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第145話

そうして緊急入院となった山岡は、個室のベッドの上に寝ころんで、ぼんやりと天井を見上げていた。 すでに処方された点滴が、ポツリポツリと落ちている。 「はぁっ…」 思わず溢れてしまう溜息が、病室の空気を揺らしている。 コンコン。 「山岡先生?失礼します」 ノックの後に続いてヒョッコリ顔を見せたのは、原だった。 「どうです?痛みはマシになりました?」 「はぃ、薬ってすごいですね。このまま大丈夫そう」 ふわりと笑う余裕が出ている山岡に、原が苦笑した。 「いやいや、一旦薬で散らしても、どうせすぐにまた痛くなりますって…って、研修医なんかに言われなくても、山岡先生の方が詳しいでしょうに…」 ガシガシと頭を掻きながらベッドの側まで来た原に、山岡は気まずそうな目を向けた。 「そうですよね。医者が聞いて呆れますよね…」 「でもおれも、反省です」 申し訳なさそうに笑う原に、山岡がキョトンと首を傾げた。 「どうして原先生が?」 「昨日の帰り、山岡先生、腹痛訴えてたのに…おれ、そのまま帰したじゃないですか」 「あぁでもオレが平気って言ったから…」 「それでも、不調を訴える人の症状見逃しちゃ駄目だな、って思いました」 苦い顔をして微笑む原に、山岡も苦笑した。 「耳が痛いです」 「あはは。あの日下部先生も微妙に落ち込んでいましたよ」 鬼の撹乱です、と笑う原に、山岡も思わず笑ってしまった。 「鬼って」 「鬼ですよ~。あっ、で、その日下部先生が、今日1つオペの助手が入っているから、山岡先生のオペ、その後ですって。今もうそっちのオペに行ってます」 ニコリと笑う原に、山岡がふぅっと息を吐いた。 「そうですか…。日下部先生が執刀するって言ってました?」 「そりゃそうでしょう。あの独占欲の塊が、他の人に切らせるわけがありませんって」 断言する原に、山岡は苦笑した。 「もうこの際だから、原先生の練習台になってもいいんですけどね」 「それ、日下部先生に言って下さい」 「あはは。でも本当、当直明けで、今朝、患者さんステったでしょう?午前中のフリーは少しは休めたんですかね?」 「そうですね」 「昼もオレ診てもらっちゃって、ご飯もそこそこにオペ行ってて、さらにオレの分もう一件?日下部先生が心配です…」 シュンと小声になる山岡に、原はニコリと笑った。 「無理なら無理って言う人ですよ。それにどうせおれにやらせても、オペ入ることには変わらないし、目の前でおれにハラハラしてるより、自分でやった方が楽、とか言い出しそうじゃありません?」 クスクス笑う原に、山岡もついつられて笑ってしまった。 「言いそうですね」 「山岡の身体だ、1ミリでも傷減らせ~!余分に切ったら徹夜な?って怒鳴られるのが目に見えるので、遠慮します」 日下部の口調と声真似をした原に、山岡はとうとう笑い声を上げてしまった。 「に、似てますっ、ふふ」 「でしょう?じゃぁおれ、そろそろ戻るので、山岡先生はゆっくり休んでくださいね。光村先生にも伝えてくれてましたし、山岡先生休む分、おれも頑張るので」 ニコリと笑う原に申し訳なさそうにしながらも、山岡は頷いた。 「じゃぁまた」 「はぃ。ありがとうございます」 やんちゃな笑顔を残して、原が病室を出て行った。 入れ替わりになるように、看護師が1人入ってきた。 「山岡先生、どうですか~?」 「すみません…」 「いえいえ。えっと、諸々の書類持ってきましたけど、説明いいですよね?」 同意書やら連絡先や既往を書く問診票やら、手術に関する注意事項やら入院案内やらをざっと一式、ベッドのテーブルに置いた看護師。 コテンと首を傾げる看護師に苦笑しながら山岡は頷いた。 「はぃ」 「あと、ご家族の方、まだ来られません?っていうか、来ます?オペ中に外で付き添っていただく方…もし来たら教えてくださいね」 「あ…」 「はい?」 「いえ…」 「え~と、点滴はまだ大丈夫ですね。日下部先生、後1時間弱で終わるそうですから、その後になるみたいです。えっと、下剤飲みました?」 「はぃ」 「あと…特にないか。じゃ、また何かありましたらコールしてください」 ニコリと微笑んで点滴の滴下量だけ確認した看護師が、病室を出ていった。 ベッドに身体を起こし、ぼんやりと目の前の書類を見つめる。 家族構成、血縁者に以下の疾病がありますか…と書かれた欄をジッと見つめてしまう。 今までは気にしたこともなかったけれど、不意に意識する。 自分には、倒れたときに駆けつけてくれる家族も、万が一オペ中に何かがあって判断を迫られても、その答えを出してくれる身内もいない。 空欄のまま埋まらない書類を見つめて、山岡は随分とそのままボーッとしていた。

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