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第164話
「日下部先生っ!」
ICUに駆け込んだ日下部を、看護師の笑顔が迎えた。
途端にドッと安堵する日下部の表情に、フラリ、フラリとベッドに近寄る日下部の足。
「呼吸が戻りました。目が、震えて…」
それは明らかな瞬きの予感だった。
ゆっくりと近づいた日下部の目の前で、山岡の瞼がピクリと動いた。
スウッと流れ落ちた涙の跡が見える。
「山岡。山岡っ!こっちだ。俺はここだ!」
山岡の耳元に唇を近づけ、日下部は大声で呼んだ。
山岡の瞼がピクリ、ピクリと動く。
「山岡!戻っておいで。俺はここだよ」
山岡の手を取り上げて、ギュッと掴んだ日下部の手を、ピクンと震えた山岡の手が、小さく小さく握り返してきた。
「反応がっ…プシ科の先生に連絡入れて!」
確かに手に感じた山岡の応えに、日下部は看護師を振り返って叫んだ。
*
バリ、バリバリ…。
小箱に開いた穴を引き裂いて、2本の腕が差し込まれた。
バリバリと穴が広げられ、小箱の中が光でいっぱいに満たされる。
「山岡。山岡。愛してる。俺はここだよ。おいで、泰佳」
2本の腕の向こうに、優しい優しい笑顔が見えた。
愛しい愛しい声が聞こえた。
「ち、ひろ…」
オズオスと伸ばした手は、間違いなく、愛しい人の腕に触れた。
「千洋っ!」
グイッと引っ張り上げられる感覚。
暗い暗い小箱の中から、明るい温かい光の世界へ、山岡はゆっくりと引き上げられた。
「んっ…」
ピクリ、と山岡の目が震えた。
薄っすらと開いていく瞼が、日下部の目に映る。
開いていく瞼の向こうに、山岡は日下部の優しい笑顔を見つけた。
「山岡!」
「く、さかべ、せん、せ…?」
「山岡!わかる?」
「は、ぃ…。オペ、成功、しました…?」
ニコリと微笑みながらそっと首を傾げた山岡は、日下部の目が大きく丸くなっていくのを不思議そうに見上げた。
「日下部先生、プシ科の先生が到着しました」
「どうも。失礼」
「あの…」
日下部の隣にやってきた精神科医が、山岡の顔を覗き込んで1つ頷いた。
「目覚めましたね。奇跡…でしょう」
「っ…」
「失礼、山岡先生。あなたのお名前は」
「え?山岡、やす、よし…」
「いいでしょう。ここがどこかわかりますか?」
「はぃ。病院…アッペのオペを受けて…まだICUですか?」
ゆっくりと視線を動かしながら答えた山岡に、日下部がヒュッと息を飲み、精神科医はホッとしながら頷いた。
「脱したと言っていいでしょう」
「っ、でも先生…」
「記憶、ですか?多分ありません」
「え…」
「解離性障害の場合、克服した瞬間、大抵その間の記憶はなくなります」
「じゃぁ…」
「まぁ山岡先生にとっては、オペのために麻酔で眠り、今目覚めたところに繋がっているでしょう。丸ごと18日間は抜け落ちている。山岡先生からしてみたら、ちょっとした浦島太郎状態ですよ」
「そうですか…」
「体調の方が落ち着いたら、カウンセリングを行いましょう。予定しておきます」
「っ…。わかりました。ありがとうございます」
精神科医に向かって頭を下げている日下部を、山岡が不思議そうに見ている。
「日下部先生…?」
「いや、何でもないよ。オペは無事に終了。痛いところや不快なところはある?」
ニコリと微笑んで山岡を見つめた日下部に、山岡は小さく首を傾げた。
「傷、痛みませんね。すごいな…日下部先生、上手…」
クスクス笑う山岡はまだ知らない。
それは、18日間も経っていれば傷口はふさがり、もう痛みもないだろう。
「そうか。他は?」
「ん。大丈夫です。日下部先生、ありがとう…ございます」
ニコリと笑った山岡に、日下部も自然とつられて微笑んだ。
それから山岡はすぐに普通の病室に戻された。
日下部はとりあえずカンファに戻り、山岡の覚醒を報告して、医師たちみんなが歓喜に沸く声を聞いていた。
「まぁでも半月近く眠っていたんだ。すぐにすぐ復帰は無理だな」
「ですね」
「あと少し、このメンバーで踏ん張ろう。協力してくれるかね?」
「はい」
「もちろん」
光村の言葉に、みんなが力強く頷いた。
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