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第149話

「ただいま…」 マンションに帰ってきた日下部は、誰もいない部屋にポツリと呟いて、真っ直ぐに洗面所に向かった。 とにかく熱いシャワーを浴びて、風呂に入りたかった。 とりあえず浴槽にお湯を張りつつ、シャワーで身体を清める。 シャンプーを取ろうとバスラックに手を伸ばした日下部は、そこに並んだ2種類のシャンプーとコンディショナーの銘柄を見て、思わず頬を緩めてしまった。 「俺は別に同じの使ってもいいのに…」 わざわざ自分用と持って来て置いた山岡を思い出す。 日下部的には、むしろ同じものを使いたかったのだが、山岡が同じ匂いがしたら恥ずかしいと言って譲らなかった。 「同棲の醍醐味、全否定だもんな~」 クスクス笑ってしまう日下部は、ついさっき別れてきた山岡のことを、もう絶え間なく思い浮かべている。 「でも洗剤と柔軟剤が一緒ってことには気づいてないんだよな~」 服から同じ匂いがする、と笑う日下部は、わしゃわしゃと泡立てた頭の天辺から、ザーッとシャワーを浴びて、泡を洗い流した。 「山岡、どうしているかな…」 はっきり目が覚めただろうか。傷を痛がっていないだろうか。 「遠慮して、何かあっても看護師に要求できなさそうだしな…」 1人で耐えてしまいそうな山岡を思い浮かべて、日下部はザーッと流れ落ちるお湯の間で苦笑した。 「さっき穏やかに眠ってるのを見て来たばかりなのに…」 頭の中が山岡のことでいっぱいで離れない。 「はは。明日は早く行こう…」 これでは泊まった方がマシだった、と思いながら、つい心配してしまう気持ちを押し込めて、日下部は湯のたまった浴槽に身を沈めた。 ゆっくり風呂につかり、十分寛いだ日下部は、着替えてリビングに出て来た。 手にした携帯は、幸いなことに鳴る様子はない。 「でもわからないし、とりあえず食べておくか」 当直が研修医の原だから、1件でもオペが必要になれば100パーセント呼ばれる。 今のうちに夕食を済ませてしまおうと、日下部はキッチンに足を向けた。 そうして簡単な料理で夕食を済ませ、そのまま寝室に入った。 携帯を枕元に置き、ゴロンとベッドに横になる。 「山岡いないとつまんない…」 ベッドが広い。ちょっかいをかけられない、と不貞腐れる日下部は、やっぱり山岡のことで頭がいっぱいだ。 「後何日もこうして1人か…」 お互い当直が続いても精々2日。片方が居残りしてすれ違っても、完全にどちらかがいない夜はそうそうなかった。 以前は1人が普通だったのに、もう山岡がいない夜の方が違和感がある。 「早く退院しろよ…」 術後の経過次第では3日4日か、と思いながら、日下部はゆっくりと目を閉じた。 おかあさんと呟いて涙を流した山岡の顔がふと瞼の裏に映り、そういえばあれ…と考え始めたところで、ストンと意識が闇に落ちてしまった。 相当疲れていたのだろう。次に目を覚ましたときには、もう朝だった。 「っ!」 真っ先に頭の上の携帯を手にした日下部。ディスプレイを確認し、着信履歴がないことにホッとする。 「呼んだのに出なかったじゃマズいもんな。よかった。必要な急変急患はなかったか」 かなり熟睡してしまった、と思いながら、いつもより大分早いけれど、日下部は朝食を食べ、病院に向かうことにした。

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