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第163話

山岡が昏睡してから、18日目のことだった。 「っ!日下部先生を呼んで!」 ICUの見回りをしていた看護師が、不意に大声で叫んだ。 「山岡先生がっ、山岡先生が!」 バッと山岡のベッドに飛びついて、必死でその顔を覗き込む。 すぐに異変に気づいたスタッフが、カンファ中の日下部にコールを鳴らした。 ピピピというPHSの音に気づいた日下部が、カンファ中の医師たちにペコリと頭を下げ、ディスプレイを覗き込む。 「っ!」 「病棟?急変かい?」 光村の視線に小さく首を振って、日下部はPHSを片手に席を立った。 「ICUです」 その一言で察した光村が、出ていいと目で伝える。 一礼した日下部は、そのまま部屋の隅に移動して、通話ボタンを押した。 「っ、山岡先生が…?」 サッと強張った日下部の表情と、漏れた声に、カンファ中の医師たちの視線が一斉に向いた。 二言三言話した日下部が、ゆっくり通話を切って、席の方に戻ってくる。 「日下部先生…山岡先生は…」 光村が尋ねる声に、他の医師たちも日下部に注目している。 日下部は、全員の視線を受けて、ゆっくりと唇を動かした。 「涙を…」 「っ!すぐに行きなさい」 日下部の言葉に、光村が素早く命じた。 その日下部の言葉の意味は、医者たちにとって諸刃の剣だった。 昏睡状態の人間が流す涙の理由は。 意識がさせるものなのか。それは目覚めの予兆であるか。 あるいは真逆の、自律神経が働かなくなり、筋弛緩によって引き起こされる、最期の命のともしびであるか。 「っ…失礼しますっ」 パッと身を翻した日下部は、全速力で廊下を駆け抜けた。 廊下を走ってはいけないという頭はもうなかった。

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