だ、だから日下部先生…?」 「しないとバラす」 「っ!あ、あ~ん…もういや…」 「クスクス。可愛い」 「やってろや!」 大騒ぎの食卓。 それがなんだかんだで楽しいと、山岡は実は、ひっそりと思っていた。 それに気づかない日下部ではないし、谷野も日下部の意図をきちんと分かっていた。 意地悪なんだか優しいんだかわからない2人に囲まれて、オムライスを頬張った山岡が、ふんわりと幸せそうに微笑んだ。

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